C62 2
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「国鉄C62形蒸気機関車」の記事における「C62 2」の解説
1948年(昭和23年)5月20日に日立製作所笠戸工場で落成。C62 3・4とともに自動給炭機の試用機として製造され、同年6月14日付で糸崎機関区に新製配置された。1950年(昭和25年)8月12日に宮原機関区へ転属。翌1951年(昭和26年)に鷹取工場へ入場した際に、当時行われていた模範整備運動と宮原機関区からの要望で、除煙板にステンレス製の「つばめマーク」が取り付けられたことから、「スワローエンゼル」の愛称で親しまれる。また運転席キャブ及びデフレクタの誘導員用手すりにステンレス鋼が使用されている。宮原所属時代にはランボードにステンレス鋼の飾り帯が使用されているときもあったが、後の渡道に際して撤去された。 東海道本線の全線電化によって余剰となり、1956年(昭和31年)11月25日から1957年(昭和32年)1月8日まで保留車として吹田機関区へ留置された後、同年1月21日に北海道へ渡る。苗穂工場で軽軸重形への改造工事が施工されて1957年(昭和32年)2月7日付で小樽築港機関区へ転属。函館 - 小樽間の急行列車牽引などに充当され、重連運転では専ら前部補助機関車の運用に優先的に使用された。1970年(昭和45年)7月28日から8月6日にかけ苗穂工場で行われた全般検査に際し、当時はこれが本形式最後の全般検査になるとされていたこと、また過去の特急牽引時代を模す意味でも記念としてランボードの白線塗装が行われた。白線は当初工場出場後に消去する予定だったがそのまま小樽築港機関区へ回送、引渡しを行い、梅小路蒸気機関車館収蔵後もランボードの白線は残されている。 1972年(昭和47年)10月10日に、鉄道100年を記念して設立された梅小路蒸気機関車館に動態保存され、それ以降国鉄→西日本旅客鉄道(JR西日本)梅小路運転区に車籍を有している。蒸気機関車館の開館当初、1972年(昭和47年)10月14日・10月22日・11月5日・11月19日、1973年(昭和48年)3月11日・4月22日には京都 - 姫路間で臨時列車「SL白鷺号」を牽引している。しかし同機は、蒸気機関車館保存後の1974年(昭和49年)8月から9月にかけ国鉄長野工場で全般検査が実施された後、「SL白鷺号」などの本線自力走行や、本線走行に必要な検査は今日に至るまで一度も実施されていない。このため法令上、構内展示走行のみ可能な状態である。梅小路蒸気機関車館においては他の動態保存機とともに「SLスチーム号」としての保存運転に使用されていた。現役時代には、宮原時代と小樽築港時代の二度にわたり重油併燃装置が搭載されたが、動態保存への移行にあたって撤去された。 なお、梅小路蒸気機関車館建設時の保存車両選定で、同一形式が複数残存した場合は、原則的には最若番機あるいは最終号機を最有力候補としていた。C62形はC62 1が存在したため当初は候補に挙げられていたが、C62 2の人気には逆らえず、変更となった模様である。 1997年(平成9年)9月11日午前10時、京都駅の新駅ビル落成式典にあたって、駅構内においてグランドオープンを告げる汽笛を鳴り響かせた。式典後梅小路へはEF65形の牽引により回送されたが、その際1番線ホーム(現・0番線ホーム)で20分ほど機回しを行い、新駅ビルの中央改札口の正面で、蒸気と煙を上げるC62形が展示されるという演出がなされた。 本機は東日本旅客鉄道(JR東日本)への管外貸出が2回ある。1度目は鉄道の日制定および大宮工場開設100周年記念として、1994年(平成6年)10月9日に行われた大宮工場の公開イベント「新旧つばめの出会うとき」で、JR東日本が保有するEF55 1およびEF58 93、九州旅客鉄道(JR九州)から借り入れた787系電車とともに展示された。2度目は1999年(平成11年)8月1日から9月12日に行われたアニメの企画「ドリームトレイン1999」のイベントで、品川駅にて展示された。しかしながら、この回送途中に軸焼けしていることが判明したため、それ以降、長距離の移動を伴う貸し出しは行われなくなった。2010年(平成22年)ごろには過熱管の水漏れの発生により休車していたが、梅小路蒸気機関車館開館40周年記念事業の一環として修理され、その記念日の2012年(平成24年)10月10日に正式に構内運転復帰となった。 2013年(平成25年)7月20日にはイベント「銀河鉄道999とC62形蒸気機関車」にて、漫画「銀河鉄道999」の999号と同形式であるC62 2に「999」のヘッドマークを取り付け、「SLスチーム号」として構内を走行した。 2016年(平成28年)4月29日以降は京都鉄道博物館で引き続き「SLスチーム号」の保存運転をおこなっているが、2017年(平成29年)10月より1年検査に入ったが、ボイラの水漏れや腐食した灰箱など老朽化が進行していたため、ボイラの大改修工事に着手、サッパボイラに入場し、大・小煙管の交換などの作業が行われ、2018年(平成30年)11月1日より構内運転に復帰している .mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}国有鉄道蒸気機関車C62-2号機 > 国有鉄道蒸気機関車C62-2号機 > 国鉄C62形蒸気機関車
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除煙板(デフレクター)に『つばめマーク』付き。『スワローエンゼル』という愛称で呼ばれていた。ただし、宮原機関区時代の同機は調子がよいとはいえず、実際は「つばめ」を牽く機会は比較的少なかった。キャブの裾が他機と比べて約10cmほど短い。これは当初満鉄型ストーカーをテンダー側に装備していた影響によるものである。
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