青井家とは? わかりやすく解説

青井家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 06:35 UTC 版)

青井家
本姓 大神氏
家祖 大神惟基
種別 社家
出身地 肥後国球磨郡青井郷
主な根拠地 肥後国球磨郡人吉
著名な人物 青井惟董
凡例 / Category:日本の氏族

青井家(あおいけ)は、日本氏族熊本県人吉市鎮座の青井阿蘇神社社家。本姓大神氏(おおがし)を称するので大神青井氏とも呼ばれる。

概要

青井阿蘇神社は大同元年(806年)に肥後国阿蘇郡阿蘇神社神主尾方惟基大神惟基)が阿蘇神社の分霊球磨郡青井郷へ分祀したものと伝えるが、その惟基を家祖とする。代々青井阿蘇神社の大宮司職を襲い、その起源は同神社創祀の翌大同2年9月13日に惟基が同神社の大宮司に補任されたことによるという[1]

延文年中(14世紀中半)に第27代前清が球磨郡の領主藤原定頼の五男・頼範を女婿に迎えて家を継がせ[注釈 1]永禄10年(1567年)に第46代惟元が神祇管領長上吉田家へ入門、慶長2年(1597年)に青井阿蘇神社が球磨郡内全神社の総社と定められてからは近世を通じて人吉藩内の神職の元締めともされた。

第47代の惟延が慶長15年に吉田家の神道伝授を受けて初めて同家から官位を授けられ、第50代惟治も明暦4年(1658年)に上洛して吉田兼連から神道の秘法と正六位下信濃守を受領、以降代々正六位下を受領する例となった。また惟治は寛文5年(1665年)にも上洛して吉田家から唯一神道の大護摩と諸加持行法等の奥義を授かったが、帰国の後にそれまで仏像であった青井阿蘇神社の神体を改替するなど、両部習合であった同神社を唯一神道へと改めた。

大正14年(1925年)に第60代の淑人が没することで断絶した[2]

なお氏名(うじな)は、相良長毎文禄元年(1592年)に朝鮮へ出兵(文禄の役)するに際して惟延(47代)が長毎の武運長久の祈祷を行った縁で長毎から犬童の家名を授かって改姓したが、次の範重の代の寛永18年(1641年)、藩主頼寛の命により旧に復している。

青井惟董

青井 惟董(あおい これただ、寛文2年(1662年) - 享保9年(1724年))は第51代青井阿蘇神社大宮司。惟治の嫡子として生まれ、天和元年(1681年)20歳の時に惟治が没したために大宮司職を継ぎ采女佐を受領。元禄12年(1699年)、藩主頼喬の命を受けて『麻郡神社記』(まぐんじんじゃき)を著した[3]

『麻郡神社記』
惟董が球磨郡内250余社の全神社を調査考証したもの。全5巻。熊本県内の神社を対象とする研究では熊本藩地誌である北島雪山の『国郡一統志』(寛文9年)や森本一瑞の『肥後国誌』(明和9年(1772年))が大いに参考とされるが、『麻郡神社記』は前両書に人吉藩内であった球磨郡が含まれていないために、また郡内全神社を網羅して内容も正確なものであるために、貴重な資料とされている[4]

脚注

注釈

  1. ^ 相良氏の系図では頼範は定頼の孫とされている。

出典

  1. ^ 『麻郡神社記』。
  2. ^ 上米良 1981, p. [要ページ番号].
  3. ^ 熊本 1982, §. 青井惟董.
  4. ^ 上米良 1981.

参考文献


青井家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 14:48 UTC 版)

青井忠治」の記事における「青井家」の解説

富山県射水郡小杉町現在の射水市、東京都) その遠祖については、小杉町南郊山間部青井谷という地名があり、これに関係があるのではないか思われる。また江戸時代代々屋号が“伊勢領屋”であったこと、代々墓地が三ヶ(現小杉町)の伊勢領にあることから、大昔伊勢神宮から下向して住みついたのではないか?という言伝えもある。しかし、いずれにしても古いことで、はっきりしない。 青井家の祖先法名明らかな者のうち、没年の最も古いのは、元禄3年1690年)没の道間(俗名不詳)である。藩の勧誘に応じて青井家が小杉新町移住したのは、この道間(俗名不詳)の時代か、あるいはその父親の時であったかと思われる。そして“伊勢領屋”を名乗ったのは、伊勢領の出身だったからである。 『小杉町史』によると、「新町開町当時居住許された家、若しくはその居屋敷受け継いだ商家は、一応は七石高の所有者であり、あるいは三石五斗高の持ち主であると思われる東町では本陣務めた下条屋(寺林)長左衛門をはじめ、塚越屋清衛門下条小右衛門紺屋司郎大江屋勘四郎大白八郎衛門伊勢領屋忠次郎、島屋与三次郎などは富裕な階層であり、店舗張ったうえに農業をも兼ねている地主層多かった村肝煎むらきもいり)、算用聞(さんようきき)、組合頭など新町役人多くはこの階層から選出されている。地元土地のほかに近隣の村落に進出して懸作地(かけさくち)を保有する者が少なくなかった」とある。 青井家の由来について知るには、過去帳のほかに金石文史料として伊勢領にある青井家の墓地墓碑がある。昭和60年1985年)に改装され今はすっかり様子変わってしまったが、それ以前には墓地中央大きな石碑立っていた。その側面を見ると、建立者の名前とその時期が「小杉新町伊勢領屋忠次五代」、「元治元子七月」と彫られ正面には夫婦二名ずつ初代伊勢領屋忠治郎から四代までの戒名見られる初代戒名は「普明院清空居士」(安永九年一一三日没)であるが、安永九年といえば1780年のことであり、道間(俗名不詳)の時代からは90年ほどの隔たりがある。したがってなぜ初代としたのかはよくわからないが、青井家中興の祖とも言うべき存在であり、それだからこそ“初代”として子孫代々その名を襲名したものと推測される天保10年1839年生まれ五代目忠次郎は、小杉東町組合頭に任命されているが、これは村肝煎(他藩では庄屋にあたる)に次ぐ地位であり郡奉行認可を必要とした。小杉町では有力者だったわけである。元治元年1864年)には墓地祖先顕彰する墓碑建てた実家 祖父忠次郎 - “伊勢領屋”六代目1912年明治45年)没 明治入って戸長村会議員町会議員などを務めた祖母・はる 1848年嘉永元年)生〜1924年大正13年)没 はるはもともと青井家の家つき娘で、五代目忠次郎に男子無かったため、県下氷見郡太田村網元森本家から、その三男を六代目として養子にとった。それが夫の忠次郎である。地主の娘としての鷹揚とともに派手好きなところもあった。 忠治が「おれ、東京に行くよ」と祖母のはるに決心告げたとき、たえず忠治をかばい可愛がったはるは、「頑張ってひとかど人物にならにゃいけんぞ。青井家は立派な家柄なんじゃから…おまえの父親伊八郎さえ生きとったら、忠治、おまえが本家の跡を継いでよかったんじゃ…」と、くどいほど繰り返した。 父・伊八1870年明治3年)生〜1915年大正4年5月1897年明治30年3月県立福野簡易農学校卒業して初め暫くの間、県の技手として米穀検査員の仕事をした。農学校習った酪農経営新知識をもとに、ホルスタイン種乳牛飼育して牛乳販売するという事業を始めたが、忠治生まれて一年もたったころには金繰りがつかず倒産してしまった。 母・うた(旧姓加藤1885年明治18年)生〜1914年大正3年6月自家 妻・多津子東京府大熊春吉の五女) 1908年明治41年)生〜1977年昭和52年8月1908年明治41年9月28日東京府豊多摩郡高井戸町久我山五八七番地で、父・大熊春吉、母・タイの五女として生まれた大熊家は450年続いた旧家本家で、当時付近一帯90町歩土地持ち屋敷だけでも3町歩はあるという大地主だった。多津子1926年大正15年3月実践高等女学校卒業した1929年昭和4年10月青井忠治結婚した晩年油絵親しんだ長男忠雄実業家丸井グループ名誉会長1933年昭和8年3月生〜同妻(愛媛県政治家増原恵吉(元防衛庁長官参院議員)の長女) 同長男・浩(丸井グループ代表取締役社長長女 二男忠次郎(実業家1935年昭和10年3月生〜 二女 三男・忠三郎実業家1936年昭和11年11月生〜 三女 四男・忠四郎実業家1942年昭和17年4月生〜同長男・茂(実業家) 茂の妻(フリーアナウンサー山岸舞彩同次男・実(NHKアナウンサー

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「青井家」を含む「青井忠治」の記事については、「青井忠治」の概要を参照ください。

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