雨
『彼岸過迄』(夏目漱石)「雨の降る日」 或る年の11月の雨の午後遅く、紹介状を持った客が、高等遊民・松本恒三の家を訪れた。客間で応対している間に、松本の末娘・2歳の宵子が、夕飯を食べていて急に意識を失い、死んでしまった。宵子の葬儀を済ました後、松本は、「おれは雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男がいやになった」と、家族に言った〔*田川敬太郎が田口要作の紹介状を持って訪問した日も、雨だったので、会ってもらえなかった〕。
『武器よさらば』(ヘミングウェイ)第19・24・41章 看護婦キャサリンは「雨がこわい。雨の中で自分が死んでいる姿が時々見える」と言う。雨の夜、フレデリック中尉はキャサリンと別れて前線へ行き、雨の夜、2人は憲兵に逮捕されそうになって逃げる。そして雨の夜に、キャサリンはフレデリックの子を死産して死ぬ。
『雨の朝パリに死す』(ブルックス) 小説家を目指すチャーリーは、美貌のヘレンと結婚する。しかし原稿不採用が続き、チャーリーの心はすさみ、酒びたりになる。夫婦仲も悪くなって、ともに女友達・男友達を作る。真冬の朝ヘレンが帰宅するが、ドアにチェーンキーがかかっており、チャーリーは酔って寝ているので、彼女は家に入れない。ヘレンは氷雨に打たれて身体をこわし、死ぬ。
『浮雲』(成瀬巳喜男) 富岡とその愛人ゆき子は、戦中から戦後にかけ、何度も別れてはまた縒りを戻す。富岡は妻帯者で、他の女とも浮気をする。ゆき子も米兵や義兄と関係を持つ。富岡は屋久島の営林署に赴任し、病身のゆき子はせがんで彼に同行する。医者は、1年中雨が降り続く多湿の島での生活を、懸念する。ゆき子は宿舎で寝たきりとなり、激しい風雨の日、富岡が森林を巡回中に、息を引き取る。
*英雄ヤマトタケルも、氷雨に打たれて病み、死んでゆく→〔剣〕3の『古事記』中巻。
*雨に打たれて病む子供、雨に打たれて煙突から落ちる掃除夫→〔落下〕5aの『おばけ煙突』(つげ義春)。
*雨女を吸い込むと風邪をひく。死ぬこともある→〔息〕5aの『百物語』(杉浦日向子)其ノ80。
★3.雨の夜の怪物。
『夷堅志』(宋・洪邁)「雨夜の怪」 夜遊びに出た7~8人の学生たちが、驟雨に遭う。彼らは酒屋で単衣(ひとえ)の衾(よぎ)を借り、衾の四隅を竹でささえて、大勢がその下に入って走る。松明(たいまつ)を持って夜廻りする男がこれを見、驚いて逃げる。翌日、夜廻りは府庁に「昨夜、大雨の中、1つの怪物が現れた。上は四角で平らだった。下に20~30の足があり、ぞろぞろ歩いた」と報告した。
『平家物語』巻6「祇園女御」 五月雨の夜に白河院が、祇園に住む愛人(=祇園女御)のもとへ出かける。御堂のそばに発光体が現れ、頭は銀の針のごとく、左右の手に槌のような物と光る物を持っていた。供をしていた平忠盛が組みつくと、それは化け物ではなく、御燈(みあかし)当番の老法師が油瓶と火を持ち、藁束を笠代わりにかぶっていたのだった。
『夜窓鬼談』(石川鴻斎)上巻「驚狸」 小糠雨の夜、目黒村の村長が行人坂を歩く。笠をかぶった子供が、片手に徳利、片手に通い帳を下げて、村長につきまとう。老眼の村長は、左手に傘と燈籠を持ち、右手に眼鏡を持って、子供を見る。子供は叫び声をあげ、狸に変じて逃げ去る。燈籠の火が眼鏡のレンズに反射して巨眼に見え、狸は村長を妖怪と思ったのだった。
★5a.雨を牢に入れる。
『古事談』巻1-74 白河院が一切経を金字で書写し、その供養を法勝寺で行なおうとしたが、雨のために3度も延期になった。4度目の供養日もまた雨が降ったので、白河院は怒り、雨を器に受けて獄舎に置いた。
★5b.雨漏り。
『古事記』下巻 〔第16代〕仁徳天皇は国見をして人民(おほみたから)の貧窮を知り、3年間、課税と夫役(ぶやく)を免除した。そのため皇居は破損し、いたるところで雨漏りがした。しかしそれを修理することもなく、器で雨を受け、天皇は雨が漏らない部屋へ移動した〔*『日本書紀』巻11仁徳天皇4年(A.D.316)では、雨が天皇の衣服や夜具をぬらしたことを記す。器で雨を受けたとか、天皇が雨を避けて移動した、などの記述はない〕→〔国見〕2。
★5c.雨を予知する。
『孔子家語』巻之9「七十二弟子解」 朝、近くへ出かける孔子が、好天なのに従者に蓋(かさ)を持たせた。午後になって雨が降り始めたので、弟子の巫馬期が、「朝には雲もなく日が照っていたのに、どうして雨が降るとわかったのですか?」と問うた。孔子は、「昨夜、月が畢宿(ひつしゅく。おうし座のヒアデス星団)にかかっていた。『詩経』に「月、畢にかかり、滂沱たらしむ」とあるから、雨が降ると知ったのだ」と説いた。
★6.雨音。
『絵本太閤記』 蜂須賀小六が日吉丸に「3日以内に名刀村正を盗み出したら、お前にやろう」と告げる。雨の夜、笠をかぶった日吉丸が忍び込む隙を伺っているようなので、蜂須賀小六は一晩中眠らず、雨音に耳をすませる。実は日吉丸は、雨だれの下に笠だけを置き、自分自身はぐっすり眠っていた。明け方に蜂須賀小六が疲れてまどろんだ時、日吉丸は盗みに入り、刀を手に入れた。
『芭蕉』(能) 唐土(もろこし)・楚国の傍らの山にある某寺には、芭蕉が植え置かれている。昔、その寺は瓦葺きで、雨の音が聞こえなかった。そこで住職は、軒近くに芭蕉を植え、芭蕉の葉が雨を受けて「ほろほろはらはら」と音をたてるのを寵愛したのだった〔*後、芭蕉は女人の姿となって、山の庵の僧が読誦する『法華経』を聴聞した〕→〔成仏〕4。
★7.雨の日は、屋外で働く職人や商人は仕事にありつけず、賃金を得られない。
『雨』(広津柳浪) 雨が10日以上も降り続き、紺屋の手間取り職人吉松(きちまつ)は生活に困窮する。彼は恋女房お八重とともに、6畳一間の貧民長屋で雨の止む日を待つ。そこへお八重の母親お重が、金の無心に訪れる。吉松は、親方から預かった客の着物を質に入れ、金を作ってお重に渡す。客の着物に手をつけては世間に顔向けできず、吉松とお八重は長屋から姿を消す。2人の行方も生死も不明であった。
★8.火の雨。
『神道集』巻2-6「熊野権現の事」 〔第2代〕綏靖(すいぜい)天皇〔在位B.C.581~549〕は、朝夕に7人ずつ人を食べた。ある臣下が、この暴君を滅ぼそうと考え、「某月某日、火の雨が降りますから、当日は岩屋におこもり下さい」と奏上する。天皇が岩屋に入ると、中から出られないようにしてしまい、以後は別の人物が天下の政治を行なった〔*諸国の人々も火の雨の話を信じて、多くの岩屋を造った。今も諸国にたくさんの塚が残っているのは、この時の岩屋である〕。
火の雨塚の伝説 数百年前、浅間山が大噴火して、溶岩や熱灰が火の雨のごとく落下した〔*一説には、昔、〔第25代〕武烈天皇(在位A.D.499~506)が常に暴虐なふるまいをしたので、天の神様が怒り、こらしめのために火の雨を降らせた〕。土地の人は、火の雨の難を避けるために、洞穴を掘って逃げ込んだ。その洞穴が現在の火の雨塚である(長野県北佐久郡立科町南御牧村)。
『和漢三才図会』巻第56・山類「洞」 或る書に言う。〔第7代〕孝霊天皇36年(B.C.255)6月に、火の雨が降った。このとき帝はまずそのことを知り、詔(みことのり)して、人々に塚を造らせ、そこに隠れ栖(す)ませるようにした。また次のようにも言う。〔第25代〕武烈天皇2年(A.D.500)に火の雨が降った。人民は石室を築いて、そこに入っていた。
*火の雨が降り、一個の火の石を寺に祀(まつ)る→〔惑星〕6の星高山の伝説(別伝)。
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