石川鴻斎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 石川鴻斎の意味・解説 

石川鴻斎

読み方いしかわ

書家画家愛知県生。名は英、字は君別号芝山外史雪泥居士西岡翠園の門に学ぶ。子史・経典通じ詩文書画能くする大正7年(1918)歿、87才。

石川鴻斎

読み方いしかわ こうさい

儒者三河生。名は英、字は君別号芝山外史雪泥処士。はじめ西岡翠園に、後に曾我耐軒に師事する詩文のほか文人画能くした。増上寺学林教授となり、清の何如璋らと交流大正7年(1918)歿、86才。

石川鴻斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/04 23:45 UTC 版)

石川 鴻斎(いしかわ こうさい、1833年 - 1918年9月13日)は、日本の詩文家、漢学者画家

本名は英。字は君華。通称は英助。芝山外史、雲泥居士などの号をもつ。

経歴

三河国豊橋の商家に生まれる。西岡翠園、太田晴軒、曽我耐軒らに師事して漢学を学ぶ。

1877年(明治10年)東京に転居。同じ三河出身の和泉屋市兵衛が経営する書店に勤め、編集に携わる。また、芝増上寺の浄土宗学校の開校に際し、漢学の教師に就任。同年、清国の全権公使、副使、随員らが宿所として増上寺に滞在した際に、筆談をもって会談に加わる。

1878年、東京文昇堂より詩文集『芝山一笑』を刊行。

これらにより漢学者としての名声が高まり、この時期に注釈本など数多くの著作を手がけ、小野湖山前田黙鳳依田学海富岡鉄斎などと親交を結ぶ。

主な著作に『夜窓鬼談』(1889、東陽堂)など。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石川鴻斎」の関連用語

石川鴻斎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石川鴻斎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石川鴻斎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS