開発の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 04:28 UTC 版)
「きぼう」の開発は各構成要素ごとに、「開発基礎試験」、「エンジニアリングモデル(Engineering Model:EM)製作試験」、「プロトフライトモデル(Proto Flight Model:PFM)製作試験」の3段階に分けて行われているが、最初に取り組まれたのは使いやすさや圧迫感がないかといった宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士の快適性を考えた心理学的な技術要求を明らかにすることから始まった。 「開発基礎試験」では、各構成要素の構造や機能の検討を行い、また、実物大模型(モックアップ)や宇宙用部品でなく地上の民生品や材料を使ったブレッドボードモデル(Bread Board Model:BBM)を製作して、アクセス性評価試験など各種試験を行い、基本的な設計の実現性を確認するためのデータを取得し、問題点の洗い出しを行い解決している。 「エンジニアリングモデル製作試験」では、実機(フライトモデル)とほぼ同じ形態の技術試験モデルを作り、設計や製造工程の妥当性を確認するための各種試験を行いデータを取得し、機械的・電気的な設計仕様、試験方法、製造工程の確立を行った。問題点・欠陥の洗い出しのため、実際の運用条件より厳しい過剰な負荷を与える試験も行われている。このエンジニアリングモデル製作試験は、筑波宇宙センターで行われた各構成要素を結合しての全体システム試験が1998年10月に終わったことにより完了している。 「プロトフライトモデル製作試験」では、実際にISSに設置される実機モデルが「エンジニアリングモデル製作試験」の時に確立された設計仕様・製造工程で製作され、実際の運用条件での各種試験が行われ、材料や製作上の欠陥がないことを確認している。 この実機モデル製作の流れは、各部品のフライト品が完成すると各要素ごとに組み立てと音響試験、モーダルサーベイ試験、熱真空試験、電磁適合性試験など10種類以上の試験が行われた。各要素の検証作業が終わると筑波宇宙センター宇宙ステーション試験棟に各要素を集めたうえで結合させ、各部の統合試験が行われた他、ISS本体とのインターフェース試験などを行う「きぼう」日本実験棟の全体システム試験(2001年9月-2002年5月)、モジュールリーク試験などが行われた。これが終わると、きぼうは3回に分けて打ち上げられるため、各打ち上げコンフィギュレーションの試験が行われた。 この試験が終わった後、船内実験室が2003年4月22日から6月6日にかけて、船内保管室、ロボットアーム、実験ラックが2006年12月から2007年3月にかけて、船外実験プラットフォーム、船外パレットが2008年9月19日から9月24日にかけてケネディ宇宙センターへと輸送されている。ケネディ宇宙センターに到着後、各要素は宇宙ステーション整備施設(Space Station Processing Facility: SSPF)に搬入され、JAXAやNASAによる適合性確認試験(Multi-Element Integration Test-III:MEIT-III)などの各種試験や打ち上げ前の整備作業が行われ後スペースシャトルで打ち上げられた。 なお、きぼうの開発では実機の開発製造だけでなく、打ち上げ後の軌道上での組立手順や宇宙飛行士の移動方法などの開発も行われており、筑波宇宙センター無重量環境試験棟(Weightless Environment Test Building:WET)内の無重量環境試験設備の1つである直径16m、深さ10.5mの無重量環境模擬水槽(Weightless Environment Test System:WETS)にて、「きぼう」の実物大模型(モックアップ)を水中に設置して船外活動手順開発試験が2000年1月-2005年11月にかけて6回に分けて行われた。ここでは他に船外活動無重量シミュレーション試験も行われている。
※この「開発の過程」の解説は、「きぼう」の解説の一部です。
「開発の過程」を含む「きぼう」の記事については、「きぼう」の概要を参照ください。
開発の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:18 UTC 版)
1920年代以降、広大なアメリカ国内での新しい高速輸送手段として航空機は急速に台頭し、フォッカー F.VIIのような3発のエンジンを持ち10人程度の定員を持つ旅客機や、全金属製の3発機であるフォード トライモータが登場した。 しかしながら、これらの機種は巡航速度が低く航続距離も短かかったため、アメリカ大陸横断の為には複数回の給油が必要なだけでなく、ペイロードも少なく経済性が低かった。この様な状況を受けて、トランス・ワールド航空やユナイテッド航空、パンアメリカン航空などの大手航空会社は、全金属製でより多くの積載量を持ち、かつ自動操縦装置や引き込み脚などの最新技術を採用した旅客機の開発を、ダグラスやボーイング、カーチスなどのメーカーに対して打診した。
※この「開発の過程」の解説は、「ダグラス DC-3」の解説の一部です。
「開発の過程」を含む「ダグラス DC-3」の記事については、「ダグラス DC-3」の概要を参照ください。
開発の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 07:00 UTC 版)
幻灯機式レースゲームは、関西精機製作所が1968年に作った『インディ500』が完成形の一つとして評価を受けており、他者から同システムの亜流エレメカが多数登場した(たとえばタイトーの子会社となるパシフィック工業が作った『ロードセブン』は、タイトーのコンピュータゲーム『スピードレース』の原型となっている)。 中村製作所では当初、創業者同士の交流があった事から関西精機のレースゲームを扱っていたが、1970年10月に改良版の『レーサー』を、1973年10月に大型スクリーンを採用した『フォーミュラX』を、そして画面以外を小型化した本作を1800台製作した。 本作は当時のエレメカ式レースゲームとしてはかなりの人気をおさめ、中村製作所と交流が始まったばかりのアタリ (企業)に1976年11月にライセンス生産された。
※この「開発の過程」の解説は、「F1 (エレメカ)」の解説の一部です。
「開発の過程」を含む「F1 (エレメカ)」の記事については、「F1 (エレメカ)」の概要を参照ください。
開発の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 06:32 UTC 版)
「トヨペット・マスター」の記事における「開発の過程」の解説
開発着手は1953年(昭和28年)10月で、1952年(昭和27年)1月から開発が始まっていたクラウンRSからは1年9ヶ月も遅れてのスタートであったが、発売はクラウンと同時期にせよ、との指示により、突貫で開発された。このモデルの開発には、クラウンの耐久性疑念への「保険」としての意味合いのほか、トヨペット乗用車のボディ架装を多く手掛けて実績を積んできた関東自動車の生産ラインが、トヨタ自工自社製ボディのクラウンへのモデルチェンジで空いてしまうため、これを埋める製品を必要とした政策的意味合いもあった。 開発チームの主査はトヨタ自工技術部設計課の薮田東三で、トラック開発の主査としての経験はあったが、乗用車は初めての担当であった。クラウンの主査である中村健也が車体工場の生産部門出身で、とかく凝り性だったのに対し、薮田は既存パーツを活用しての促成開発を得意としていた。また関東自動車の技術陣も開発意欲は高く、ボディ製作技術を活かして、既にモノコックボディ試作車を独自開発した経験もあった。彼らの協力で1954年(昭和29年)1月末にシャシが、同年3月初旬には試作ボディがそれぞれ完成しており、開発期間はわずか5ヶ月ほどと言うことになる。
※この「開発の過程」の解説は、「トヨペット・マスター」の解説の一部です。
「開発の過程」を含む「トヨペット・マスター」の記事については、「トヨペット・マスター」の概要を参照ください。
- 開発の過程のページへのリンク