トヨペット店
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 00:48 UTC 版)
トヨペット店(トヨペットてん、TOYOPET)は、トヨタ自動車のディーラーの一つ。
注釈
- ^ 2022年7月にクラウン(全店併売化前はトヨタ店の専売)のS30型へのフルモデルチェンジをもって先行リリースされたCUVのクロスオーバーが無地のクラウンを名乗っていたが、2023年10月の「クラウン(スポーツ)」の正式リリースとともに前者は「クラウン(クロスオーバー)」へ変更。同年11月にリリースされたセダンモデルが再び無地の「クラウン」を名乗っている。
出典
- ^ トヨタカローラ札幌グループに仲間入りいたしました。
- ^ トヨタユナイテッド静岡株式会社の情報(国税庁法人番号公表サイト)
- ^ 定休日・営業時間・店舗名に関するご案内(トヨタユナイテッド静岡)
- 1 トヨペット店とは
- 2 トヨペット店の概要
- 3 過去の取扱車種
- 4 ディーラー一覧
- 5 その他
トヨペット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:27 UTC 版)
詳細は「トヨペット (ブランド)」を参照 公募により1947年発売のSA型乗用車・SB型トラックの愛称を「トヨペット」とし、それ以降トヨタの小型車にトヨペットの名がつけられることになった。1954年に発売された1,000ccのSKBトラック(トヨエース)は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時主流の三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、トヨタ自動車始まって以来の成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行した。 1955年に初代クラウンとマスターが誕生。クラウンは外国メーカーと提携せずに前輪独立懸架や低床はしごフレームなど、アメリカ車並の構成を採った最初の純国産乗用車となった。1960年代にはコロナが日産・ブルーバードと「BC戦争」と呼ばれる激しい争いを展開した。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)の技術力で、当時トヨタ車唯一のモノコックボディーを採用してはいたが、既存コンポーネンツの寄せ集めで新味に欠けた初代(T10系)、初期型で強度や耐久性の不足が露呈した2代目(T20系)と、当初は劣勢であったが、「アローライン」スタイルの3代目(T40系)となった翌年の1965年1月、初めてブルーバード(510型系)をかわして国内販売台数で首位となった。 1956年、全国にトヨペット店が登場するが、既存のディーラーを納得させるため、クラウンとマスターはトヨペット店ではなくトヨタ店で扱われ、トヨペット店はコロナを除くと商用車ばかりのラインナップとなった。こうした矛盾からトヨペットの各モデルは段階的に廃止され、1978年の6代目コロナ(T130型)を最後にブランドと車名としての「トヨペット」は廃止されたが、今もなお東京地区( = トヨタモビリティ東京)を除き、販売チャネルにその名を残している。
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トヨペット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 08:45 UTC 版)
「トヨペット・SA型小型乗用車」の記事における「トヨペット」の解説
1947年の発売に当たってSA型乗用車とSB型トラックに与えられた「トヨペット」(Toyopet)という愛称は、「トヨタの愛車」という意味合いから「トヨタ」のトヨ(Toyo)に愛玩物の「ペット」(pet)を組み合わせたものである。戦前からの日産「ダットサン」と並んで、戦後の日本車における代表的な車名として長く親しまれることになった。公募から選定された名称とされ、1949年に商標登録されている。 しかしこの名前は、実は厳密な意味での公募作品ではなかったとも伝えられている。 その経緯について、トヨタ系ディーラーである青森トヨタ自動車の創業者であり、戦前からトヨタ車の販売に携わっていた小野彦之烝(1914年-2006年 元・日本自動車販売協会連合会副会長)が、最晩年に日本経済新聞からのインタビューにおいて、次のような逸話を語っている。 1947年6月頃、豊田喜一郎、神谷正太郎らトヨタ幹部が九州のトヨタディーラー経営者らの激励会を大分県別府市で開き、小野も東北地区ディーラー団体の幹部として同行した。この時の九州訪問団一行には、当時トヨタ自動車販売店組合の理事長を務めていた奈良県の有力ディーラー・菊池武三郎(のち、奈良トヨタ・社長)が参加していた。 喜一郎ら一行は、別府での激励会を終えたあと宮崎県に移動し、現地のホテルで会議を行ったが、その席で菊池ともう一人の関係者(詳細不明)から、数ヶ月後に発表を控えていたSA型乗用車の愛称について「トヨペット」としてはいかがか、との提案があった。 豊田喜一郎もこれを良い名前であると考え、挙母(ころも、現・豊田市)のトヨタ本社に戻ってから公募審査員とも調整し、「トヨペット」という名称を正式決定したのだという。 なお「SA型」は車両型式で、S型エンジンを搭載した最初の車両(ABC...のA)という意味。エンジンの基本型式を車両記号の頭に付けるという方法は、1936年にトヨダ・AA型乗用車が登場してから現在に至るまで基本的な命名規則となっている。
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