開発の進行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 20:17 UTC 版)
設計は、エンジンを稲川と内山、トランスミッションを鈴木弘と川島、ボディを島が担当した。 軽自動車規格の制約で、当初、エンジンは240cc級で計画された。当時の2ストローク軽自動車の上限排気量であった事による。また参考になったロイトが強制空冷直列2気筒であったため、試作エンジンも同様な2気筒とされた。単気筒エンジンに比べれば、振動面では有利であった。このクラスの強制空冷式エンジンには遠心式のシロッコファンが多かった時代であるが、ロイトは騒音が高くなるものの効率に勝る軸流ファンを使っており、鈴木でもこれを模倣している。 エンジン設計自体はお手本のロイトエンジンの存在もあってさほど支障はなかったが、実際のエンジン製作が問題となった。鈴木ではオートバイ用の小さな単気筒エンジン製作経験は十分重ねていたものの、日本ではあまり例のなかった直列2気筒2ストロークエンジンブロックの鋳造は、織機部品の鋳造経験を重ねた鈴木のベテラン工員たちの手にも余り、失敗が続いた。やむなく当初の試作エンジンは、名古屋市に所在し、大小のエンジン製造経験が豊富な旧・三菱系の中日本重工業に、木型を持参して鋳造して貰ったという。アルミ合金ピストンも1気筒あたり100cc超え(試作当初120cc、改良後180cc級)で自動車向けのサイズ・用途のものを自製してみたが、経験不足で冷間時と過熱時のクリアランス両立がうまくできず、最終的に社外のピストンメーカーに製作を委託している。 ジョイントについては、不等速のL型ジョイントを含めて一切ロイトをコピーしたが、加工や強度確保に非常に苦心した。ジョイントを守るゴム製のジョイントブーツも日本車にほとんど先例のないパーツで、後年まで耐久性確保に苦労したという。スプリングは試作段階はロイトの横置きリーフスプリング独立をコピーしたものの、市販時にはコイルスプリング独立(一種のウィッシュボーン式)に変更されているが、オートバイ開発の経験しかない鈴木では、自動車用リーフスプリングの十分な量産経験がなく、当初、ある程度勝手のわかるコイルスプリングを使わざるを得なかっただけである。また当初は伸縮ドライブシャフトに簡易なキーを設けて設計したが、明らかに強度不足で破損続出、スプライン伸縮式に変更した。 一方で、横置きエンジン車のため、差動装置のギアは比較的単純なもので済んだ。そのための工作機械も、稲川の知人で鈴木を以前に退社して関東の機械メーカーに転職した人物のつてを使い、中古の歯切り機を入手して済ませた。ダイナモなどの車載電装品は、国内メーカーの日本電装にロイトのパーツを見本で渡し、これを参考に制作してもらった。 ベアシャシーにシートのみを取り付けた形での試走を開始すると、たびたび故障する部品の強化が図られ、ボディ完成直前にはこの状態での浜名湖一周走行に成功した。 このような開発進行の間、鈴木道雄社長は頻繁に上京して監督官庁である運輸省を訪ね、調査や当局への根回しに努めると共に、しじゅう四輪研究室を訪れ、研究員たちよりも早朝から研究室に陣取るほどの熱心さで、研究員たちを督励したという。道雄が自動車開発にいかに執心していたかがうかがえる。 (参考)ロイトLP400 全長×全幅×全高(mm) 3,450×1,290×1,410 ホイールベース(mm) 2,000 エンジン形式 強制空冷2ストローク2気筒 排気量(cc) 386 ボア×ストローク(mm) 62.0×64.0 圧縮比 6.8 最高出力(ps/rpm) 13/3,750 タイヤ 125-15
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