開発の計画と技術試験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 11:11 UTC 版)
1950年代末より、ソビエト連邦軍はK-10S(AS-2「キッパー」)(英語版)空対艦ミサイルやP-15(SS-N-2「スティクス」)艦対艦ミサイルなど対艦ミサイルの配備に着手した。1967年のエイラート事件を受けて、西側諸国においてもこれらの脅威がクローズアップされ、対艦ミサイル防御(ASMD)が急務となった。 海上自衛隊では、当時進めていた第3次防衛力整備計画ではこれらの施策が間に合わなかったことから、第4次防衛力整備計画での導入を目指していた。これに応じて、ASMDに対応した新型GFCSとして開発されたのが本機である。 開発は、昭和45年度より、「小型射撃指揮装置」として着手された。開発計画は砲制御部とミサイル制御部に区分され、砲制御部は下記のような開発線表が計画されていた。またミサイル制御部については、昭和50年度での委託研究が計画されていた。 昭和45年度 - 委託研究 昭和46~47年度 - 試作 昭和48年度 - 陸上技術試験 昭和49~50年度 - 海上技術・実用試験 技術試験までは順調に進展し、1973年3月に試作機が納入されたものの、開発要求の目標質量3トンを大幅に超過して出来上がっており、このために、追尾レーダーの精度を左右するサーボ機構の追従・応答性に不安が残るなどの問題が指摘された。また予算確保にも問題が生じたことから開発線表の1年延長が決定され、昭和49年度にも引き続いて陸上技術試験を行ったのち、昭和50年度より護衛艦「むらくも」の第2方位盤を試作機に換装しての海上技術・実用試験が開始された。
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