近藤重蔵とは? わかりやすく解説

近藤重蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 21:10 UTC 版)

近藤 重蔵(こんどう じゅうぞう、明和8年(1771年) - 文政12年6月16日[注釈 1]1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣旗本)、探検家守重(もりしげ)[2]、号は正斎・昇天真人[2]。5度にわたって蝦夷地探検をおこなった[3]間宮林蔵平山行蔵とともに“文政の三蔵”と呼ばれる。「大日本恵登呂府」の標柱を立てた人物として知られる一方、書誌学や北方地図作製史の分野でも論じられている人物である[4]




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