諸堂・伽藍とは? わかりやすく解説

諸堂・伽藍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:31 UTC 版)

長徳寺 (光市)」の記事における「諸堂・伽藍」の解説

本堂本尊十一面観世音菩薩は、百済から渡来した仏師安阿弥により彫刻されたものと伝わる。また不動明王像毘沙門天像は弘法大師の手に成るとされる

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諸堂・伽藍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:34 UTC 版)

平間寺」の記事における「諸堂・伽藍」の解説

大本堂 1964年昭和39年5月落慶本尊厄除弘法大師を祭る。堂内には稚児大師救世観音像不動明王愛染明王金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅奉安毎日晨朝護摩供から始まり日中護摩が行われ諸願成就祈願される。また、勅願寺として大本堂大棟には菊花紋章許されている。 大山門 1977年昭和52年11月落慶開創850年記念事業京都東寺四天王像模刻安置上層部分は経庫になっており、同寺で行われる写経会」で写経された経文や、奉納され写経収められている。上層部分に安置されていた薬師如来像は、薬師殿落慶にともない遷座された。(上層部分は非公開不動堂 1890年明治23年創建現在の建物1964年昭和39年)に再建されたもの。本尊不動明王成田山新勝寺本尊勧請関東三十六不動霊場第7番武相不動霊場第1番札所不動門 戦後、第43世隆超和上により福島県有縁の地より山門として移設された。現在の大山門建立に伴い不動門として移設大本堂 大山門 不動堂 不動門 薬師殿(旧 自動車交通安全祈祷殿1963年昭和38年12月創建1970年昭和45年11月現在のインド風の堂宇になる。祈祷殿中央大塔には法輪掲げられている。弘法大師不動明王般若守護十六善神奉安されていた。2006年4月29日大師河原に新祈祷殿完成移転し2008年11月薬師殿」として落慶中興塔八角五重塔1984年昭和59年)、弘法大師1150年御遠忌大開記念として落慶八角形特徴堂宇毎月第一日曜日21日縁日限り内部拝観できる。二層恵果和上像、弘法大師像、興教大師像、両界曼荼羅安置。初層に真言八祖図像金剛界五智如来像、地下大師地区慰霊堂には釈迦如来奉安されている。 経蔵 2004年平成16年5月1日落慶中国最後木版大蔵経といわれる、「乾隆大蔵経」を収蔵本尊釈迦如来天井には仏画家・染川英輔による「飛天」図が荘厳されている。また釈迦如来像正面には巨大な五鈷杵安置されている。天井画京浜急行電鉄扁額賽銭箱川崎信用金庫奉納した経蔵落慶により、川崎大師には七堂伽藍整い戦後復興完了したとされている。 福徳稲荷堂 大本堂不動堂の間に位置する境内諸堂唯一太平洋戦争潜り抜け残った堂宇聖徳太子堂 聖徳太子をまつる。 清瀧権現堂 京都醍醐寺より勧請した清瀧権現をまつる。 薬師殿 中興塔 経蔵 聖徳太子堂 清瀧権現堂 鐘楼堂 大晦日除夜法楽のほか、6月10日時の記念日8月6日広島原爆忌8月9日長崎原爆忌8月15日終戦の日梵鐘打たれる大本坊 寺務所。大玄関には稚児大師祀られており、一般信徒でも拝観できる。 信徒会館 一階ロビー涅槃図成道図などのステンドグラス噴水設置されている。通称「ステンドホール」と呼ばれる地下大講堂」。300収容ホール大日如来像を奉安二階三階は主に信徒接待等に利用される他、結婚式場がある。 中書院 1966年昭和41年5月落慶南側「光聚庵」(崇仁親王妃百合子命名)と北側心月庵」(茶道裏千家家元汎叟宗室鵬雲斎命名)、「静嘉軒」(立礼席)からなる茶室申込みにより借用可能。正月間中などは、信徒接待にも使用される金剛閣 一階正月間中などに、護摩札渡し所となる。二階三階は主に坊入・信接待使用鐘楼堂 大本坊 信徒会館 中書院 金剛閣 護持志納受付所・お護摩受付所 一階ピロティ部分は、護摩札申し込み受付志納受付所。二階篤信信徒接待等の応接利用される清浄光院 檀徒菩提所一般信徒立ち入りできない箇所となっている。 遍路大師像 弘法大師立像菅笠錫杖という遊行遍路姿をとる像の周囲新四国八十八箇所札所石柱が立ち、開設当時貫首四国遍路をした際の砂が埋納されている。 降魔成道釈迦如来像 釈迦如来坐像の池に隣接する形でまつられている。降魔印という印相結んでいる。胎内には印度大菩提会通じて請来された「真身仏舎利」が奉安されている。 「祈りと平和」の像全体金色中央富士山の上光臨した観音モチーフとした女神周囲鹿野苑楽器奏でる天女中央の女神が「祈り」、周囲天女が「平和」を表している。文化勲章受章者円鍔勝三作品第五十五代横綱 北の湖敏満之像 平間寺菩提所とする北の湖敏満(第55横綱、第9・12日本相撲協会理事長)の三回忌の折に建立され銅像八角五重塔見据えている。。

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