現代絵画とは? わかりやすく解説

現代絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)

西洋美術史」の記事における「現代絵画」の解説

1905年当時の批評家からフォーヴ野獣)と呼称された、サロン・ドートンヌ出品され鮮烈な色彩表現持った一連の作品創出し画家たち興した運動であるフォーヴィスムは、20世紀最初絵画革命と言われている。『ジル・ブラス』紙でルイ・ヴォークセル(英語版)に「原色狂宴中にいる野獣たちの集まり」と批判されたようにフォービスム酷評でもって迎えられたが、多く画家伝統縛られない色彩自立感情解放求め態度共感覚え、この新し様式共鳴した主要なメンバーとしてはアンリ・マティスジョルジュ・ルオーアルベール・マルケモーリス・ド・ヴラマンクアンドレ・ドランキース・ヴァン・ドンゲンラウル・デュフィジョルジュ・ブラックらが挙げられるスーラ後期印象主義絵画が持つ色彩理論や、ゴッホ原色表現影響受けた彼らの共通点は、独自の色彩表現探究し色彩写実的役割からの解放目指したことにある。しかしながらこの傾向明確な声明支えられていなかったこともあり大きな流行には至らず1905年ピークとして減衰していくこととなったフォーヴィスム体現し体験した画家たちその後色調技法変えつつ、独自の美学追究しそれぞれの方向性見出していくこととなったフォーヴィスム誕生した同じ年にエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エーリッヒ・ヘッケル(英語版)、マックス・ペヒシュタインエミール・ノルデらを中心として前衛絵画グループブリュッケがドレスデン結成された。ドイツ表現主義第一波とされるこのグループは、強烈な色彩表現特徴とする点においてはフォーヴィスム共通していたが、より濃密な絵画発表している。その他、1909年ミュンヘン結成された新芸術家同盟は、初期メンバーフランツ・マルクアウグスト・マッケワシリー・カンディンスキーらにパウル・クレーが加わることで青騎士へと発展遂げ戦後抽象表現主義につながる大胆な絵画表現試み活動実施している。 その後ピカソブラックによって形態構成における絵画革命キュビスム推進されフアン・グリス加えてモンマルトル中心に活動展開した。特にピカソは、90年に渡る長い生涯のなかで絶え間なく絵画革新実験試み20世紀芸術方向性大きな影響与え続けた1907年発表したキュビスム出発点とも言うべき『アビニヨンの娘たち』では、アフリカの仮面彫刻のようなプリミティブ芸術影響受けた大胆なデフォルメと、セザンヌ学んだ知的構成融合しそれまでになかった新し絵画世界実現成功している。キュビスム対象解体して画面上で再構成するというピカソブラック推進した手法さることながら同時に創出され新聞などの実物直接画面貼付するコラージュという技法生み出された点も、絵画あり方一変させたという点において、後世芸術家多大な影響与えている。ピカソブラックグリスの他、キュビスム代表的な画家としてはフェルナン・レジェロベール・ドローネーらがいる。 キュビスムよりやや遅れて結成され未来派は、詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ中心に活動展開し機械文明におけるダイナミズムスピード感を賛美し積極的な運動表現作品取り入れることを探究した主なメンバーとしてはジャコモ・バッラジーノ・セヴェリーニカルロ・カッラなどがいる。未来派活動絵画のみならず音楽建築彫刻など多方面に及び、先に紹介したボッチョーニその影響受けた彫刻家として知られている。また、マリネッティロシア訪れたことでロシア前衛芸術形成にも大きな影響与えたミハイル・ラリオーノフナタリア・ゴンチャロワらによるレイヨニスムカジミール・マレーヴィチらによるシュプレマティスムといった抽象主義絵画は、こうした影響の中で誕生していった。シュプレマティスム推進していたウラディミール・タトリンアントワーヌ・ペヴスネルナウム・ガボらはその後シュプレマティスム見出した幾何学的形態極地から、さらに推し進めた構成主義推進している。 オランダピエト・モンドリアン創始した新造形主義幾何学的な抽象表現極めた様式のひとつで、モンドリアンキュビスム影響を受け、自然風景を垂直と平の要素にまで還元し、この単純な構図色の三原色組み合わせるという美学到達せしめた。またモンドリアンは、テオ・ファン・ドースブルフとともにデ・ステイル運動推進し絵画とどまらない幅広い芸術分野新造形主義様式拡大していった。 他方、現代絵画のもうひとつ大きな流れとして、人間の心、未知の世界探究し表現する幻想絵画がある。形而上絵画はその代表的様式で、中心的人物のジョルジョ・デ・キリコは、長く伸びた影や人気の無い町並み主題として白昼夢のような郷愁を誘う神秘的かつ不気味な不安を感じさせる作品生み出している。その不安が現実となるかのように第一次世界大戦勃発すると、厄災生み出す社会文化に対して強い批判表明する芸術運動同時多発的に持ち上がったこうした動きはやがてひとつの大きなうねりとなり、あらゆる既成価値否定するダダイスム誕生したマルセル・デュシャン展覧会出品した『泉』と称する便器やひげのあるモナ・リザ描いたL.H.O.O.Q.』はその最たる例である。彼らはあらゆる方法価値転換試み過去芸術文化徹底的な破壊否定推し進めた代表的なメンバーとしてはハンス・アルプフランシス・ピカビアマン・レイなどがいる。 第一次世界大戦後にはシュルレアリスム登場しダダイスムによる否定受けて非合理世界解放することによって新し価値創造目論む動き始まったシュルレアリスム運動詩人アンドレア・ブルトン1924年に『シュルレアリスム宣言』を発表したことによって定義の明確化図られた。芸術分野においてマックス・エルンストサルバドール・ダリルネ・マグリットイヴ・タンギーらを中心として展開されシュルレアリスム運動は、各々想像力を糧に、夢と現実矛盾無く世界構築するような世界超現実)の実現目指した。作品制作にあたり、彼らはデペイズマンオートマティスムフロッタージュデカルコマニーといった新し技法次々と考案し後世無視できない多大な影響残したこうした新し芸術運動様々に展開される一方でアンリ・ルソールイ・ヴィヴァンアンドレ・ボーシャンセラフィーヌ・ルイといったいわゆる素朴派呼ばれる素人画家多く登場してきたことも、現代絵画の変革伝え重要な要素のひとつである。また、エコール・ド・パリ(例:シャガールユトリロキスリングスーティン藤田嗣治)に代表されるように、特定の運動に加わることなく自己の世界表現し続けた画家数多く存在していたことは忘れてならない1945年第二次世界大戦終了すると、戦争影響強く伺わせるいわゆる戦後美術登場した作品としてはフランシス・ベーコン描いた風景中の人物』、ジャン・フォートリエの『人質』に代表されるような、戦争悲劇もたらした人間そのものへの問いかけ含有する悲劇的な様相表現する傾向にあったアメーバのような不定形フォルムと血を連想させる生々しい色彩用いたヴォルスや、幼児精神障害者の描く原生芸術追求しアールブリュット提唱したジャン・デュビュッフェなども代表的な画家として挙げられるフォートリエ表現した厚塗り具象的な作品その後アンフォルメル呼ばれる表現主義抽象絵画として1950年以降もてはやされることとなる。こうした作品は、保守派ジャーナリズムや一観衆から「子供悪戯描き」と揶揄されながらも感覚直接訴えかける新鮮な迫力持った表現形式としてその地位確立させた。他方で、こうした表現主義抽象絵画が採った具象的モチーフ拒否否定することで、現実への復帰試みたネオダダポップアート誕生したのもこの時代であった

※この「現代絵画」の解説は、「西洋美術史」の解説の一部です。
「現代絵画」を含む「西洋美術史」の記事については、「西洋美術史」の概要を参照ください。

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