村井(水木)家の人々
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飯田布美枝 → 村井布美枝 - 松下奈緒、佐藤未来(10歳・12歳)、菊池和澄(7歳) ヒロインであり主人公。次姉ユキエと異なり子供の頃から目立たず内気な性格。10歳頃、男子にからかわれてから長身を気にしており、それを理由に縁談が壊れたこともある。しかし、土壇場で力を発揮すると父から評された。また、同じミシンを長年愛用するなど飽きっぽくなく、苦境に立たされても逃げ出さないなど粘りづよい。プロット上、跡継ぎである兄夫婦の存在と店を手伝う弟の成長により、実家での存在感が小さくなっていた29歳のとき、39歳の村井茂と見合いをした。わずか5日後に鳥取県米子市で挙式し、嫁入り道具も調わず新婚旅行もないまま慌ただしく茂と東京へ向かった。窮乏生活を辛抱づよく凌(しの)ぎながら夫の成功を信じて支え、また二児に恵まれる。原案者の武良布枝(旧姓・飯塚)がモデル。 村井茂(水木しげる) - 向井理、川口翔平(少年)、田中碧海(幼少期) ヒロインの夫であり、もう1人の主人公。太平洋戦争中、陸軍兵士としてニューブリテン島に出征。歩哨のとき攻撃され、前方に単独配置された分遣隊(分隊規模)で唯一生き残った。しかし、敗走時に感染したマラリアの療養中に空襲で左腕を負傷し、無麻酔の切断手術を受けた。左腕を失っても悲観することなく、戦地で終戦を迎えた。戦後、絵で身をたてようと決意、紙芝居画家を経て、東京都調布市で貸本漫画家をしていたときに布美枝と結婚。長く不遇の時代を過ごすものの、どこか飄々とした雰囲気を漂わせながら努力を重ね、貸本漫画から漫画雑誌への進出に成功。独創性、物語性を評価されて40代にして遅咲きの売れっ子漫画家になった。 小学校で遅刻を繰り返したり、子供の頃から価値がないような事物に強い関心を寄せたり、家計が苦しくても仕事の気分転換にプラモデルを買って作ったり、とマイペースで型破りの人物。その一風変わったところが独創的な作品を生み出した、と性格が似ている父から評された。また家庭ではお金や時間に余裕がない中、妻子に対し不器用ながら愛情を注ぐこともある。反面、家訓「寝ている子供を起こさない」を垂れたり、思い入れのあるニューブリテン島への移住を口にしたりする等、ときたま家族を困惑させている。ただし次女・喜子とは気が合う。原案者の夫、武良茂(漫画家・水木しげる)がモデル。 村井藍子 - 青谷優衣(19歳 - )、菊池和澄(9歳)、清水詩音(5歳 - )、篠川桃音(3歳 - )、吉田明花音(1歳半)、星流(10か月)、中田夢梨(乳児) 夫妻の長女。ヒロイン(7歳)を演じた菊池和澄が藍子役で再起用されたように、母親似の性格。幼い妹をたしなめたり、家を飛び出した母に代わって食事の後片付けをしたりする等、しっかり者の長子である。父が水木しげるであることを隠してきたものの、10歳頃に知られて男子にからかわれたり女子からも好奇の目にさらされたりしたことから、小学校が好きではなく成績もぱっとしなかった。だが大学時代に猛勉強、大学4年の1984年(昭和59年)に東京都教員採用試験に合格、小学校教員になった。作中では、ヒロイン子供時代の教訓的なエピソードが長女・藍子で再現されており、その中で同居する祖母(ヒロイン:飯田登志、藍子:村井絹代)が重要な役割を果たした。また進路をめぐる父と娘の対立・和解も再現された(過去:飯田源兵衛とユキエ・いずみ)。なお藍子をとおし、有名人の子供の視点からリアルな子供の世界が描かれた。原案者の長女で現・水木プロ社長の原口尚子(旧姓・武良)がモデル。 村井喜子 - 荒井萌(15歳 - )、松本春姫(5歳) 夫妻の次女。ほかの幼稚園児がいない昼寝時間にブランコに乗ったり、思春期でも妖怪に夢中になったり、と父親似のマイペースな性格で一風変わったところがある。作中ではその孤立しがちな子供の視点からも、リアルな子供の世界が描かれた。祖母・絹代からは性格を「あんたは優しくて、自分を飾らんところがええ。やからあんたと話してるとほっとする」と評価されていた。茂も感心するほど水木漫画を多く読んでおり、茂にとっては性格、話の合う娘であると同時に、最も身近なファンともいえる存在。高校進学前から進路に悩んでいたものの、水木プロを手伝う機会を得たこともあり、短大在学中に、好きな父の漫画にかかわれる同プロへの就職を決心した。原案者の次女で現・水木プロ・マネージャーの武良悦子がモデル。
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村井家の人々
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境港の村井家は、飯田家と好対照であり、そのことが家風にも表れている。核になる夫妻は、前者の修平・絹代が「かかあ天下」で、後者の源兵衛・ミヤコが「亭主関白」である。修平は当時めずらしい大学卒で、東京で学生生活を楽しんだのに対し、父が他界した源兵衛は高等小学校を卒業して家業に従事。また村井家は、家業も大きな資産もないこともあり、子供3人が県外で生活し(最終的に東京に集まる)、結局のところ修平・絹代夫妻も境港を離れてしまう。なお特徴として、子供3人が両親につけたあだ名を使いつづけている。 村井修平 - 風間杜夫 茂の父。食欲など欲望を抑えようとしない質(たち)で、恥になるような話を面白おかしく人に聞かせる等、ひょうひょうとして憎めない人柄。食欲旺盛で「胃が突出して強い」との意味から、息子3人に「イトツ」と呼ばれる。同世代の中で数少ない大学卒の高学歴を持つが、映画館の経営など事業に失敗したり口車に乗せられそうになったりと社会生活に適応するための経済的能力が低い。そのため妻に頭が上がらない。また、学生時代から映画や芝居など芸能が好きで、茂の創作活動にも少なからず影響を与えた。TVアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』がヒットすると夫婦で上京し、茂一家と同居した。1984年(昭和59年)、ゆかりのある弁士の孫・川西志穂に会って未完の映画シナリオの創作意欲が再燃するものの、過去の事業と同じように成功(完成)させることなく家族に看取られて他界した。水木しげるの父がモデル。 村井絹代 - 竹下景子 茂の母。周囲との軋轢(あつれき)を恐れないほど厳格で(モットー:孟子(公孫丑上)「[やましいことがなければ、反対者が]千万人といえども吾ゆかん」)、夫が夫だけに堅実でもある。また、旧家の出を口にするなどプライドが高く、茂に義手を強要するなど世間体をとりつくろう傾向にあるなど総じて修平と正反対なところが多い。よく怒る様から息子たちに「イカル」(怒る)と呼ばれ、煙たがられている。プロットでは、40歳になろうとする茂を心配して強引に帰郷させて布美枝と見合いをさせ、結婚直後左腕がない茂のことを布美枝に託した。もっとも、はがきで茂の安否を問いつづける等、一方的な母性愛で布美枝たちを少々閉口させている。茂一家と同居後、布美枝が茂の世話に専念できるよう「心臓がよくない」と主張し、仮に高齢の夫が一人残されても生活できるよう夫に家事(の訓練)をさせたが、思いがけず夫に先立たれてしまい家事で束縛したことを後悔した。後日、上京した飯田ミヤコに対し長年つれそった夫との死別(対象喪失)を子供でも孫でも補えない深い悲しみと胸中を打ち明けた。水木しげるの母がモデル。 村井雄一 - 大倉孝二 茂の兄。都内の風呂なし市営住宅に住んでいるため、風呂を借りに家族で茂の家をよく訪れる。茂が多忙になった後、水木プロダクション設立に協力し簿記の資格を持つ妻の佐知子を経理担当に推した。水木しげるの兄がモデル。 村井佐知子 - 愛華みれ 雄一の妻で、茂の義姉。結婚前に紙問屋で経理部にいた。簿記の資格を持つため水木プロダクションの経理担当になった。水木しげるの義姉がモデル。 村井光男 - 永岡佑 茂の弟。福岡県で会社勤めをしていた。TVアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』がヒットして茂への取材などが増えたため、退職して上京し水木プロダクションのマネージャーになった。水木しげるの実弟で水木プロ・ゼネラルマネージャーの武良幸夫がモデル。
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