村井絹代 - 竹下景子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)
「ゲゲゲの女房」の記事における「村井絹代 - 竹下景子」の解説
茂の母。周囲との軋轢(あつれき)を恐れないほど厳格で(モットー:孟子(公孫丑上)「[やましいことがなければ、反対者が]千万人といえども吾ゆかん」)、夫が夫だけに堅実でもある。また、旧家の出を口にするなどプライドが高く、茂に義手を強要するなど世間体をとりつくろう傾向にあるなど総じて修平と正反対なところが多い。よく怒る様から息子たちに「イカル」(怒る)と呼ばれ、煙たがられている。プロットでは、40歳になろうとする茂を心配して強引に帰郷させて布美枝と見合いをさせ、結婚直後左腕がない茂のことを布美枝に託した。もっとも、はがきで茂の安否を問いつづける等、一方的な母性愛で布美枝たちを少々閉口させている。茂一家と同居後、布美枝が茂の世話に専念できるよう「心臓がよくない」と主張し、仮に高齢の夫が一人残されても生活できるよう夫に家事(の訓練)をさせたが、思いがけず夫に先立たれてしまい家事で束縛したことを後悔した。後日、上京した飯田ミヤコに対し長年つれそった夫との死別(対象喪失)を子供でも孫でも補えない深い悲しみと胸中を打ち明けた。水木しげるの母がモデル。
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