数学者ってこんな人?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 18:43 UTC 版)
「数学的なジョーク」の記事における「数学者ってこんな人?」の解説
わけがわからないことをする、話が抽象的だ、現実世界との関わりをあまり持たないといった傾向があるという世間一般が考える典型的な数学者像の類型を基にしたジョークもある。 それらのジョークの多くは、エスニックジョークに類するもの、あるいはグレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国のイングランド人とアイルランド人とスコットランド人の違いを論じるジョークのように、数学者と、物理学者、技術者、あるいは他分野の科学者と比較する。そのようなジョークは、他の科学者がなにがしかの実証的・実験的な吟味を行うのに対して、数学者が研究・思考する際には理論的な検証のみを行いそれ以上の実際的な吟味を伴わないことを示している。 純粋数学者、物理学者、そして会計士が求職している。面接官は彼らに「1/3 掛ける 3 は幾らですか」と訊ねた。純粋数学者は「答は当然 1です」と答えた。物理学者は「有効数字5桁で 1.0000です」と答えた。最後に会計士は「1/3 掛ける 3をいくつにしたいんですか?」と答えた。 会計士が「(いわゆる「統計上の嘘」を駆使して)なんならお望みの数値を出してみせますよ」という含みで聞き返しているというのがオチである。計算に対する数学者、物理学者、会計士のそれぞれの特徴が出ているように思われる。 ある数学者とその親友である技術者は13次元空間の幾何学に関する公開講義に参加した。講義の後で「13次元はどうだったかね」と数学者が訊ねると、技術者は「ああなんだか眩暈がしてきちゃったよ」と告白し、「君は13次元空間をどうやって理解するんだい」と聞き返した。数学者は「ああ、それは簡単。まず n-次元空間で一般論を作って、n に 13 を代入すればいいんだよ」と答えた。 数学者は個々の事例から一般へという帰納的なものの考え方よりも、「一般から特殊へ」といったものの考え方(論理の流れ)を好むという話である。 物理学者、生物学者、そして数学者が道に面したカフェに座って道路の反対側の建物に出入りする人々を観察している。最初に彼らは建物に入って行く二人の人物を見、しばらくして建物から三人の人物が出てくるのに気付いた。物理学者は「あれ、見落としがあったかな」と言い、生物学者は「いやいや、なかで増えたんだよ」と言った。それに対して数学者は「もしあと一人が建物に入れば、中には誰もいなくなるね」と呟いたという。 観測に誤差を生じたとき、物理学者は測定のミスを疑い、生物学者は繁殖で状況が変わったのだろうと推測する。数学者が言っている「入ったら中に誰もいなくなる」というのはもちろん 2 − 3 = −1 人が建物にいるという仮想的な状態を考えれば、もう一人入れば −1 + 1 = 0 人(= だれもいない)という状態になるよねという意味である。 つぎは、数学者の思いつきさえすれば具体的な行動はとらないという性癖を表したジョークである。 数学者、技術者、化学者が学会に参加しており、ホテルで隣接した部屋に滞在している。ある夜、彼らは階下のバーにいる。最初に数学者がベッドに戻る。次に化学者、そして数分後に技術者がベッドに戻る。化学者は部屋の外の廊下でゴミ箱が燃えているのに気付く。近くには水が入ったバケツがひとつある。化学者は即席で消火器を作るために二酸化炭素の発生手段を考え始めたが、結論が出る前に到着した技術者が火に水をぶっ掛けて消し止めた。翌朝、化学者と技術者は昨晩の小火騒ぎの顛末を数学者に話すと、数学者は昨晩ゴミ箱から火が出ていたことに気づいていたという。化学者と技術者は数学者になぜ消火しなかったのか訊ねると、数学者は軽蔑するように「火が燃えていて、そばに水入りバケツがある。何をすればいいかは明らかなのに、いったい何の不満があるのかね」と答えたという。 ここには火を消すには二酸化炭素が必要という化学者、それに対して理屈を考えずとにかく行動する技術者、解 (解法) の存在を確認して満足する数学者の構図がある。 一方で一つの数学的結果は膨大な計算や試行錯誤の末に得られることがほとんどであるが、個々の計算や試行の跡は最後には捨てられてしまう。 数学者、哲学者と科学者が談笑している。科学者が「ああ、研究に金がかかって仕方がない。試薬や器具を必要としない君たちが羨ましいよ」と言うと、それに答えて数学者が哲学者の方を見ながら言う。「全く同じことを言いたいよ。僕ら(数学者と科学者)はどちらも紙と鉛筆で研究するが、君(哲学者)はゴミ箱を買わなくて済むからね」と。 ビル・ベイリー (en) による次の例は、数学者の(「無限に続く」状況のような)現実世界ではまあ応用がまるでないような仮言的な状況を作り出す癖に焦点を当てたものである。イギリス・アイルランドなどではビールをパイント単位 (568ml) のグラスで飲むのが通例であることを注意しておく。 無限の数の数学者がバーに入って行く。最初の一人はバーテンダーに近づいて「ラガーをパイント・グラスで頼む」と言い、後のものは皆こぞって「同じものを(すぐ前の者を指して)彼の半分だけ」と延々と続ける。するとバーテンダーは「ああもうおまえらみんなバカヤローだな」と言って2パイントを注いだ。 無限に同じことを繰り返すといつまで経っても終わらずにバーテンダーの気が滅入ってしまうところだが、よく知られているように無限数列 (1, 1/2, 1/4, ...) の総和はきっかり 2 であり、バーテンダーは一度に無限にいる全員分のビールを注いで後は勝手にしろというのである(あるいはヒルベルトの無限ホテルのようにビールが注がれるそばから次の人のグラスに半分ずつ流し込めばバーテンダーが注ぐ有限な時間のうちに無限の客全員が望みの量のビールを得ていることだろう)。ジョーク自体が数学者の類型のひとつを表している一方で、(設定では客のほうが数学者になっているが)実はバーテンダーの行動はまさに数学者のそれであったりするという面白みがある。 天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。 数学のもつ極端な厳密性を笑ったジョークである。 列車に生物学者も同乗しているパターンもある。その場合、生物学者の「あれはヤギだ」がオチとなる。 星が流れるのを見て、占星術師は運命を占い、天文学者は天体の運行を知り、数学者は数学をする。空に虹がかかるのを見て、詩人は詩を作り、気象学者は明日の天気を知り、数学者は数学をする。 数学者は物理現象を扱わない為、社会に興味を持たない傾向があるのを笑ったジョークである。 時として数学者は一般人には奇想天外でしかも常識に囚われないアイディアを出すことがある。 社会学者、物理学者、そして数学者が、同じ長さの閉じたロープによって最大の面積をもつ領域を囲む方法を考えている。社会学者は正方形の囲いを作った。物理学者は円の面積が周囲長の同じ正方形より大きいことを思い出して円を形成し、「君はこれよりも大きくすることができるか」と数学者に問うた。数学者は円形のロープで自分を囲んで「私が今立っているところを外側と定義する」と言った。 地表のような球面に円を置いたとき、円によって分けられる二つの領域のどちらが囲まれた内側であるかということは、それだけでは数学者にとっては実は明らかなことではない。極端に言えば、赤道の周長と同じ長さのロープで囲むものとして話を読めば、数学者は常識的なレベルでも何もおかしなことを言っていないはずである。面をロープで囲むという一見単純な問題でさえ、数学者にかかれば単純とは程遠い自明でない問題の類にされてしまう。
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