数学説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 04:08 UTC 版)
左列 中列 右列 刻み目が非対称的な3つの列にグループ化されていることから、この骨は文字や記号と一定の法則を用いて数を表現する方法(つまり記数法)をつくりだすために使われたものではないかとする意見もある。 中列の数には、3とその2倍の6、4とその2倍の8、そして10とその2分の1の5が含まれていることから、刻み目は適当に付けられたのではなく、2の掛け算や割り算の概念をある程度理解してつけられたものと解釈されてきた。骨自体が簡単な計算機として使われていた可能性もある。左列と右列の数はすべて奇数(9、11、13、17、19、21)であり、右列の刻み目の数は10 + 1、10 − 1、20 + 1、20 − 1であることから十進法を理解していた証拠と考えられてきた。とくに左列は10から20までの素数(四つ子素数)であることから素数の概念が理解されていた証拠とされてきた。 こうした見方に対して、元テクニオン・イスラエル工科大学物理学教授のピーター・ラドマンは、著書『数学はじめて物語(原題:How Mathematics Happened: The First 50,000 Years)』の中で、刻み目の印が数を表したものである可能性は否定しないながらも、それがなぜ素数や2や10の倍数に近い数を示さなければいけないのかが明らかになっていないとして安易な解釈をけん制している。また、素数の概念は割り算の概念が理解されてはじめて存在し得るはずだが、割り算の概念が現れたのは農耕牧畜文化誕生後の1万年前以降であり、さらに素数を最初に理解したのは紀元前500年の古代ギリシアの数学者たちだっただろうと述べ、骨の印を掛け算、割り算や素数が理解されていたことの証拠と解釈することに反対した。さらに、イシャンゴの骨を2万年前のアフリカに数学があったことのシンボルとすることについて「アフリカ系アメリカ人に誇りを植えつけるため」だったとして異議を唱え、この遺物については、「無名数による計数が行われていたこと」に注目すべきであるとした。
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