後楽園球場
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後楽園球場(こうらくえんきゅうじょう、 英語: Korakuen Stadium)は、かつて日本の東京都文京区(建設当時は東京府東京市小石川区)にあった野球場。正式名称は「後楽園スタヂアム」(こうらくえんスタヂアム)。株式会社後楽園スタヂアム(現:株式会社東京ドーム)が管理していた。
注釈
- ^ 現存では阪神甲子園球場やみよしきんさいスタジアムが該当。
- ^ 宮城球場を暫定本拠地としていた1973年(昭和48年) - 1977年(昭和52年)の間も特例として、巨人と日本ハムの主催試合が組まれていない空き日程を利用して10試合前後の主催試合を開催した。ジプシー・ロッテも参照。
- ^ 東急が1954年(昭和29年)に改称。
- ^ この空白の3年間は本拠地が定まっていなかった状態であったが、一般的には一番試合開催数の多い球場が本拠地とされている(最初の2年間は神宮、次の1年が後楽園)。
- ^ 1978年の解散コンサートが当球場で行われ、社会的注目を集めた。
- ^ 1981年の解散コンサートも、当球場で行われた。
- ^ 醍醐猛夫の「ダイゴ」表示は後楽園が初めてではなく、1962年の東京球場で既に行われていた。なお、後楽園球場でも1969年以前のスコアボード時代や1970年代初頭には東京球場以外の球場と同様に「醍醐」と漢字書きで書かれてあった(1970年の日本シリーズなど漢字で表示された)。カタカナ書きへの変更は視認性を考慮して行われたと言われる。
- ^ 横浜スタジアムでの大洋戦。
- ^ 2023年1月からの呼称は「楽天モバイルパーク宮城」。
出典
- ^ a b c 後楽園スタヂアム刊「後楽園の25年」より
- ^ 江本孟紀の著書『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(1982年、KKベストセラーズ発行。コード:ISBN 4584004676)
- ^ a b 【巨人軍80周年あの時】巨人戦3000試合担当“伝説のウグイス嬢”山中美和子さんが語る - スポーツ報知、2014年11月27日26面 Archived 2015年6月28日, at the Wayback Machine.
- ^ 特別コラム 「四番打者の本質」 - 週刊ベースボールONLINE
- ^ 「後楽園に人工芝が登場!」週刊ベースボール別冊 よみがえる1970年代のプロ野球 [Part.3] 1976年編 長嶋ジャイアンツ初V ベースボール・マガジン社.2022年.P37
- ^ “川口和久コラム「2020年をプロ野球新時代の“プレ元年”にしよう!」”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2020年12月14日) 2020年12月17日閲覧。(有料記事のため全文閲覧は会員登録が必要)
- ^ a b 『聴け! 伝説の日本ロック1969-79』宝島社、2004年2月29日、88, 94頁。ISBN 4-7966-3862-8。
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