米英撃滅国民大会とは? わかりやすく解説

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米英撃滅国民大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/26 07:35 UTC 版)

米英撃滅国民大会(べいえいげきめつこくみんたいかい)とは、1941年12月10日真珠湾攻撃からの3日後に後楽園球場で開催された大会。当時戦争に向かって突き進む政府を翼賛し全国民の意志を1つにするために実施された大会であった。

この大会は8社の新聞社通信社による共催であり、8社は報知新聞社東京日日新聞社同盟通信社中外商業新報社読売新聞社国民新聞社朝日新聞社都新聞社である。

定刻午後1時には海軍軍楽隊軍艦マーチを吹奏しながら入場し、開会した。

この大会で徳富蘇峰大東亜戦争は「義戦」であると講演した[1]

次第

  • 開会
  • 宮城遥拝
  • 国歌奉唱
  • 黙祷
  • 挨拶 - 奥村喜和男情報局総裁)
  • 戦況報告 - 大平秀雄(陸軍報道部長、陸軍大佐)、平出英夫(海軍報道部第二部長、海軍大佐)
  • 興亜の暁鐘 - 徳富猪一郎(東京日日新聞社賓)
  • 皇威太平洋を蔽ふ - 緒方竹虎(朝日新聞主筆)
  • 敵国撃滅の底力 - 正力松太郎(読売新聞社社長)
  • アジア攘夷完遂の秋(とき) - 三木武吉(報知新聞社社長)
  • 宣言 - 田中都吉(中外商業新報社長)
  • 決議 - 福田英助(都新聞社長)
  • 聖寿萬歳 - 田中斉(国民新聞主幹)
  • 皇軍萬歳 - 吉野伊之助(同盟通信社長)
  • 大合唱 - 「愛国行進曲」(演奏、海軍軍楽隊、指揮、軍楽隊長、内藤清五)

関連項目

脚注





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