不動産ブームと水鳥の乱獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 17:54 UTC 版)
「エバーグレーズの排水と開発」の記事における「不動産ブームと水鳥の乱獲」の解説
不動産会社は新たに掘削された運河沿いの土地の宣伝と販売を続けた。1912年4月、アメリカ合衆国全土の新聞記者達は最近排水が行われた土地へのツアーに招待されたが、乾季の終わりにあたる時期であったため記者達は排水措置が不十分である事に気付かず、新聞社に戻って工事の進捗を褒めそやした。造成業者は数か月の間に2万区画の土地を売り上げたが、ライトの報告書について否定的なニュースが流れるに連れて、土地の価格は急落し、売上も下がった。家を建てるための乾いた一筆地を購入したつもりだった人々が南フロリダに到着した時に見た物は、一生分の貯蓄を費やして購入した自分たちの土地が完全に水没している光景だった。造成業者は郵便詐欺で訴えられ逮捕された。広告では8週間の内に作物ができる土地を約束していたが、多くの場合、そこを切り開くだけでその位の時間を必要とした。除草のためにソーグラスなどの植物を焼こうとすると、その下にある泥炭が泥炭火災を起こすことが発覚した。動物やトラクターを使って土を耕してみても泥の中に嵌ってしまい、使い物にならなかった。その泥は乾燥すると黒い細塵へと代わり、砂塵嵐の原因となった。移住者は齧歯類の動物、トカゲ類、刺咬性昆虫に煩わされ、蚊の媒介する伝染病や毒蛇、アリゲーターの脅威にも直面した。最初の作物は直ぐに青々と発芽したが、一見何の理由も無いのに発芽と同様素早く萎れて枯れた。後に判明したことだが、泥炭と泥には銅などの植物の成長に必要なミネラルが乏しいことが原因だった。最終的に農務省は1915年に小冊子を発行し、その中でニュー川運河(英語版)に沿った土地の排水を続け肥沃に保つためには費用が掛かり過ぎることになると宣言した。しかし、フォートローダーデールの住民はその小冊子の全てを集め、燃やすという反応を示した。 エバーグレーズの近くにある町の人口が増えてくると、狩猟の機会も増した。その数十年前であっても、ハリエット・ビーチャー・ストウが、訪問者による狩猟に怯えており、1877年にフロリダでは初の保護のための文章を書いていた。「船のデッキは人で溢れており、我々の壮大な森の中で彼らの唯一の考えは何かを撃つという野生の願望であるように思われ、岸に居る全ての生きているものに発砲しようというものである。」と記した。カワウソやアライグマはその毛皮が人気で、最も広く狩られた動物だった。その他の生皮は、1つ8ドルないし15ドルの価格で売れた。数の多かったアライグマは、1915年時点で1つ75セントにしかならなかった。狩猟は規制されずに行われることが多かった。オキーチョビー湖に入った狩猟者は、1回の旅で250頭のアリゲーターと172匹のカワウソを殺したことがあった。 水鳥が特に標的にされた。19世紀の後半から1920年代まで、その羽根が夫人の帽子の飾りに使われた。1886年、推計で500万羽の鳥が殺されて、羽が取られた。鳥の羽は春に交尾と巣作りのために色づくので、通常はその季節に撃たれた。帽子製造産業では羽飾りがエイグレットと呼ばれ、1915年では1オンス (28 g) 32ドルで売買され、金の価格にも相当した。帽子製造業は年間1,700万ドルの売り上げがあり、それが羽の狩猟者を動機付け、彼らは白鷺など大型の鳥類が巣作りする季節に、その巣の近くで待ち伏せ、小口径のライフルで親鳥を撃ち、ひな鳥は飢えるに任せていた。多くの狩猟者は羽のための狩猟の陰惨な結果を見た後では、狩猟に参加するのを拒んだ。それでもエバーグレーズの水鳥から採られた羽飾りは、ハバナ、ニューヨーク、ロンドン、パリで見られた。ニューヨークのある業者は少なくとも60人の狩猟者を雇って、「羽のある鳥ならなんでも、ただしアオサギ、ヘラサギ、その他華麗な鳥は特に」供給させた。狩猟者は運のいい日に100羽の鳥から羽を集めることができた。 羽の収穫は危険な仕事になった。全米オーデュボン協会が、マングローブの林にある営巣地で行われる大量の狩猟を心配するようになった。1902年、森林警備員のガイ・ブラッドリーを雇い、カスバート湖周辺の営巣地を監視させた。ブラッドリーはエバーグレーズの中にあるフラミンゴの町に住んでおり、1905年、隣人の1人が狩猟を行うのを止めようとした後で、その隣人に殺害された。1903年、セオドア・ルーズベルト大統領がペリカン島を野生生物保護区に設定して、最初の野生生物保護区を設立したのは野鳥保護のためだった。 1920年代、鳥類が保護されて、アリゲーターが絶滅寸前まで狩猟された後、アメリカからキューバにアルコールを密貿易しようという者達のために、禁酒法が制定された。ラム酒の密貿易業者は広大なエバーグレーズを隠匿場所に使った。そこをパトロールできるだけの警官がいなかった。漁業が始まり、鉄道が開通し、オキーチョビー湖の泥に銅を添加する利点が発見されると、ムーアヘイブン、クルーイストン、ベルグレードのような新しい町に、前例の無いような多くの住人を生んだ。1921年までに、オキーチョビー湖の周辺の16の新しい町に、2,000人の住人が住んでいた。南フロリダでサトウキビが主要農作物となり、大量生産されるようになった。マイアミでは第2次の不動産ブームが起こり、コーラルゲイブルズの開発業者は1億5,000万ドルを売り上げて、マイアミの北にある未開発の土地は、1エーカーあたり30,600ドルで売れると見ていた。マイアミは大都市となり、建築と文化のルネサンスを経験した。ハリウッド映画のスターがこの地域で休暇を過ごし、実業家は贅沢な家を建てた。マイアミの人口は5倍に増え、フォートローダーデールとパームビーチの人口も何倍にもなった。1925年、マイアミの新聞がある日に重さ7ポンド (3.2 kg) もある版を発行したが、その大半は不動産の広告だった。ウォーターフロントの土地が最も高値を付けた。マングローブの木が伐採され、ヤシの木を代わりに植えて、景色が良くなった。南フロリダのスラッシュ・パインが広く取り払われ、材木に使われたものもあったが、この木は密度が高く、釘を撃ちこんだ時に割れることが分かった。この樹種はシロアリへの耐性もあり、家屋の建設に必要とされるのが急だった。デイド郡の松林の大半が開発のために伐採された。
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