ローマ帝国と初期キリスト教においてとは? わかりやすく解説

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ローマ帝国と初期キリスト教において

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)

反ユダヤ主義」の記事における「ローマ帝国と初期キリスト教において」の解説

初期キリスト教#ローマ帝国におけるキリスト教」および「古代末期のキリスト教」を参照 1世紀ユダヤ教堕落に対して洗礼運動を開始したユダヤ人洗礼者ヨハネは、生粋ユダヤ人ではないイドマヤ系のガリラヤ領主ヘロデ・アンティパス異母兄弟の妻ヘロデヤ結婚したことを姦淫罪として非難し処刑された。洗礼者ヨハネから洗礼受けたユダヤ人ナザレのイエスイエス・キリスト)はユダヤ教改革し、これを民族宗教から普遍宗教変化させた。 35年36年)頃、ユダヤ人キリスト教徒ステファノユダヤ教批判したためファリサイ派石打ち処刑されキリスト教で初の殉教者となったファリサイ派ユダヤ人サウロ当初キリスト教徒弾圧していたが、回心してキリスト教徒となりパウロ改名し、後に聖人となったユダヤ教批判したパウロは「ユダヤ人の敵」で反ユダヤ主義源泉ともいわれる哲学者セネカは、ユダヤ・キリスト両教徒について「極悪な民族習慣はますます強固となって全世界に根を下ろすようになった。被征服者征服者法律定めた」と述べた66年ローマ帝国ユダヤ属州総督迫害に対してユダヤ教過激派反乱起こしてユダヤ戦争始まった70年エルサレム攻囲戦際しローマ軍司令官(後皇帝ティトゥスはユダヤ・キリスト両教徒絶やすためにエルサレム神殿破壊し反乱鎮圧したヨセフスローマ軍投降し熱心党サドカイ派エッセネ派クムラン教団はこの戦争消滅しパリサイ派だけが残ったユダヤ戦争後、ユダヤ教存在許されたが、エルサレム神殿体制崩壊しファリサイ派ヤブネ土地拠点とした。10万近いユダヤ人捕虜は、全ローマ帝国銀貨一枚奴隷として売られた。ユダヤ戦争の際にキリスト教徒反乱に加わらなかったため、ユダヤ教徒キリスト教徒敵視するようになった70年代パレスチナ小アジア成立したキリスト教福音書では、エルサレム攻囲戦生き残った唯一のユダヤ教集団パリサイ派偽善者として批判された。ヨハネ福音書ではユダヤ人は「悪魔から出てきた者」であって「彼は初めから人殺しであって真理に立つ者ではない」と、ユダヤ人キリスト殺し悪魔の子非難しキリスト教反ユダヤ主義神学的表現与えた福音書記されイスカリオテのユダについて、ポリアコフはユダの名前は偶然というよりも意図働いていたのではないか疑っている。 当時の記録では、フラウィウス・ヨセフスリュシマコス引用してモーセユダヤ人に対して何人にも愛想よくしてはならぬ」と説教したと書き、またタキトゥスユダヤ人は彼ら以外の人間には敵意憎悪をいだき、自分たちの間ではすべてを許すと書いた。 132年-135年ユダヤ属州バル・コクバの乱発生したハドリアヌス皇帝鎮圧後ユダヤ教徒による割礼禁止した。この乱以後ユダヤ人エルサレム居住禁止されユダヤ教祭儀実践死刑となった138年アントニヌス・ピウス皇帝割礼許可したが、ユダヤ教宗教活動制限するために非ユダヤ人割礼禁止した3世紀ローマ帝国ではユダヤ教よりも新興宗教キリスト教迫害された。当時キリスト教制度化未熟で、キリスト教聖典学者ラビ教えを請うていた。しかし、キリスト教神学者からの反ユダヤ主義もみられ、オリゲネスは『ケルソス駁論』でユダヤ人救い主に対して陰謀企て、その罪のためにエルサレム滅亡しユダヤ民は破滅し、神による至福招きキリスト教徒移行した論じた313年ローマ帝国皇帝リキニウスコンスタンティヌス1世は「キリスト者およびすべての者らに、何であれその望む宗教に従う自由な権限与える」とのミラノ勅令出したこの頃ユダヤ人ライン川流域奴隷ローマ軍兵士商人職工農民してやってきており、321年勅令ではケルンユダヤ人住民記されている。 330年コンスタンティヌス1世ローマからコンスタンティノープルへ遷都し、やがて西ローマ帝国東ローマ帝国分かれていった。 380年ローマ帝国キリスト教国教とすると、392年にはキリスト教以外の宗教ローマ伝統多神教禁止された。ユダヤ教多神教でなく一神教なのでこの時に迫害受けていない。 4世紀から5世紀になると、ゲルマン諸民族ヨーロッパ勢力拡大し西ゴート族アラリック1世ローマ帝国への侵入繰り返し457年には東西ローマ帝国分離しオレステスオドアケルクーデターによって476年西ローマ帝国滅亡した以後東ローマ帝国ローマ帝国継承された。 カッパドキア教父ニュッサのグレゴリオスユダヤ教徒悪魔一味呪われた者と罵倒したコンスタンティノープル総主教ヨアンネス・クリュソストモスは、ユダヤ人盗賊野獣で「自分の腹のためだけに生きている」と罵倒し「もしユダヤ教祭式神聖尊いのであるならば、われわれの救いの道が間違っているに違いない。だが、われわれの救いの道が正しいとすれば、ーもちろんわれわれは正しいのだがー、彼らの救いの道が間違っている」とし、ユダヤ教徒による不信心狂気であり「神の御子十字架懸け聖霊助け撥ねつけたのなら、シナゴーグ悪魔住まい」だと述べた以来ビザンティン帝国反ユダヤ主義伝統形成され千年後のモスクワ大公国でのユダヤ人恐怖もたらした。ゴールドハーゲンはヨアンネス事例西洋近代へもつながりキリスト教徒にとってのユダヤ教徒は有害で害虫であり、キリスト教徒であることそれ自体ユダヤ人への敵意生み出しユダヤ人を悪の権化悪魔みなしていったとするヨアンネスの『ユダヤ人対す説教(Adversus Judaeos)』はナチス・ドイツにおいて頻繁に引用された。 東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世(在位408-50)はユダヤ人公職追放し、この布告ヨーロッパで受け継がれ18世紀まで効力持った5世紀初頭アウグスティヌスユダヤ人キリスト教信仰受け入れるだろうとし、ユダヤ人イエス殺害により死に値するが、カイン同様地上彷徨わせるべきで、再臨時にユダヤ人過ち認めてキリスト教帰依するさもなければ悪魔の国に落ちるとし、ユダヤ人悲惨な状態のままで生き永らえさせよと主張したキリスト教徒にとってのユダヤ人は、イエス啓示否定するとともにイエス殺害した特別な民族であり、ユダヤ人は神の冒涜者で世界道徳秩序破壊者であり、これはキリスト教文化原理となった4世紀キリスト教教会勝利を収めてから中世通じて反ユダヤ主義断絶しなかった。

※この「ローマ帝国と初期キリスト教において」の解説は、「反ユダヤ主義」の解説の一部です。
「ローマ帝国と初期キリスト教において」を含む「反ユダヤ主義」の記事については、「反ユダヤ主義」の概要を参照ください。

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