ローマ帝国におけるキリスト教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:26 UTC 版)
「初期キリスト教」の記事における「ローマ帝国におけるキリスト教」の解説
ローマ帝国の各都市で活動するパウロやその他の伝道者たちによって、「キリスト教」は1世紀のうちには首都ローマを初め、エジプトのアレクサンドリアにも到達したと見られる。その後パウロはユダヤ教徒からの攻撃が強まっているという情報を得てエルサレムに戻り、その地で逮捕された。その後裁判を受けたが、ローマ市民権を持っていたことから皇帝の法廷に場を移し、ローマに護送された。そしてローマ教会で裁判を待ちつつ2年間伝道を行ったとされる。 パウロらの伝道によって、イエスの死から20年あまりでローマ帝国の各都市に「キリスト教徒」のコミュニティが生まれた。個々の教会は未だ個人の私邸に集まって礼拝を行う小規模な集団であったと想定され、そのありようは多様であったが、教会間の交流は頻繁であった。この中で礼拝形式、文書、説教、組織のモデルとなるようなものも生み出されていき、均質化の流れが生まれていった。
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