ローマ帝国と西ゴート王国の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 01:57 UTC 版)
「タラベラ・デ・ラ・レイナ」の記事における「ローマ帝国と西ゴート王国の時代」の解説
ローマ帝国時代、市の名はカエサロブリガといった。紀元前182年、クイント・フルウィオ・フラコが市を征服した。市は定期的に金を納める都市としてルシタニア属州の一部となった。そしてエメリタ・アウグスタ市(現 メリダ)の合法的な修道院内に含まれる、拡張された地帯の中心地であった。反ローマ反乱の首謀者ウィリアトゥス(英語版)は、紀元前145年から139年までこの領土内で暮らしていた。この時代、カエサロブリガは、ウシの市場と交易が行われる裕福な都市だった。キリスト教化は早くにカエサロブリガで行われ、ローマ帝国衰退後には西ゴート族がこの都市を掌握した。西ゴートはタラベラ・デ・ラ・レイナをアクイス(Aküis)またはアイブラ(Aibura)と呼んだ。紀元602年、西ゴート王リウヴァ2世は市へ贈り物をした。今日までタラベラ・デ・ラ・レイナのキリスト教徒の象徴となっている。聖母マリアの彫像である(ローマ神話の女神セレスの代用でもあった)。女神セレスを讃え、カエサロブリガのローマ人らは毎春モンダスという祭りを祝った。これは現在も聖母マリアの祭りとなって続いている。
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