ボゴタ暴動、コロンビア内戦とは? わかりやすく解説

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ボゴタ暴動、コロンビア内戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 19:36 UTC 版)

コロンビアの歴史」の記事における「ボゴタ暴動、コロンビア内戦」の解説

1946年以降十数年間はラ・ビオレンシア(暴力)の時代と謂われ、争い頂点達した1946年保守党政権誕生すると、徐々に保守党派が自由党派に対すテロ繰り広げるようになった1948年の選挙このような状況の中で行われることになったが、同年開催されボゴタでのOEA会議最中に、当選確実といわれた自由党党首ガイタン暗殺されると、自由党派の市民保守党派の市民衝突しボゴタ暴動(ボゴタソ)が勃発したポプリスモ的なカリスマだったガイタン暗殺されたことによりこの暴動収める能力持った政治家はおらず、この一連の暴動によりコロンビア19世紀のような暴力」の時代迎えた1946年から1950年代末までの「暴力」の時代死者は、全て併せる20万人にも及ぶと推測される1950年保守党から就任した保守派ラウレアーノ・ゴメス大統領は、事態収拾するためと称して教会の政治権利復活などを骨子とした独裁激しくしていき、それに伴い暴力拡大して行った。しかし、この内戦の中でも工業生産増加したまた、この不安定な情勢中でもゴメス反共示して共産党系と自由党系のゲリラ弾圧する傍ら朝鮮戦争にもラテンアメリカ唯一軍隊派遣した地方での暴力拡大しゴメス独裁自由党だけではなく保守党支配層からも受け入れがたいものになっていくと、事態収拾するために両党が軍部介入要請したこのため1953年6月14日軍事クーデターにより朝鮮戦争英雄 グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍政権握りコロンビア史三度目軍事政権発足したロハスカリスマ発揮して民兵武装解除行い部分的に暴力」を収めることに成功したが、 1955年ロハス人民弾圧おこなった地主達に恩赦をかけたために農民蜂起しビジャリカ戦争)、1956年ロハス敬意を示さなかったという理由多数市民虐殺される「牛の首輪」虐殺事件発生などにより、次第民衆の間でも反ロハス感情強まって行ったまた、ロハス労働者保護努める中で、次第自由党保守党から離れてアルゼンチンフアン・ペロンのような独自のポプリスモ支持基盤労働者持とうしたため、両党の寡頭支配層も反ロハス感情抱いていった。こうして反ロハス勢力結集したため、1957年ロハス大統領辞職しスペイン亡命した1958年には、寡頭支配層によって自由・保守両党による「国民戦線体制成立した。これは両党間で4年毎に政権交替するという「たらいまわし連立政策であった背景にはロハスのような自由党保守党特権侵しかねない政権成立寡頭支配層が恐れたことがあるが、しかし、これに反対する自由党農民蜂起相次いだ1959年キューバ革命影響受けて1961年アメリカ合衆国ケネディ大統領主導によって「進歩のための同盟」が発足すると、コロンビア同盟モデル国家となったが、社会問題根本的解決には至らずゲリラ活動活発化し、1966年にはコロンビア革命軍FARC)が発足した1968年メデジン公会議解放の神学誕生した1970年の大統領選挙では亡命先から帰ったロハス独自に国家人民同盟(ANAPO党)から出馬し政界復帰目指すものの、不正選挙敗北する学生中心とした左翼ゲリラ4月19日運動M-19)が生まれた1974年国民戦線体制終了通常選挙執り行われる1978年就任した自由党フリオ・セサル・トゥルバイ・アヤラ大統領は、高まる反政府活動戒厳令布告し弾圧し多く活動家秘密警察による拉致拷問を受け、その多く失踪した1982年就任した保守党のベリサリオ・ベタンクール・クァルタス大統領FARCなど左翼ゲリラ勢力和平実現し1985年にはFARC合法政党である愛国同盟(UP)を創設国政参加したが、議員関係者次々暗殺され1994年には政党資格消失した。また85年には左翼ゲリラM-19によるコロンビア最高裁占拠事件ネバド・デル・ルイス火山噴火死者行方不明者25000人以上)など災難が相次ぎベタンクール大統領は「社会・経済非常事態宣言」を発令した1986年就任した自由党のビルヒリオ・バルコ大統領により、麻薬取締まり作戦実行1989年メデジン・カルテルとの大規模ゲリラ戦闘「麻薬カルテル戦争」が勃発し麻薬カルテル本拠地メデジンからカリ移った1990年大統領就任した自由党セサル・ガビリア・トルヒージョ野党を含む挙国一致内閣組閣し、1991年1886年憲法全面改正され、新憲法公布された。1993年にはメデジン・カルテル最高幹部パブロ・エスコバル治安部隊射殺され1995年には第二麻薬カルテルカリ・カルテルの幹部オレフエラ兄弟逮捕されるなど、麻薬密売組織はほとんど壊滅状態追い込まれたが、1994年就任した自由党エルネスト・サンペール・ピサノ英語版大統領選挙期間中にカリ・カルテルから選挙資金受け取っていたことが "narco-cassettes" から発覚し、「ナルコ・ゲート事件スペイン語版英語版)」として大問題に発展した議会はサンペール大統領弾劾する構え見せアメリカ政府もサンペールの入国ビザ発給拒否するなど外交問題発展した1998年、Quebrada El Billarの戦いスペイン語版フランス語版)(3月1日 - 3月5日)。8月7日就任した保守党アンドレス・パストラーナ・アランゴ英語版大統領は、対米関係重視政策をとり、翌1999年1月にはFARCとの和平対話開始するも、2002年初頭FARCによるテロを受け、和平プロセス中止2月21日es:Retoma de la zona de distensiónでEl Caguán DMZ奪還es:Operación Alcatraz。同夏自由党系の新政党「コロンビア・ファースト」から就任したアルバロ・ウリベ大統領治安回復重点課題とし、左翼ゲリラ右翼の「コロンビア自警軍連合」(AUC)などの民兵組織対策力を注ぐ2006年5月ウリベ大統領再選した2007年es:Operación Emmanuel。2008年es:Operación Jaque、es:Operación Fénixes:Operación Dinastía2009年 - 2010年)。2010年es:Operación Camaleón、es:Operación Sodoma。2011年es:Operación Odiseo。

※この「ボゴタ暴動、コロンビア内戦」の解説は、「コロンビアの歴史」の解説の一部です。
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