ニューウェーブ時代(1960 - 1970年代)
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「スペキュレイティブ・フィクションにおけるLGBT」の記事における「ニューウェーブ時代(1960 - 1970年代)」の解説
1960年代末から1980年までの十数年間、サイエンス・フィクションとファンタジーで同性愛を扱った作品の数はそれ以前の作品数の倍以上にもなった。 Eric Garber, Lyn Paleo, "Preface" in Uranian worlds. 1960年代末までにサイエンス・フィクションとファンタジーは、市民権運動やカウンターカルチャーの発生によってもたらされた変化を反映しはじめた。これらのジャンル内では、そのような変化が「ニューウェーブ」と呼ばれる運動に組み入れられた。ニューウェーブとは、テクノロジーについてはより懐疑的で、社会的にはより解放され、文体の実験により興味を抱いた運動である。ニューウェーブの作家たちは、外の宇宙よりも「内なる宇宙 (inner space)」に興味を持っていた。彼らは性描写に対してそれまでの作家ほど保守的ではなく、性役割の再考や性的マイノリティの社会的立場といったことにより共感的である。マイケル・ムアコック(New Worlds 誌の編集長)などのニューウェーブの編集者・作家の影響下、性やジェンダーの新たなあり方の共感的描写がサイエンス・フィクションやファンタジーで増えていき、普通のことになっていった。ゲイのイメージの導入はまた、1960年代のレズビアン-フェミニストとゲイの解放運動の影響に帰される。1970年代には、SFコミュニティとその作家たちの中でもレズビアンやゲイが存在感を増した。主な同性愛者の作家として、ジョアンナ・ラス、トマス・M・ディッシュ、サミュエル・R・ディレイニーがいる。 フェミニストSFの作家たちは、同性愛や両性愛、あるいは様々なジェンダーモデルが慣習となっている文化を想像した。ジョアンナ・ラスの『フィーメール・マン』(1975)や短編「変革のとき」では、男性抜きで子孫を残していく女性だけのレズビアン社会が描かれており、大きな影響を及ぼした。サイエンス・フィクションに過激なレズビアン・フェミニズムを導入した責任の大部分はラスにある。彼女はレズビアンであることを公表したことがキャリアや本の売れ行きに悪影響を及ぼしたとしている。同様のテーマはジェイムズ・ティプトリー・Jr.の短編「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」dにも見られ、病気によって男性が絶滅した後の女性だけの社会を描いている。その社会では戦争のような「男性」特有の問題がないと、ステレオタイプに描かれているが、同時に停滞した社会であることが描かれている。女性はクローニングで繁殖し、男性を滑稽なものと考えている。ティプトリーは男性名のペンネームを使い、正体をかくして活動していた両性愛者の女流作家で、性を主要なテーマとしていた。 レズビアンとは無縁なフェミニズムのユートピアも描かれている。アーシュラ・K・ル=グウィンの『闇の左手』(1969) は特殊な性別のあり方を描いており、個々の人は「男性」でも「女性」でもなく誰でも子を産むことができる両性具有者の世界である。ル=グウィンの評論集『夜の言葉 ファンタジー・SF論』で彼女は「ゲセン人(『闇の左手』に登場する両性具有の種族)を全く不注意に異性愛者としてしまった……(同性愛のオプションを)省略したことは、性愛といえば異性愛だと認めたことになる。私はこれをとても後悔している」と記している。ル=グウィンは作品の中で様々な性のあり方を探究し、さらにSFが伝統的でない同性愛を許す可能性を試すような作品を多数書いた。例えば、「九つのいのち」e はクローン間の両性の結びつきを描いている。1970年代に活躍したジョン・ヴァーリイの作品には性的テーマと流動的なジェンダーが描かれている。その作品の多くに同性愛やゲイやレズビアンへの言及がある。彼の《八世界》に属する作品では、人類が簡単に性転換できる技術を開発したという設定である。短編「選択の自由」では、その技術が登場した初期のホモフォビアを描いているが、その後は人間関係が劇的に変化し、最終的に両性性が社会慣習となる。また《ガイア》三部作では主人公がレズビアンで、どの登場人物も多かれ少なかれ両性愛者である。 サミュエル・R・ディレイニーはゲイであることを公表した最初のサイエンス・フィクション作家の1人である。初期作品ではゲイについて性的描写をするのではなく、ゲイの「感受性」という面を描いていた。いくつかの作品では同性愛や同性の交際関係がはっきりと暗示されているが、『バベル‐17』(1966) では女性主人公が男性2人と結婚しているという設定で一種のカモフラージュを施している。その3人が互いに愛情を抱いているということが前面に描かれ、3人の間の性行為は直接説明されていない。最も有名なSF長編『ダールグレン』(1975) では、様々な性習慣を持つ登場人物が描かれている。ここでも性行為は作品の中心ではないが、SFとして初めて明示的に説明されたゲイの性の場面があり、ディレイニーは多種多様な動機と行動によって登場人物を描き出している。 ディレイニーのネビュラ賞受賞作品「然りそしてゴモラ」は、去勢された人間の宇宙飛行士たちを描き、彼らに性的に順応する人々を描いている。新たなジェンダーとその結果生じる性的嗜好を想像することで、読者に距離をおいて現実世界を考察させている。同じくネビュラ賞受賞の「時は準宝石の螺旋のように」もゲイが登場しており、アメリカではそれらの作品が短編集 Aye, and Gomorrah, and other stories にまとめられている。ディレイニーはこれらのトピックを扱ったことで出版流通企業から検閲されそうになったことがある。その後ゲイが中心的テーマとなって論争の的となり、サイエンス・フィクションとゲイ・ポルノの境界線をぼやかすようになった。Return to Neveryon シリーズはディレイニーにとって初めてアメリカで大手出版社から出版された作品で、AIDSの衝撃を扱っている。またディレイニーは長年のゲイ&レズビアン文学への貢献に対してウィリアム・ホワイトヘッド記念賞を授与された。 同性愛者に関する多くのサイエンス・フィクションを通読したとき、一種のファッショナブルな自由主義で少数の多少なりとも効果的な試みがあるだけのステレオタイプなシステムと見ることしかできない。 Samuel Delany, "Introduction" in Uranian worlds. LGBTテーマを扱った著名なSF作家の作品としては、ロバート・A・ハインラインの『愛に時間を』(1973) がある。この作品では主要登場人物が同性愛が将来自由となることに強い賛意を表明するが、生殖のための性は理想として保持され続けるべきだとしている。『異星の客』(1961)では、女性の両性愛が単なる快い刺激として描かれ、男性の同性愛は「間違い」として哀れに描かれている。ハインラインの性の扱い方は、トマス・M・ディッシュの評論 "The Embarrassments of Science Fiction" で論じられている。ディッシュは1968年にゲイであることを公表している。同性愛的傾向は詩によく現れており、長編『歌の翼に』(1979) にもあらわれている。他の作品にも両性愛者が登場する。『334』ではゲイを "republicans" と呼び、異性愛者を "democrats" と呼んでいる。しかしディッシュはゲイ・コミュニティのために作品を書こうとしなかった。 エリザベス・A・リンはレズビアンであることを公表しているサイエンス・フィクションおよびファンタジーの作家で、同性愛者を主人公とした作品をいくつも書いている。《アラン史略》シリーズ (1979–80) は第1作が世界幻想文学大賞を受賞したが、文化的背景の平凡な一部として同性愛を描いた初めてのファンタジー長編であり、同性愛を明確かつ共感的に描いている。また第3部ではレズビアンを特に描いている。SF作品『遥かなる光』(1978) では、2人の男性間の同性愛を描いている。また、その原題 "A Different Light" はLGBT専門の書店チェーンの名前になっている。レズビアンの魔法ものの短編「月を愛した女」も世界幻想文学大賞を受賞しており、アメリカでは同性愛を扱ったスペキュレイティブ・フィクションの短編集の表題作となっている。
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