ナチス・反ユダヤ主義との関係
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「マルティン・ハイデッガー」の記事における「ナチス・反ユダヤ主義との関係」の解説
「マルティン・ハイデッガーとナチズム(英語版)」も参照 ※以下、ハイデッガー没後の論争と研究を記す。ハイデッガー生前の出来事や発言・論争は生涯に記載。 1983年、ハイデッガーのナチ時代の演説や文章が息子ヘルマン・ハイデッガーによって編集された『事実と思想(Tatsachen und Gedanken)』が公刊された。同年、ハイデッガーの生徒ハインリヒ・ヴィーガント・ペチェット『星に向かって マルティン・ハイデッガーとの出会いと対話 1929-1976』が刊行され、この書物は『事実と思想』を多く引用した。同年以降、フライブルク在住の歴史学者フーゴ・オットによる研究「フライブルク大学学長としてのハイデッガー」が連続的に公表され、1984年11月3・4日にはノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥングに「ハイデッガーと国民社会主義」を、1988年に『マルティン・ハイデッガー 伝記への途上で』を刊行した。 1987年、チリの哲学者ビクトル・ファリアスは『ハイデガーとナチズム』を発表し、1989年に加筆訂正されたドイツ語版が出された。ファリアスによれば、ハイデッガーは学長就任演説で「クラウゼヴィッツとともに、こう公言する。<私は、偶然の手によって救われるなどという軽薄な希望とは縁を切る>と。」と述べているが、カール・フォン・クラウゼヴィッツの引用は『三つの告白』からで、そこには1812年の「戦争当事者のプログラム」が含まれており、これはナチスから「民心を高揚させる救いの言葉」と賞賛され、クラウゼヴィッツは「隠れたるドイツの預言者」とされ、ヒトラーも『わが闘争』15章でクラウゼヴィッツを引用していた。またクラウゼヴィッツが入会した「キリスト教ドイツ会食会」はユダヤ人を入会させない規則であったが、ここには文学者アルニム、クレメンス・ブレンターノ、クライスト、アダム・ミュラー、哲学者フィヒテ、法学者サヴィニーが集まっており、ファリアスは「反ユダヤ主義のキリスト教の伝統の名残り」としている。ファリアスによればハイデッガーはナチ入党から1945年まで党費を払い続けた。 ファリアスの本は発売日当日リベラシオン紙で「ハイル・ハイデッガー」という見出しで紹介され、フランスで論争が起こった。その後イタリア、ブラジル、オランダ、アメリカ、ドイツでも論争が起こり、この論争に関する論文は600編を越えた。フランスの論争ではフェディエが「悪意をもってでっちあげたもの」と非難し、エマヌエル・マンティーノはヨーロッパの思想に唾を吐いた「チリの悪党」と非難し、またファリアスの資料扱いについてガダマーは「その浅薄な理解はグロテスクなかぎりであり、どうしようもない無知をさらけ出して」いると批判、ジャック・デリダはハイデッガーに関心を寄せる者であればナチスとの関係は昔から知られていたことであるし、「ファリアスはハイデッガーを一時間も読んでいない」と批判した。ジャック・マルローは「惨めったらしい小政治のドブを嗅ぎまわる」と非難した。ハーバーマスはファリアスの本のドイツ語版序文で「ハイデッガーの政治的行動を解明することは、何もかもひっくるめて貶めることを目的としてはならない」「後の時代に生きる我々は、政治的独裁という条件下で、もしも自分がその場に居合わせたら果たしてどのように行動したかを知ることはできない以上、他の人がナチ時代にした行動やしなかった行動を道徳的に評価するのは控えめにした方がよい」し、また世界中の哲学に広範囲に卓越した影響を与え続けたハイデッガーに対して「50年以上も後の今になって、ハイデッガーのファシズムへのアンガージュマンの政治的評価によって、この著作(「存在と時間」)の著作の実質がその価値を減じると推測するのは、本筋を外れた誤りである」としたうえで、「ハイデッガーに総統(Führer)を導こう(führen)と思いつかせたのは、どう見ても、大学教授の特殊ドイツ的な狂気の沙汰と言わざるをえない。こうした経過については、今日では、もう論争の余地はない」「著作とそれを書いた個人の間に短絡的な関連をつけることは許されない。ハイデッガーの哲学的著作が持つ自律性は彼の論証の力に負っており、その点は、彼以外の哲学者の著作の場合と変わるものではない。そうである以上、生産的に彼を自己のものとするためには、論証の仕方に立入り、それをその世界観的脈絡から切り離すことが不可欠なのは当然である。論証的な実質が世界観に深く沈み込んでいる度合いに応じて、吟味検証しつつ獲得するため(sichtende Aneignung)の批判的な力が要求される。[…]彼の政治的アンガージュマンやファシズムに対する彼の態度の変化を一方の極とし、理性批判の論証の方途を―それ自身が政治的な意図をもった理性批判であるがゆえに―他方の極としたときに、その双方の間に内的な諸関係があることを確認しておかねばならないのである」といい、ファリアスの本による議論の展開を望んだ。 ジョージ・スタイナーはハイデッガーが戦後ナチへの加担について謝罪しなかったのは「人間的資質において卑小な性格」で、シュヴァーベン(ドイツ南西部)の「農民的伝統」に取り憑かれていたからだと非難した。ジェフ・コリンズは2000年、『ハイデッガーとナチス』でこの問題を論じた。2005年、エマニュエル・フェイは1933年から1935年にかけてのハイデッガーのゼミナールの分析から、ハイデッガーはナチス登場以前から本来的にファシストであったと論じた。 木田元は学長として大学を守るがために指揮者のカラヤンのようにナチスに協力をせざるを得なかったと述べ、また「ある時腹をくくったんです。人柄は悪い、でも思想はすごい、それで何が悪い、と。」「ハイデガーをやっている連中はハイデガーを神格化して何でもかんでも有難い、あんな立派な人がナチスにコミットするはずがないなどと言い出すし、一方でハイデガーを批判する連中はナチスにコミットするような哲学者のものは読む必要がないと読みもしないで批判する。読んでみればすごい思想家だということはすぐ分かる、しかしナチスにコミットしたことも人柄が悪いのも事実だと認める他はない。」と述べている。また2009年には朝日新聞でナチス協力期のハイデッガーは西洋文明の巨大化に危機意識を持ち、物質的でない自然観の復権を願ってナチスに接近し、アドルフ・ヒトラーを指導してナチスを自身の考える方向に向かわせることを考えていたが、イデオロギー闘争に敗れた、と語る。小野真は「確定的な事実に基づきつつ、ハイデッガーの「性起」の思索の本質構造が、必ずしも国家社会主義的な問題には繋がらないことが論証される」と述べている。奥谷浩一は部分的にナチのイデオロギーと相反するとしても、全体としてはナチズム思想の枠内で行動しており、離脱することはなかったと評している。 ザフランスキーによればハイデッガーは粗野な反ユダヤ主義には距離を置いており、ハイデッガーはユダヤ人の古典文献学者エドゥアルト・フレンケルや物理科学者ゲオルク・ド・ヘヴェシーが解職されそうになったとき、阻止するための文書を文部省へ提出したり、助手のヴェルナー・ブロックのためにも尽力して奨学金を斡旋したこともあったし、ハイデッガーはスピノザが「ユダヤ的」であるなら、ライプニッツからヘーゲルまでの哲学もすべて「ユダヤ的」であるとも1930年代の講義でのべていた。 1949年ブレーメン連続講演のなかで「農業は今や機械化された食料産業であって、その本質においては、ガス室と絶滅収容所における死体の大量生産と同じもの、国々の封鎖と兵糧攻めと同じもの、水素爆弾の大量生産と同じものである」という表現を使い、問題とされている。しかし、ザフランスキーによればこの文章の意味するところは、アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』にも似たような基本的思考が展開しており、ハイデッガーもアドルノと同じく「アウシュビッツが二度と起こらない」意味で書いたものであったが、「アドルノの同じような考えには不快感を抱かなかったまさにそうした人々の中から大きな怒りの声が上がった」という。ザフランスキーによれば、アドルノにとってもそうだが、ハイデッガーにとってのアウシュビッツとは「近代の典型的な犯罪」なのである。
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