ナチス党による軍の掌握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:18 UTC 版)
「ブロンベルク罷免事件」の記事における「ナチス党による軍の掌握」の解説
ゲーリングはブロンベルク辞任後の国防相の座を狙っていた。また、ブロンベルクも辞任に際してゲーリングの名を後任として挙げた。しかしヒトラーは許可せず、国防相の座は空席となった。これをうけてブロンベルクはヒトラーによる国防相兼任を提案している。 また、ブロンベルクは陸軍総司令官の後継としてヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ大将とヴァルター・フォン・ライヒェナウ大将を推薦した。しかしライヒェナウはナチスに近すぎるとしてゲルト・フォン・ルントシュテット上級大将らが反発したため、ブラウヒッチュが後任の総司令官に就任した。このころブラウヒッチュは離婚問題を抱えていたが、ヒトラーが慰謝料を代わって支払うなどして解決している。また、ブラウヒッチュは就任後、16人の将軍の解任と44人の将軍の異動を伴う粛軍を行っている。 その後、ヒトラーは大幅な軍機構改組に着手する。まず統帥権は国防相からヒトラーにうつり、直接最高指揮権を掌握することになった。そして国防省国防軍局を国防軍最高司令部に昇格させた。なお、司令部総長は大将に昇進したカイテルである。国防軍最高司令部には作戦部が設けられ、戦争計画の立案に当たることになった。これまでドイツの戦争計画立案は陸軍参謀本部が行っており、陸軍の影響力は大幅に低下した。 また、軍以外の人事異動も同時に行われた。外相ノイラートは名前のみの無任所相兼秘密内閣会議議長となり、リッベントロップが後継外相となった。他にも大使が数名更迭されている。シャハトの辞職に伴ってゲーリングが兼務していた経済相には宣伝省次官のヴァルター・フンクが就任した。ちなみにフンクは次官時代に同性愛の「濃厚な嫌疑」がかかったが、確証がないとして許されている。総統副官ホスバッハも副官任務を解かれた。 これらの措置は両将軍の辞任とともに、2月5日に発表された。その日の『フェルキッシャー・ベオバハター』紙には「全ての権力が総統に集中」という大見出しが掲載された。 なお、ヒトラー本人が謀略計画を知っていたかどうかについては両説が存在するが、ヒトラーが希望していた国防軍掌握は確実なものとなった。
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