オハ35形とは? わかりやすく解説

オハ35形(スハ33650形)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:17 UTC 版)

国鉄オハ35系客車」の記事における「オハ35形(スハ33650形)」の解説

オハ35系中心的存在となる三等車で、1939年昭和14年)から1943年昭和18年)と1946年昭和21年)から1948年昭和23年)にかけて日本車輌日立製作所汽車製造川崎車輛田中車輛近畿車輛梅鉢車輛帝国車輛新潟鐵工所、それに小倉大宮大井鷹取各国鉄工場合計1,301両が製造された。 丸屋根スハ32形(スハ32800形)の暖地向け最終製造ロットである1938年昭和13年)度製造グループ基本構造踏襲し、前位出入寄りには便所洗面所設置されており、座席定員88名であるが、従来座席1脚ごとに600 mm幅の狭窓配されていたのが2脚ごとに、つまり対面式ボックス1つごとに1,000 mm幅の広窓を配するように変更され眺望改善されたのが最大変更点である。 なお本形式当初スハとされたが、溶接構造化軽量になりオ級であったので、1941年昭和16年)の称号改正の際に重量記号変更が併施され正式に車種記号オハ(オハフも)に変えられ車号書き換え施工されるまでの間小さいオを左肩に付けて、オスハ33650と標記された。 製造時期番号対照次のとおりである。 1 - 5811939年(昭和14年)から1943年昭和18年)にかけて製造されグループで、車体構造出入台部が絞られ丸屋根構造をもち、台枠1939年昭和14年)に落成した1 - 13にUF30が使用されたほかはUF38が、1942年昭和17年以降製造され515 - 520550 - 581には、車軸発電機蓄電池が複電池式から単電池式変更されたことにあわせて、小横梁取り付け寸法修正されたUF116が使用され台車TR23装着し戦前型分類される。 なお、本形式オハフ33形1942年昭和17年)秋の製造車からは、内妻省略等、内装造作一部簡略化簡易化実施されており、内妻板の省略戦後製造車10系客車までの後続系列にも踏襲された。 このうち国鉄当時鉄道省工場製造された車両一部では溶接技術進展などを受け、車体強度増強車体重量軽減ずるなどの目的で側屋根肩まで立ち上げた構造が採り入れられ張り上げ屋根や窓の上下に外付けされていたウィンドウ・シル/ヘッダー外板内側溶接することで外板表面平滑化するノーシル・ノーヘッダーといった当時開発・実用化されたばかり各種車体設計について工作製造方法検証兼ねて、これらのいずれかあるいはそれらを組み合わせた試作車複数製造されたことが知られている。 582 - 693終戦後1946年昭和21年)に製造され丸屋根車のグループで、戦前型同様の丸屋根車。戦後型前期)に分類される。 このグループでは鋼体が全溶組み立てとされ、台車TR34装着することとされていたが工場技術者充足状況から一部リベット組み立てとしたり、台車軸受供給状況部材調達都合などからTR23装着した車両多く中には古いTR11を装着して落成した車両少数ながら存在していたことが確認されている。ただし、星晃証言によれば会計検査問題もあり落成時にTR11を装着した車両存在しなかったとしている。 700 - 1307582 - 693並行して1946年昭和21年)から1948年昭和23年)にかけて製造されグループで、車体構造は車端部屋根曲げ加工簡略化した折妻(半切妻)となり、台車コロ軸受TR34変更され戦後型後期)に分類される製造メーカーにより屋根端部の幅方向絞り有無屋根鋼板張りのものとキャンバス張りのものがあるなどのバリエーション存在する上記新造車のほか、自重変更に伴い他形式から編入され車両が8両あり、最終的に総数が1,309両となり、日本の国鉄鋼製客車としては単一形式での最多両数記録したが、その増備途上戦災に伴う廃車53発生しており、それらの復旧車(694・696)を含めて最大数である1,309両が同時に在籍していたことはない。 のちに車種需給の関係からオハシ30形に3両、マニ36形44両、オヤ35形に1両、オヤ36形に1両などが改造されたほか、101両がブレーキ弁および車掌室を追加設置してオハフ33形改造された。

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オハ35形

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国鉄オハ35系客車」の記事における「オハ35形」の解説

694・696戦災事故破損した車両復旧した際に改番された車両で、694はオハ35 82張り上げ屋根車)、696オハ35 566(丸屋根車)が種車である。 695・1308 - 1313スハ42形他形式の間で台車振替行ったことでオハ35形に編入され車両で、695(元スハ42 50)はスヤ51 1TR23と、1308(元スハ42 87)はマイネ40形TR34と、1309 - 1313(元スハ42 136 - 140)はオロ42形種車となったオロ40 98 - 102TR23それぞれ振り替えられた。 13141955年(昭和30年5月17日東海道本線東田子の浦 - 原間で発生した踏切事故東田子の浦事故)で全焼したスハ32 266名古屋工場復旧改造した車両で、1956年昭和31年)に竣工した種車の鋼体は火災による高熱さらされ木部は完全に焼け落ち側構垂下するほど損傷していたことから、オハ46形新製車グループ)に準じた広窓・完全切妻鋼板屋根に丸パイプ縦樋をもつ鋼体に載せ替えられ種車TR23装着して復旧されたことからオハ35 1313の続番に編入された。 この鋼体載せ替え合わせ台枠 (UF30) も改造され、端付近はUF135(スハ43形の台枠)に近い構造とされた。 1965年昭和40年)に緩急車設備を追設してオハフ33 1011改造された。 1501・15021976年(昭和51年)から1977年昭和52年)にかけてオハ35 10191053広島局所属)を旭川局に転属させることになり、旭川工場北海道向け改造施工した際に改番行ったもの。 従来オハ35形では北海道向け車両本州向け車両区別することなく使用されていたが、本車両は改造され時期比較遅く43系10系寝台車など北海道向けを500番台区別した車両合わせた見られている。

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オハ35形

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JR西日本35系客車」の記事における「オハ35形」の解説

4号車定員72名。

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