1941年称号規程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 08:47 UTC 版)
「国鉄客車の車両形式」の記事における「1941年称号規程」の解説
1941年11月4日達639号(10月1日施行)により、その他の客車から区別して鋼製客車に独自の称号規程が制定された。これにより、形式はオハ等の記号と、2桁の数字(形式番号)で表され、その後に製造番号を1から付番するという現在のような方式になった。形式番号は30 - 99とし、第2位(一の位)の数字0 - 6が2軸ボギー車、7 - 9が3軸ボギー車を表す。そして車種別(ロネ・ハ・ハフ等)ごとに落成順に形式を付ける。ただし実際には鋼製2軸ボギー車には30 - 36、40 - 46、3軸ボギー車には37 - 39、47 - 49を当てた。また形式番号と製造番号の間の空白はないため、オハ351、スハ32600のような標記となる。 なおこのときスハ33650形→オハ35形など、重量記号の変更も多数生じているが、例えばオハ35形でいえば実は製造時から重量としてはオ級だったがスハとしていたものについて、重量記号の改正が同時に行われたものである。詳細は当該項目参照。 暖房車は雑形に分類されたままであったが、1949年7月24日国鉄作47号で鋼製2軸ボギー客車として扱うことになり、改番された。 1942年に、輸送量の増大に伴い、7月30日達423号により車両換算法が改正され、客貨車と機関車の換算法が統一されたが、主に貨車の輸送改善に関わる。
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