1942-1943年とは? わかりやすく解説

1942-1943年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 09:40 UTC 版)

和浦丸」の記事における「1942-1943年」の解説

1942年昭和17年)には、優秀な軍隊輸送船として西はラングーンから東はラバウルまで、上陸作戦最前線への輸送任務従事した1942年6月には貨物船「靖川丸」(川崎汽船6770総トン)などとともに唐津市からパラオ陸兵56人・大砲2門を輸送した後、FS作戦への参加命じられたが、作戦延期のため6月27日ダバオ引き揚げている。ついでポートモレスビー作戦投入され8月14日ラバウル出撃同月17日ニューギニア島東部ゴナ英語版近郊のバサブア(現在のオロ州地名)へ南海支隊揚陸して帰還した同年12月には門司から上海へ航海したことが確認できる1943年昭和18年)中も、ニューギニアなど南方での部隊輸送使用された。スラバヤ発・パラオ行き部隊輸送途中3月18日マカッサル海峡潜水艦による雷撃受けて小破した。ラバウル拠点としたニューギニア東部ブナへの強行輸送反復している。8月17日から22日にかけてはラバウル発・パラオ行きのオ703船団加入して無事に目的地着いた

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1942 - 1943年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/28 13:27 UTC 版)

サンディエゴ (軽巡洋艦)」の記事における「1942 - 1943年」の解説

サンディエゴチェサピーク湾での公試航海の後西海岸向かったパナマ運河通過し1942年5月16日命名元であるサンディエゴ到着した同地空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) と合流して出撃し、ミッドウェー島近海急行したものの、6月4日ミッドウェー海戦には参加できず、6月13日真珠湾到着した2日後6月15日サンディエゴ空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) と行動共にすることとなり、南太平洋戦線出動した8月上旬から、サンディエゴは第17任務部隊属してガダルカナル島上陸端を発するソロモン諸島での一連の戦い参加した反攻するアメリカ軍対し日本海軍強力な航空攻撃艦隊攻撃応戦し、しばしば手痛い損害与えたサンディエゴ9月15日空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) の沈没目撃し10月26日南太平洋海戦では重巡洋艦ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) 、ペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) および軽巡洋艦ジュノー (USS Juneau, CL-52) などとともにホーネット護衛したもののホーネット被弾大破しサンディエゴホーネット放棄立ち会った南太平洋海戦の後、日本軍は「ガダルカナル島アメリカ軍衰微しつつあり、今こそ島から追い落とす好機」と判断し11月中旬大規模な増援部隊投入計画した。これを察知した南太平洋部隊司令官ウィリアム・ハルゼー中将は、投入可能な全ての部隊艦船ガダルカナル島投入することとした。サンディエゴノーザンプトン駆逐艦とともに第二次ソロモン海戦での損傷復旧急ピッチで終わらせた空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を基幹とする第16任務部隊編成しトーマス・C・キンケイド少将率いられることとなった11月12日遅くから11月15日にかけて繰り広げられ第三次ソロモン海戦では、第16任務部隊空中援護専念し海戦損傷した戦艦比叡更なる打撃与えたソロモン方面戦闘日本軍相次ぐ後退という形で一息ついた後、サンディエゴエスピリトゥサント島経由してニュージーランドオークランド帰投した。 1943年におけるサンディエゴヌメア根拠地とし、上半期この方面で唯一の使用可能なアメリカ空母となったサラトガおよび、急遽援軍としてはせ参じたイギリス空母ヴィクトリアス (HMS Victorious, R38) と合流して任務群を構成しムンダブーゲンビル島への攻撃参加した下って1943年11月5日11月11日行われたラバウル空襲では、サンディエゴサラトガ軽空母プリンストン (USS Princeton, CVL-23) を護衛したその後サンディエゴガルヴァニック作戦参加してタラワ占領支援した12月5日空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) がマーシャル諸島沖航空戦雷撃受けて損傷しサンディエゴレキシントン護衛して12月9日真珠湾到着したサンディエゴサンフランシスコ回航されてオーバーホール入りレーダー装置更新戦闘指揮センター設置および、時代遅れになっていた1.1インチ砲に代わる40ミリ機関砲設置が行われた。

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