1942-1943年
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1942年(昭和17年)には、優秀な軍隊輸送船として西はラングーンから東はラバウルまで、上陸作戦や最前線への輸送任務に従事した。1942年6月には貨物船「靖川丸」(川崎汽船:6770総トン)などとともに唐津市からパラオへ陸兵56人・大砲2門を輸送した後、FS作戦への参加を命じられたが、作戦延期のため6月27日にダバオへ引き揚げている。ついでポートモレスビー作戦に投入されて8月14日にラバウルを出撃、同月17日にニューギニア島東部ゴナ(英語版)近郊のバサブア(現在のオロ州の地名)へ南海支隊を揚陸して帰還した。同年12月には門司から上海へ航海したことが確認できる。 1943年(昭和18年)中も、ニューギニアなど南方での部隊輸送に使用された。スラバヤ発・パラオ行きの部隊輸送の途中、3月18日にマカッサル海峡で潜水艦による雷撃を受けて小破した。ラバウルを拠点としたニューギニア東部ブナへの強行輸送も反復している。8月17日から22日にかけてはラバウル発・パラオ行きのオ703船団へ加入して無事に目的地へ着いた。
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1942 - 1943年
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「サンディエゴ (軽巡洋艦)」の記事における「1942 - 1943年」の解説
サンディエゴはチェサピーク湾での公試航海の後、西海岸に向かった。パナマ運河を通過し、1942年5月16日に命名元であるサンディエゴに到着した。同地で空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) と合流して出撃し、ミッドウェー島近海に急行したものの、6月4日のミッドウェー海戦には参加できず、6月13日に真珠湾に到着した。2日後の6月15日、サンディエゴは空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) と行動を共にすることとなり、南太平洋戦線に出動した。 8月上旬から、サンディエゴは第17任務部隊に属してガダルカナル島上陸に端を発する、ソロモン諸島での一連の戦いに参加した。反攻するアメリカ軍に対し、日本海軍は強力な航空攻撃と艦隊攻撃で応戦し、しばしば手痛い損害を与えた。サンディエゴは9月15日の空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) の沈没を目撃し、10月26日の南太平洋海戦では重巡洋艦ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) 、ペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) および軽巡洋艦ジュノー (USS Juneau, CL-52) などとともにホーネットを護衛したもののホーネットは被弾大破し、サンディエゴはホーネットの放棄に立ち会った。 南太平洋海戦の後、日本軍は「ガダルカナル島のアメリカ軍は衰微しつつあり、今こそ島から追い落とす好機」と判断し、11月中旬に大規模な増援部隊の投入を計画した。これを察知した南太平洋部隊司令官ウィリアム・ハルゼー中将は、投入可能な全ての部隊と艦船をガダルカナル島に投入することとした。サンディエゴはノーザンプトンや駆逐艦とともに、第二次ソロモン海戦での損傷復旧を急ピッチで終わらせた空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を基幹とする第16任務部隊を編成し、トーマス・C・キンケイド少将に率いられることとなった。11月12日遅くから11月15日にかけて繰り広げられた第三次ソロモン海戦では、第16任務部隊は空中援護に専念し、海戦で損傷した戦艦比叡に更なる打撃を与えた。ソロモン方面の戦闘が日本軍の相次ぐ後退という形で一息ついた後、サンディエゴはエスピリトゥサント島を経由してニュージーランドのオークランドに帰投した。 1943年におけるサンディエゴはヌメアを根拠地とし、上半期はこの方面で唯一の使用可能なアメリカ空母となったサラトガおよび、急遽援軍としてはせ参じたイギリス空母ヴィクトリアス (HMS Victorious, R38) と合流して任務群を構成し、ムンダやブーゲンビル島への攻撃に参加した。下って、1943年11月5日と11月11日に行われたラバウル空襲では、サンディエゴはサラトガと軽空母プリンストン (USS Princeton, CVL-23) を護衛した。その後、サンディエゴはガルヴァニック作戦に参加してタラワの占領を支援した。12月5日、空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) がマーシャル諸島沖航空戦で雷撃を受けて損傷し、サンディエゴはレキシントンを護衛して12月9日に真珠湾に到着した。サンディエゴはサンフランシスコに回航されてオーバーホールに入り、レーダー装置の更新や戦闘指揮センターの設置および、時代遅れになっていた1.1インチ砲に代わる40ミリ機関砲の設置が行われた。
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