オハフ33形(スハフ34720形)
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オハ35形と対をなす三等緩急車で、1939年(昭和14年)から1943年(昭和18年)と1947年(昭和22年)と1948年(昭和23年)にかけて、日本車輌、日立製作所、汽車製造、川崎車輛、田中車輛、梅鉢車輛→帝国車輛、新潟鐵工所で合計606両が製造された。 スハフ32形(スハフ34400形)の後継車種として、前位出入台側には便所、洗面所が、後位出入台側にはブレーキ弁のある車掌室が設置されているため、座席定員は80名。車掌室側の妻面には屋根への昇降用に梯子が備えられている。 製造時期と番号の対象は次のとおりである。 1 - 3461939年(昭和14年)から1943年(昭和18年)にかけて製造されたグループで、車両構造は丸屋根、台枠はUF38(1942年〈昭和17年〉からUF116)、台車はTR23を装着し、戦前型に分類される。 オハ35形とは異なり、長柱構造車は存在しなかった。 347 - 6061947年(昭和22年)と1948年(昭和23年)に製造されたグループで、車体構造は車端絞りのない折妻で、台枠はUF116、台車はTR34に変更され、戦後型に分類される。 上記の新造車のほかスハフ41形などから改造編入された車両や、後年オハ35形から改造された車両がある。(その後の改造参照)
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オハフ33形
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607 - 626マイネ40形の乗り心地改善のために同車のTR34とTR40を振り替えたスハフ41形は、オハフ33形(戦後型)と同仕様となりオハフ33形新製車の続番に編入された。 627東田子の浦事故で全焼したスハフ32 257を小倉工場で復旧改造した車両で、1956年(昭和31年)に竣工した。 被災前と同様緩急車として復旧し、広窓とされたことからオハフ33 607 - 626の続番として編入された。 車体形状はオハ46形(新製車グループ)に準じるが車掌室は復旧前と同じく客室と後位出入台の間に設けられ、縦樋はスハ43形と同形状の平角パイプに変更されているほか、通風器がスハフ42形に類似した配列(客室上に6基が等間隔、車掌室上に1基の計7基)とされた。 落成後は京都区に配置されその後客窓のアルミサッシ化や便所・洗面所窓のHゴム支持化などの改造を施工され、1986年(昭和61年)に米子区(米ヨナ)で廃車となった。 630スハフ42 18を1960年(昭和35年)に幡生工場で軽量化改造した車両で、施工内容は窓枠のアルミサッシ化や化粧板の硬質繊維板への張替え、天井灯の蛍光灯化、腰掛枠の交換(鋳鉄製から鋼板プレス材に)、出入台開き戸や床下の電池箱、水タンクは10系向けのものに交換された。 改造した際に、スハフ42形の軽量形のオハフ45形ではなく一世代古いオハフ33形に編入された理由は不明である。 落成後は広島区に配置され、1981年(昭和56年)に下関区(広セキ)で廃車となった。 緩急車化改造車客車列車の短編成化や経年緩急車の置き換えなどのため、1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけて旭川・五稜郭・後藤・幡生・小倉・長野・大宮・多度津・高砂の各国鉄工場で101両に緩急車化改造が施工された。 施工内容は車両を反転させ後位1区画の座席を撤去し仕切り壁を設置、車掌室と手ブレーキ、尾灯の設置が行われ、制動筒(ブレーキシリンダー)は前後逆向きに取り付けられた。 車掌室の窓は施工工場により700 mm幅の落とし窓にしたものと1,000 mm幅の客窓をそのまま流用したものが存在し、落とし窓に改造したものは後年に水抜き対策としてナハフ10形等に採用された水抜き用のスリットを設けた車両も見られた。 種車の台車により、下記の番号に区分される。1001 - 1033TR23台車装着車であるオハ35 49・98・123・124・137・139・150・157・184・227・259・282 - 284・293・2345・404・464・2510・2514・620・622・625・638・639・2655・663・666・668 - 670・732・1314に緩急車化改造を施工したグループでその多くが丸屋根車であるが、戦後製折妻車のオハ35 732を改造した1010や東田子の浦事故復旧車で完全切妻車のオハ35 1314を改造した1011、張り上げ屋根車のオハ35 137・139を改造した1014・1017などの変形車も存在した。 1501 - 1568TR34台車装着車であるオハ35 667・715・720・721・724・725・727・733・735・743・744・771・2785・2801・2802・815・818・2843・2876・2880・2885・2913・920・922 - 924・2929・2931・2933・2935・2937・951・2953・2955・1007・1041 - 1043・1061・1066 - 1069・1073・1081・1088・1108・1111・3172・3179・3180・1184・1185・1187・1202・1207・1218 - 1221・3224・1245・1246・1265・1266・1286・1290・1502に緩急車化改造を施工したグループでその多くが戦後製の折妻車であるが、戦後製丸屋根車のオハ35 667を改造した1501、東田子の浦事故復旧車で完全切妻車のオハ35 923を改造した1517、北海道向け改造車オハ35 1502を再改造した1568などの変形車も存在した。またTR23G台車を装備した変形車が2輌確認されている。
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オハフ33形(1)
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1948年に新潟鐵工所で製造された元国鉄オハフ33 520(末期は電気暖房装備で2520に改番)で津軽鉄道には1983年に譲渡されている。機関車に暖房用蒸気供給設備がないためダルマストーブを設置している。
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