オハフ61形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 03:46 UTC 版)
0番台 (1 - 795) 1950年より795両が改造された定員88名の三等緩急車。初めて車掌室を車端に移し、客室との間に出入り台を設けた。この構造は、スハフ42形など以降の緩急車にも継承された。また、客車としては初めて尾灯が妻板に埋め込み式で取付けられた。後に、21両が座席をセミクロスシートとしてオハフ61形1500番台に、2両がオハフ64形になった。1965年には、北海道内で運用されていたオハフ61形 (370 - 379) に2重窓化などの改造を施し、オハフ62形 (31 - 40) に編入した。 > 番号新旧対照 1000番台 (1001 - 1071) オハ61形に緩急車化改造を施し、オハフ61形に編入したもの。1965年から1966年(昭和41年)の間に71両が改造された。定員は0番台車と変わらないが、車掌室が乗降デッキの内側に設置されているため、外観は0番台車と異なる。のちに、2両が1500番台に改造された。 > 番号新旧対照 1500番台 (1501 - 1523) 0番台車と1000番台車に、セミクロスシート化改造を施したもので、1965年から1968年の間に23両が改造された。種車の内訳として、0番台車を改造したものが21両(1501 - 1519・1522・1523)、1000番台車を改造したものが2両(1520・1521)となっている。改造法は、他のセミクロスシート改造車と変わらないが、車掌室があるため、定員は112名となっている。 > 番号新旧対照 この他、木造二等車の代替用として「オロハ61形」も計画されていたが、戦時中に三軸ボギー優等寝台車を三等客車に格下げ改造したマハ47形を元に、二・三等合造客車のスロハ38形に再改造する方が改造費用が安いために増備策として選択され、鋼体化改造車としての実際の増備には至らなかった(普通列車向けが主の並ロと呼ばれる客車二等車→一等車は、やがて1960年代前期には需要自体が減退して廃車されたので、元の車齢の高かったスロハ38等で場つなぎ→廃車という流れを取ったことは結果として妥当であった)。
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