じ‐ほう【寺宝】
読み方:じほう
その寺に伝わる宝物。
寺宝
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熊野観心十界曼陀羅(くまのかんじんじつかいまんだら)- 六道に「仏界」「菩薩界」「声聞界」「縁覚界」を合わせた十界を表した曼荼羅。
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寺宝
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寺宝として、次のようなものがある。 親鸞聖人絵像 三朝高僧真影 聖徳太子真影
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寺宝
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倶利伽羅龍の図 - 北条氏康寄進。巨勢金岡作と伝わる 山越阿弥陀図 - 大道寺政繁寄進。 養勝院殿木像 - 1549年(天文18年)9月18日製。 四季詠歌短冊4枚 - 春夏秋冬の歌を記載した短冊。春は後柏原院、夏は九条忠栄、秋は仙洞、冬は八条桂光院の筆と伝わる。 銅雲盤 - 北条綱成寄贈。天文17年(1548年)の銘が残る物だが、明治15年の火災で焼失した。新編相模国風土記稿に絵図が残っている。
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寺宝
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寺宝
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棟方志功『深大無尽蔵』、松村呉春『涅槃図』(京都市指定文化財)、濱本信博『双龍図絵』などを所蔵する。
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寺宝
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祖師像 文政12年(1829年)松戸住竹内源八により修理または奉納されたものという。 北辰妙見菩薩 桓武天皇の後胤という千葉大隈守平胤貞軍陣鎮護の像と言われ浄行院日祐(大本山正中山法華経寺3世)から授与されたものという。
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寺宝
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木造日蓮上人坐像 仏師式部卿が制作。式部卿は喜多院(川越市)の天海僧正坐像を制作した大仏師式部卿の子または弟子とみられる。
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寺宝
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八臂弁財天(はぴべんざいてん):本尊、秘仏(鎌倉時代後期作)毎年元旦から15日間のみ開帳。8本の腕を持った音楽・財富・智恵・延命を司る弁天様。 裸形弁財天:脇仏 賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ):なで仏は、釈迦の弟子で十六羅漢の一人。
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寺宝
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「興禅寺 (横浜市南区)」の記事における「寺宝」の解説
観世音菩薩(50センチ)。十一観世音面(75センチ)。西国三十三所観音(ミニ本尊)。
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寺宝
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「成願寺 (尾道市因島中庄町)」の記事における「寺宝」の解説
開基宮地明光の兜印と伝えられる、毘沙門天小像。 同じく明光の開創である同島内の重井毘沙門堂旧本尊、毘沙門天像。 法楽踊の幟が残る。
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寺宝
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紙本著色身延山全景俯瞰図 : 金沢市指定民俗文化財で元禄16年(1703年)同寺の発起講一同が寄進したもの。 七面天女像 : 一円院日脱(身延山久遠寺31世)に遣わされたもので身延町七面山の像と同体という。
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寺宝
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勅額 – 781年に光仁天皇から下賜された木の浮き彫り 鞍 – 五良義清の孫、塩治高貞のものと伝わる。
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寺宝
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「禅定寺 (京丹後市)」の記事における「寺宝」の解説
ちりめんの技法を京都西陣で学んで丹後にもたらしたとされる絹屋佐平治(のちの森田治郎兵衛)が、ちりめん創業の成功を願って二度の断食祈願を行い、織りだした最初の丹後ちりめん「縮み布」を、1705年(享保5年)、禅定寺に奉納した。現在はその端切れが、寺宝として伝わる。
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寺宝
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「大恩寺 (東京都北区)」の記事における「寺宝」の解説
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寺宝
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伝、織田信長焼兜 - 1785年(天明5年)柏原織田家より奉納されたもので、家老生駒主水方綱、津田内蔵助頼利の由緒箱書きがある。
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寺宝
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草分観世音 - 花山法皇が西国33番札所を再興された時に、背に負われた観世音を当寺に納めたと伝わる。「おいづる観音」とも呼ばれ、西国三十三所観音霊場詣りをする者は、最初にお参りをしなければならない観世音とされる。 花山法皇御手判 - 花山法皇の手形が浮き彫りにされている木片。 菩薩面 - 作者は不詳。髪がにぎやかな表現で鎌倉時代の特色が現れ、眉をえぐり抜かれ、口がかすかに開いてる、菩薩の顔をした行道面。 襖絵 - 廃仏毀釈で失われたが、極彩色の王朝絵巻が描かれた32面の襖絵が復元されている。
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寺宝
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大曼荼羅本尊 虚空蔵菩薩像 寺記によれば行基菩薩作で奈良、京都、金沢を経て七尾へ至り、金沢に戻り江戸時代初期頃当寺に安置されたという。特に美術工芸関係者に信仰されている。
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寺宝
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観世音菩薩(50センチ)。十一観世音面(75センチ)。西国三十三所観音(ミニ本尊)。
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寺宝
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不動明王像 - 本尊。天国宝剣(あまくにのほうけん) - 本尊である不動明王像が所持する降魔の剣。 その他は、文化財と重複する。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:42 UTC 版)
円光大師座像 阿弥陀仏立像 張貫の御影 朝日大黒天像・・・豊臣秀吉の持念仏で、伏見城の巽櫓(たつみやぐら)にあったものとされる。出世大黒天ともいう。 愛染明王像 即一六躰地蔵
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 11:06 UTC 版)
毘沙門天王 - 鎌倉時代の作。寺伝では慶派の作と伝わる。 不動明王 - 鎌倉時代の作。黄不動立像。 役行者神変大菩薩 大日如来 - 平安後期の作。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:10 UTC 版)
「薬王寺 (徳島県美波町)」の記事における「寺宝」の解説
高野大師行伏図画:瑜祇塔の1階に展示。空海の生涯を描いている。
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寺宝
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「本覚寺 (秋田県美郷町)」の記事における「寺宝」の解説
「貞観の写経」(秋田県指定文化財、1953年3月10日指定) 白雲筆「真景帖および彩絵方」(詳細上述。秋田県指定文化財、1960年11月5日指定) 安田田騏筆「白雲上人画像」(秋田県指定文化財、1953年3月10日指定) 伝定朝作「聖観音像」
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:16 UTC 版)
弘法大師御おころも衣:高野山奥の院御廟で入定されている弘法大師の御衣替えされた衣を明治15年(1882年)に賜る。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 22:33 UTC 版)
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:21 UTC 版)
古銭 昭和11年(1936年)寺近くの耕作地から木箱入りの開元通宝(621年初鋳)、宣徳通宝(1433年初鋳)などの中国銭や朝鮮通宝(1423年初鋳)などの44種およそ20,000枚にも及ぶ多量の銅銭が発見された。開基の大谷伊織は北条氏直の家臣であり小田原城落城時に寺へ避難したと伝わることからこれがその時の隠し銭ではないかと言われる。ただし、小田原城落城の天正18年(1590年)にはすでに没していたため古銭を埋納したのは子の大谷喜右衛門とも言われる。相模原市登録有形文化財(歴史資料)。
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寺宝
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大聖人題目本尊 この他久遠寺法主の日乾(21世)、日遠(22世)、日暹(26世)の本尊も伝わる。 日蓮聖人像 鎌倉時代作と伝わる。日等が日乾から贈られたもの。 鬼子母神像 久遠成院日親の作と伝わる。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 15:27 UTC 版)
親鸞・蓮如連座像 絹本著色 室町時代 親鸞聖人の坐像を上位に蓮如上人の坐像を下位に描く。 三首詠歌の落し文 文明年間(1469年~1487年)の第11代住職光房に与えた蓮如直筆の手紙。
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寺宝
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「長江寺 (島根県川本町)」の記事における「寺宝」の解説
獏頭(ばくとう)の玉枕 (ぎょくちん):将軍足利義稙から上洛戦の戦功で、拝領したと言われている。(この枕で眠れば、すばらしい夢が見られる。)
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 11:22 UTC 版)
※この「寺宝」の解説は、「三室戸寺」の解説の一部です。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 02:16 UTC 版)
伝小野通女筆『徳川家康像』(大養寺本)- 家康72歳の時の寿像。 秀忠乳母の大姥局の念持仏 - 弘法大師作の石像と伝わる。元和7年に局が没し此処に葬られる際移された。現存するか不明。 本尊阿弥陀如来(立像、長三尺五寸)と脇侍の観音勢至両菩薩 - 共に運慶作と伝わる。こちらも現存するか不明。 『註楞伽經』巻第一 - 写経。1882年(明治15年)、清国公使黎庶昌が購入し、本国に持ち帰ったが、1937年(昭和12年)中華民国の国文学者白堅によって蘇州から日本にもたらされ、骨董商江藤寿雄の手を経て京都の弁護士守屋孝蔵のコレクションとなり、1938年には国宝に指定された。同氏没後の1954年に他の古写経と共に京都国立博物館に一括寄贈された。。 江戸時代の有職故実家伊勢貞丈の墓 - かつて当寺にあったが、1922年(大正11年)に世田谷の大吉寺(寺内大吉の生家)に家族の墓碑と共に移された。1929年(昭和4年)都指定旧跡となる。 巨勢至信 - 徳川吉宗生母浄円院の実家で、檀家総代であった。 開基観崇院は幕臣の土屋筑後守の先祖で、戒名は観崇院殿慶譽光信大禅定尼。。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:38 UTC 版)
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 22:36 UTC 版)
伊達家所有の飛び漫荼羅(日蓮と弟子日興の合作)とそれを担いだ御輿が本堂天井に飾ってある。年に一回虫払い法要で拝観できる。 伝承飛び漫荼羅とは、本々は伊達家所有とされ、諸般の事情で質屋に流れていたが、仙台の大火の際、その蔵から飛び出し青葉山山中の松の枝に引っ掛かっていた。その後、火の流れが収まり、城に影響されなかった。それを知った伊達家当代が再び家宝の掛け軸とし重宝した。ちなみにこの説には漫荼羅偽作説と伝承偽造説があり、また日尊開基のためしばらく仏像や謗法物(日蓮正宗では謗法扱い)まであった。現在も灯篭に刻んだ石本尊が境内に見受けられる。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 16:27 UTC 版)
以下の寺宝がある。 不動明王像 織田信雄、稲葉兵庫(いなばひょうご)、藤堂高虎らの朱印黒印 - 3通 藤堂高虎寄進の瑠璃天目茶碗(るりてんもくぢゃわん) - 2個
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 01:15 UTC 版)
宗祖一代図(安政6年(1859年)完成)、釈迦涅槃像(江戸北泉作)、十界互具地獄極楽絵図などを所蔵する。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:01 UTC 版)
秘仏とされる「本門戒壇之大御本尊」(弘安2年(1279年)10月12日図顕、奉安堂に安置) 最初佛 日蓮の御影(祖師像)(奉安堂・戒壇本尊に向かって右側の宮殿に安置) 御灰骨 日蓮の遺骨(奉安堂・戒壇本尊に向かって左側の宝塔に安置) 日蓮の歯である「御生骨」(御肉牙、日蓮の遠忌と法主の代替法要の際にのみ内拝が許される) 日蓮が祈雨の際に用いたとされる「雨の祈りの三具足」 本尊日蓮真筆の本尊(戒壇大御本尊以外)弘安3年(1280年)3月の「師資伝授之御本尊」(「紫宸殿御本尊」との異称は誤謬伝と決判されている。) 建治元年(1275年)11月の本尊 弘安3年(1280年)5月9日南之坊開基の少輔公日禅へ授与の御本尊 弘安3年(1280年)11月本門寺重宝の本尊 日興真筆の本尊「御座替本尊」(正応3年(1290年)10月13日書写、宝永3年(1706年)6月15日に客殿安置本尊として模刻造立) 「御手続御本尊」(正慶元年(1332年)11月3日書写) 「御筆止御本尊」(正慶2年(1333年)1月27日書写) 嘉元元年(1303年)8月13日書写、第17世日精が之を謹刻・開眼し六壷に安置するところの常住板御本尊(これと全く同じものが品川区・妙光寺本堂に安置されている。)等 その他の本尊文永11年(1274年)12月の「万年救護本尊」(大講堂安置の常住板御本尊、真筆は保田妙本寺) 御影堂安置の常住板御本尊(年月日不明、日蓮真筆の本尊を第17世日精が謹刻) 五重塔安置の常住板御本尊(31世日因が寛延2年(1749年)2月28日に書写) 三門安置の常住板御本尊(年月日不明、25世日宥が書写) 典礼院安置の常住板御本尊(66世日達が昭和44年(1969年)1月12日に書写) 納骨堂安置の導師板御本尊(67世日顕が平成16年(2004年)10月に書写) 十二角堂安置の御本尊(年月日不明、56世日応が書写) その他、歴代の大坊重宝常住御本尊 画像、御影像宗祖日蓮「鏡の御影」 御影堂安置の宗祖等身大御影像(元中5年(1388年)造立、越前法橋快恵作) 客殿安置の宗祖御影像(万治3年(1660年)造立・第17世日精造立) 日蓮御真蹟諌暁八幡抄 衆生心身御書 南条殿御返事 宝軽法重事など 刀剣北条弥源太が日蓮に奉納したと伝わる刀剣一振り(国宝)のちに盗難に遭い、現在行方不明。 これらの重宝は「御霊宝」と称され、毎年4月7日に奉修されている御霊宝虫払大法会で虫干しされ、参詣檀徒に披露されている。本尊については120体ほど収蔵されているが、虫払大法会で虫干しされる本尊は9世・日有以前の60体ほどで、残りの本尊は日を改めて関係者のみによって虫干しされる。また、盂蘭盆会の際、客殿内の特設祭壇には現法主書写(最新)の大坊重宝常住御本尊1体が奉掲される。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 04:24 UTC 版)
金銅観音菩薩立像:明和9年(1772年)近くの難波池で頭部が発見され、体部と光背が補作される。昭和49年(1974年)盗難される。平成22年(2010年)、オークションに出品されていたところを見つけ寺が買い戻した。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 15:22 UTC 版)
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寺宝
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絹本著色 玉日姫像 大阪府指定文化財 (昭和50年3月31日指定) 玉日姫は宗祖親鸞聖人の室。(桃山時代)
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 05:43 UTC 版)
マリア観音像 - 純白の高麗焼の像、高さ約30cm、長宗我部元親が救出したスペイン船長より託されたとされる。 黒漆塗梅唐草金銀蒔絵女乗物 - 江戸時代、高鍋藩主秋月種徳女照子(潤性院)が小松藩主一柳頼親へ輿入れの際に乗った女乗物(身分の高い女性用の駕籠)。2015年1月3日公開された。
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寺宝
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「上国寺 (茅ヶ崎市)」の記事における「寺宝」の解説
日蓮聖人像 “三月日永正十一年 作之”の銘がある。寄木造・玉眼嵌入・前後矧ぎ・肩膝前は別木を用いる。およその寸法は像高32.0㎝・袖張42.5㎝・膝張26.0㎝。市内最古の日蓮聖人像として平成8年(1996年)11月1日に茅ヶ崎市の重要文化財に指定された。
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寺宝
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「観音寺 (徳島市国府町観音寺)」の記事における「寺宝」の解説
観音寺縁起 1巻 光明真言印判:弘法大師の筆跡を刻印したものとされる。
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寺宝
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「常福寺 (四国中央市)」の記事における「寺宝」の解説
絵画「椿堂のお杖椿」川端龍子・作。昭和25年、川端龍子が65歳のとき俳人・深川正一郎と三女紀美子と遍路途中、当寺に立ち寄ったときに描かれた。
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寺宝
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金紋袈裟(きんもんげさ) - 開山・日勇が後水尾天皇の皇后・東福門院から寄進された菊のご紋金紋袈裟。五條袈裟と七条袈裟を寄進。日勇没後、五條袈裟は京都市左京区にある本山妙傳寺に相伝。七条袈裟は今も護国寺に格護されている。 総門(そうもん) - 紀州徳川家二代藩主徳川光貞の室・安宮照子による寄進。現存する。 弁財天(べんざいてん) - ある日、開山の日勇の夢に弁財天女が現れ「我は昔、護国院に祀られていた地主神である。法悦のあまり護国寺を永く火難から守護する」と誓った。ここから護国院の旧名を残して護国寺となった。また誓い通り、今に至るまで火災にあっていない。弁財天女は現在も護国寺に火伏せ火難除け守護として祀られている。 妙見菩薩(みょうけんぼさつ)と詫び証文(わびしょうもん) - 江戸時代のある日、護国寺に泥棒が入り、金品を盗まれたことがあった。しかしその日以来、泥棒の夢の中に妙見菩薩が現れ「護国寺に返せ」と何度も告げた。恐れをなした泥棒は護国寺に戻って謝罪し、詫び証文を書いた。それ以後、妙見菩薩は開運と共に盗難除け守護として祀られ、詫び証文は今も護国寺に大切に伝えられている。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/31 02:36 UTC 版)
以下の曼荼羅本尊を所蔵する。 本通院日允(中山法華経寺35世) 智学院日啓(中山法華経寺53世、京都妙顕寺25世、京都頂妙寺19世を歴任) 玄収院日賢(中山法華経寺再往83世) 勝心院日亮(中山法華経寺95世) 順正院日輝(中山法華経寺97世、堺妙国寺29世を歴任) 本良院日因(中山法華経寺112世、池上本門寺67世を歴任) 真行院日綱(中山法華経寺126世) 尊賀院日廷(京都妙覚寺26世) 行学院日朝(身延山久遠寺11世) 善学院日鏡(身延山久遠寺14世) 一円院日脱(身延山久遠寺31世) 六牙院日潮(身延山久遠寺36世) 円通院日輪(身延山久遠寺40世) 耐慈院日辰(身延山久遠寺42世)
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:47 UTC 版)
阿弥陀如来立像 - 鳥仏師作で「浮足の如来」と親しまれている。俊乗房重源の念持仏であった。 法然上人像
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寺宝
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:33 UTC 版)
法然像 - 讃岐の人に与えられたものが、後日ここに移されたという。 兼実像 - 九条家安置の像であった。 弁長像 - 「選択集」を弁長が授かった。
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寺宝
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「静照寺 (寝屋川市)」の記事における「寺宝」の解説
日蓮木像 - 身延山久遠寺奥の院や、千葉県の小湊誕生寺の木像と同じ木で造られた一木三体造りといわれる。 帝釈天像 - 柴又帝釈天題経寺の分霊像という。 鬼子母神石像 妙見菩薩像 - 能勢妙見の分霊という。 大黒天像 摩利支天像 毘沙門天像 八大竜王像 聖徳太子像 救世観音菩薩像
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寺宝
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善寳寺のお札 同寺は山形県鶴岡市に所在しており、北国の漁業者や船乗りからの信奉が厚い。 本尊横の仏像 高さ71cm・幅26cmの楕円筒形の厨子に納められている。全体の重さは4.5kg。 1864年(元治元年)、厚田場所請負人である浜屋の平田与三右衛門が、白津狩(シラツカリ)サケ漁の網で海から引き上げた物。 1867年(慶応3年)に奉納された。 鰐口 (1) 1791年(寛政3年)、3代目村山伝兵衛によって寄進された物。龍澤寺創建の70年前の年号なので、弁天社の旧蔵品と考えられる。 最大径29cm・厚さ10cm。中央の撞座には八葉蓮華文が施され、上部には2か所の耳がある。下半分の唇の厚さや、「目」と呼ばれる左右の取っ手が特徴的である。 北海道博物館に寄託されている。 鰐口 (2) 1792年(寛政4年)、3代目村山伝兵衛によって寄進された物。 最大径37cm・厚さ10cm。撞座に八葉蓮華文が施されている点は前年の鰐口と同様で、2か所の耳には鎖も残っている。 厚田区総合センター内に展示されている。
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寺宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/08 09:42 UTC 版)
板曼荼羅 日蓮聖人木像島根県平田市の本妙寺に疎開していたため焼失を免れ本堂内に現存する。
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寺宝
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元禄6年(1693年)宮崎寒雉作で昭和55年(1980年)12月1日金沢市の有形文化財に指定された。
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