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おだわら-じょう をだはらじやう 【小田原城】
小田原市にある城。鎌倉時代は土肥氏、室町時代には大森氏の居城。1495年北条早雲が攻略、北条氏累代の居城となった。1590年豊臣秀吉の小田原征伐で落城。以後、大久保・阿部など徳川の重臣が城主を継いだ。
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小田原城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/26 12:50 UTC 版)
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- ^ 明応5年(1496年)7月24日に出されたと推定されている長尾能景宛山内上杉顕定書状によれば、相模に攻め込んだ顕定の軍が大森式部少輔・式部大輔(扇谷上杉朝昌)・三浦道寸・伊勢新九郎(盛時)入道弟弥次郎らが籠る要害を落としたことが記されている。要害の具体的な名称は書かれていないものの文面全体の内容から小田原城である可能性が高く、しかも1496年の時点で大森氏と伊勢氏(北条氏)が共闘関係であったことが知られ、同年以前に両氏が城(小田原城)を奪い合う敵対関係になかったのは確実とみられている(佐藤博信「大森氏とその時代」『中世東国足利・北条氏の研究』岩田書店、2006年、P154-P157(原論文は『小田原市史』通史編原史・古代・中世(1998年)に所収))。
- ^ 佐藤博信は盛時が伊豆山権現から小田原城下の所領を没収した文亀元年(1501年)には既に盛時が小田原城を支配していたとして、城主の交替を1496年-1501年の間と推定する(前掲佐藤論文、2006年、P157-159)。
- ^ 前掲佐藤論文P169。
- ^ 『東国の戦国合戦』市村高男(吉川弘文館)P156、『関東戦国史(全)』千野原靖方(崙書房出版)P137、『北条氏康と東国の戦国世界』山口博(夢工房)P91、『武田信玄』平山優(吉川弘文館)P47
- ^ 佐々木健策「相模府中小田原の構造」(所収:浅野晴樹・齋藤慎一 編『中世東国の世界 3後北条氏』(2008年、高志書店) ISBN 978-4-86215-042-4)
- ^ 三の丸地区で「謎の堀」が二つ発見 江戸古地図に未記載:毎日新聞2012年1月25日)
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