親鸞とは?

しんらん 【親鸞】 ○

1173~1262鎌倉初期の僧。浄土真宗開祖別称範宴綽空(しやくくう)善信諡号(しごう)見真大師日野有範の子伝える。初め比叡山天台宗学び,のち法然専修念仏門に入る1207年念仏停止法難に遭い,越後流罪赦免ののち長く関東に住み布教著述を行う。法然思想をさらに徹底させ,絶対他力による極楽往生を説き,悪人正機唱えた。主著教行信証」は,他力立場から浄土教教理純化体系化したもの。ほかに「唯信鈔文意」などがある。唯円編の法語集「歎異抄」は有名。妻は恵信尼

親鸞

原題:
製作国:日本
製作年:1960
配給:東映
スタッフ
監督:田坂具隆 タサカトモタカ
製作:大川博 オオカワヒロシ
原作:吉川英治 ヨシカワエイジ
脚色:成澤昌茂 ナリサワマサシゲ
企画:坪井与 ツボイアタエ

辻野公晴 ツジノキミハル

小川貴也 オガワタカヤ
撮影:坪井誠 ツボイマコト
音楽:伊福部昭 イフクベアキラ
美術:桂長四郎 カツラチョウシロウ
録音:石原貞光 イシハラサダミツ
照明:和多田弘 ワタダヒロシ
キャスト(役名
中村錦之助 ナカムラキンノスケ (親鸞)
中村賀津雄 ナカムラカツオ中村嘉葎雄 (朝麿)
藤川弘 フジカワヒロシ (六条範綱)
千秋実 チアキミノル (性善坊)
加賀邦男 カガクニオ (覚明
大河内傳次郎 オオコウチデンジロウ大河内伝次郎 (慈円僧正
千田是也 センダコレヤ (月輪兼実
吉川博子 ヨシカワヒロコ (玉日姫)
木暮実千代 コグレミチヨ (野)
織田政雄 オダマサオ (高松衛門
岡田英次 オカダエイジ (天城四郎)
和崎隆太郎  (蜘蛛太)
丘さとみ オカサトミ (
徳大寺伸 トクダイジシン (法印聖覚)
薄田研二 ススキダケンジ (峰阿弥
平幹二朗 ヒラミキジロウ (弁海)
吉田義夫 ヨシダヨシオ (如海)
汐見洋 シオミヨウ (覚運
香川良介 カガワリョウスケ (静厳
小柴幹治 コシバカンジ (天海
長島隆一 ナガシマリュウイチ (釈源)
中村幸吉 ナカムラコウキチ (最円)
山本順大  (実性
小沢栄太郎 オザワエイタロウ (鷹司右大臣
沢村宗之助 サワムラソウノスケ (冷泉大納言
津村礼司 ツムラレイジ (日野経房)
高松錦之助 タカマツキンノスケ (一条友範)
堀正夫 ホリマサオ (僧正
殿山泰司 トノヤマタイジ (助
岩崎加根子 イワサキカネコ (萱野
国一太郎 クニイチタロウ (国助
星美智子 ホシミチコ (
浪花千栄子 ナニワチエコ (老婆
月形龍之介 ツキガタリュウノスケ (法然
原健策 ハラケンサク原健作 (西仙房心寂)
中村時之介 ナカムラトキノスケ (聖光弁長
那須伸太朗 ナスシンタロウ (空港
片岡栄二郎 カタオカエイジロウ (念阿)
近松竜太郎 チカマツリュウタロウ (堪空)
伏見扇太郎 フシミセンタロウ (盛運
里見浩太朗 サトミコウタロウ (住蓮
尾上鯉之助 オノエコイノスケ (安楽坊)
北龍二 キタリュウジ (九条実篤)
大邦一公 オオクニイッコウ (経成)
瀬川路三郎 セガワミチサブロウ (行経)
有馬宏治 アリマコウジ (友則)
御橋公 ミハシコウ (定経)
桜町弘子 サクラマチヒロコ (松虫
花園ひろみ ハナゾノヒロミ (鈴虫
尾上華丈 オノエカジョウ (弟子僧の老人
石丸勝也 イシマルカツヤ (烏帽子師)
片岡半蔵 カタオカハンゾウ (弓師老人
水野浩 ミズノヒロシ (法師
伊東亮英 イトウ (職人
天草四郎 アマクサシロウ (香具師
小田部通麿 オタベミチマロ (老傀儡師
尾形伸之介 オガタシンノスケ (荒法師
解説
吉川英治原作を、「浪花の恋の物語」の成澤昌茂脚色し「若い川の流れ」の田坂具隆監督したもので、親鸞の青春像を描いたもの。「さいころ無宿」の坪井誠撮影した。第二部は「続・親鸞」として公開された。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
第一部 親鸞は幼なくして青蓮院慈円僧正の許で得度程なく比叡山に登って修業をつんだ。十九歳で山を下り、さら性善坊と法隆寺学寮学究にいそしんだ。恋におちた弟の朝麿と刀鍛冶の娘救い求めてきた。病床にふす朝麿は木賃宿で、野武士風の男の情を受けた。彼は盗賊天城四郎だった。二人伴い、親鸞は京に向った。途中天城一味にを奪われた。親鸞は失意の朝麿を京に送り磯長叡福寺に篭った。三年間、苦行世界をさまよった。再び青蓮院訪れ僧正の兄藤原兼実の娘玉日姫を知った。玉日にひかれる心を抑え叡山に登った。やがて、少僧都の位を授けられ、東山聖光院門跡に補せられた。ある夕、野党に襲われる女を救った。玉日姫だった。夜の闇にまぎれ、親鸞は姫の屋敷忍ぶようになった自責の念にたえられず、叡山逃れようとした。姫は追った。その姫に魔手をのばす天城一味に、親鸞の竹杖唸り立てた--。 ◇第二部 五年の歳月が経った。飯室谷の無動寺に籠もっていた親鸞は、養父範綱の死を知った。巷では、親鸞が寺を抜けだし、玉日姫の許へ通っているとの風説流れていた。親鸞の迷いはとけなかった。法然上人の許に向った。上人説話に涙し、念仏唱える庶民表情に、親鸞はやすらぎ幸福感をおぼえた。親鸞は上人の手慈悲の門に拾われ、他力念仏門に一転した。慈円を訪ね、玉日姫を妻に迎えたいと申し出た。凡人にかえって極楽生れようとする親鸞の大誓願だった。親鸞と姫は結ばれた。都大路興奮のなかで、親鸞はただ「なむあみだぶつ」と念仏合掌するのみだった。

親鸞

読み方:シンランshinran

作者 吉川英治

初出 昭和10~11年

ジャンル 小説


親鸞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 07:50 UTC 版)

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 [注釈 3])は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の浄土真宗の宗祖とされる[注釈 4]




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注釈

  1. ^ グレゴリオ暦換算…本願寺派や高田派では、西暦の生没年をグレゴリオ暦に換算し、承安3年4月1日(1173年5月21日) - 弘長2年11月28日(1263年1月16日)とする。
  2. ^ 〔房号〕 善信房…「善信」は、房号とする説がある。その説では、「善信房綽空」より「善信房親鸞」と吉水在所時に法名を改めたとしている。詳細については「#「善信」房号説」を参照。
  3. ^ 生没年月日の西暦表記については注意を要するため、生年月日については「誕生」の節を、没年月日については「入滅」の節を参照のこと。
  4. ^ 浄土真宗の宗祖(開山とも)と定めたのは、本願寺三世覚如である。
  5. ^ 旧暦(宣明暦)。
  6. ^ 親鸞は、自伝的な記述をした著書がほとんど無い(もしくは、現存しない)ため、「出生日」、「幼名」、「婚姻の時期」、「歿地」など不明確(研究中)な事柄が多く、様々な説がある事に留意されたい。
  7. ^ a b 本願寺派高田派では、明治5年11月の改暦(グレゴリオ暦〈新暦〉導入)に合わせて、生歿の日付を新暦に換算し、生誕日を5月21日に、入滅日を1月16日に改めた。大谷派佛光寺派興正派などでは、旧暦の日付をそのまま新暦の日付に改めた。
  8. ^ 御伝鈔』・『親鸞聖人正明傳』。『尊卑分脈』『本願寺系圖』では「皇太后宮権大進」とする。
  9. ^ 9歳から29歳までの20年間比叡山で修行した。ちなみに道元はわずか二年、日蓮も十年前後である。
  10. ^ 他説に、比叡山無動寺谷大乗院より毎夜下り、百夜に渡り六角堂に通った説もある。無動寺谷大乗院には、毎夜居なくなる範宴(親鸞)を回りの僧侶達が不審に思い師匠に告げ口をした。その師匠は、夜中に蕎麦を振る舞い、範宴の所在を確かめようとした。その時、範宴自作の木像が蕎麦を食べて、回りの不審を払拭したという伝説が残されている。その時の木像が、今も無動寺谷大乗院に「蕎麦喰ひ木像」とよばれ、本尊・阿弥陀如来と共に祀られている。
  11. ^ 「宿報」の意訳について…一般的に「宿報」とは、「宿世(すくせ)の果報。前世でなした善悪業(ぜんあくごう)のむくい。」(『広辞苑』第五版)の意である。しかし、過去世としての「前世」に否定的な見解の場合は、「前世」ではなく「過去の行い」と解釈している。(本多弘之 監修『知識ゼロからの親鸞』幻冬舎、2009年。P.29「六角堂夢告の内容」 を参照。)
  12. ^ 現在の安養寺付近。
  13. ^ 現在の真宗大谷派岡崎別院付近。
  14. ^ 綽空…「綽」は、中国の道綽禅師より、「空」は源空〈法然〉上人よりつけられたものと推察される。(石田瑞麿『教行信証入門』P.18)
  15. ^ 原文 - やまをいてゝ 六かくたうに百日こもらせ給て ごせをいのらせ給けるに(中略)又六かくたうに百日こもらせ給て候けるやうに 又百か日 ふるにもてるにも いかなるたい事にも まいりてありしに(『浄土真宗聖典』〈原典版〉P.888。)
  16. ^ 善信…「善」は、中国の善導大師より、「信」は源信和尚より。
  17. ^ 当初、本多は夢告に依って「善信」に改名した後に、越後流罪赦免後に「愚禿釋親鸞」(「善信房親鸞」)に改名したと講じている(『新講教行信証:総序の巻』「第一講」〈1999年7月18日〉P.18・P.23)。しかし、真木由美子『親鸞とパウロ』における論証を受け、「善信」は房号であり、吉水在所時代に実名を「綽空」から「親鸞」に改名したとする説に改めている(『新講教行信証:総序の巻』「第二講」〈1999年9月17日〉P.33-37、付「出会いと名のり-「親鸞」の名によせて」P.319-331)。
  18. ^ 『親鸞聖人御因縁』 - 鎌倉時代後期頃に成立したと考えられる荒木門徒系の伝承。荒木門徒は武蔵国荒木(埼玉県行田市)に在した門徒集団で、親鸞の孫弟子である源海を祖とする。真宗佛光寺派や真宗興正派が荒木門徒の系譜に属する。(興正寺史話
  19. ^ 存覚述『親鸞聖人正明伝』- 五天良空(寛文9年〈1669年〉 - 享保18年〈1733年〉)による著作とみられる。五天良空は、専修寺系の寺院「常超院」(三重県四日市市)の住持享保18年(1733年)開板真宗高田派本山 専修寺「高田本山 専修寺の歩み」
  20. ^ 五天良空『親鸞聖人正統伝』 - 五天良空による著作。正徳5年(1715年)1月18日完成。享保2年(1717年)7月開板真宗高田派本山 専修寺「高田本山 専修寺の歩み」
  21. ^ 善鸞の実母…平雅行は、善鸞の実母は「善鸞義絶状」に記述されている「ミフノ女房」と推定し、善鸞の実母が死没していた場合は「ミフノ女房」は実母の姉妹か善鸞の同母妹と推定している。(平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第四章 越後での生活」P.109-114「善鸞の母」。)
  22. ^ 7子すべてが恵信尼の子ではないとする説…印信の母については、『尊卑分脈』では「月輪関白女」、『本願寺系圖』(大阪本願寺本)では「後法性寺摂政太国兼実女」と記されている。いずれも「九条兼実の娘」の意である。小黒女房の母については、『本願寺系圖』(大阪本願寺本)は「兵部大輔三善為教女」と記され、三善為教の娘である。
  23. ^ 建永2年…建永2年10月25日に、「承元」と改元する。
  24. ^ 土佐国番田…「番田」は、「幡多」・「幡田」とも。『歎異抄』の写本により異なる。
  25. ^ 法然は土佐国番田へ…法然は、円証(九条兼実)の庇護により、土佐国から讃岐国に配流地が変更になる。
  26. ^ 親鸞…「親」は、インドの天親菩薩より、「鸞」は曇鸞大師より。
  27. ^ 岡崎中納言範光を通じて…勅使は、岡崎中納言範光卿(藤原範光)と伝えられているが、当時すでに入道していて、範光の命を受けた者が勅使として越後に向ったと考えられる。(#参考文献|参考文献 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』 P.120より
  28. ^ 勅免…勅命(天皇の命令)による赦免
  29. ^ 建暦元年(1211年)11月…新暦で換算すると12月~1月。
  30. ^ 大山の草庵…別説には、稲田の草庵から大山の草庵に移住したとする説もある。
  31. ^ 笠間郡稲田郷…現在の茨城県笠間市
  32. ^ 「稲田の草庵」を由緒とする寺院はいくつかあり、西念寺の他に、浄興寺(現在は、新潟県上越市に移転)などがある。
  33. ^ 当時の政治の中心地は鎌倉であるが、経済・文化の中心地は京都である。(京都#鎌倉幕府の設置を参照。)
  34. ^ 機械的伝達手段…テレビ・ラジオなど通信装置など
  35. ^ 経済・文化などの伝播の速度…言語の伝播(柳田國男提唱の「蝸牛考」を参照。)と同様に、経済・文化なども中心地を同心円として広がる傾向がある。
  36. ^ 『正像末和讃』(「皇太子聖徳奉讃〈十一首〉」)に収録されている物とは、別の和讃集。
  37. ^ 南北朝時代には〜総称する…伊藤博之 校注『歎異抄 三帖和讃』P.51より
  38. ^ 弘長2年11月28日は、西暦(ユリウス暦・グレゴリオ暦換算ともに)では「1263年」になるが、弘長2年はまだ年を越していないので「1262年」と考える。よって、文献の「親鸞の示寂」の年の西暦を、和暦に基づいて「1262年」と表記する場合と、新暦に基づいて「1263年」と表記する場合があるので注意が必要である。
  39. ^ 押小路南 万里小路東 - おしこうじみなみ までのこうじひがし
  40. ^ 入滅の地である、押小路南 万里小路東の「善法院」(「善法坊」)には諸説ある。本願寺派は、「善法坊」の場所を西の万里小路とし、善法院を再興する(現、本願寺派角坊別院)。大谷派は、「善法院」の場所を「親鸞ヶ原」と呼ばれるようになった地に建立された法泉寺の跡地(現、京都市立京都御池中学校〈虎石町〉)付近として、「見真大師遷化之旧跡」の石碑を建立する。その他にも、光円寺(京都市下京区)で入滅され、何等かの理由により善法院に御遺体を移されたとする説もある。
  41. ^ 本願寺派は、鳥辺山南辺(現在の大谷本廟〈西大谷〉の「御荼毘所」)にて荼毘に付されたとする。大谷派は、延仁寺(京都市東山区今熊野)にて荼毘に付されたとしている。(現在の延仁寺は、東本願寺第二十一世嚴如が再興したもの。)
  42. ^ 見真大師 - けんしんだいし
  43. ^ 『観無量寿経疏』の各巻題は、『観経玄義分 巻第一』・『観経序分義 巻第二』・『観経正宗分定善義 巻第三』・『観経正宗分散善義 巻第四』である。
  44. ^ 『法事讃』…上巻の首題は、『転経行道願往生浄土法事讃』、尾題は『西方浄土法事讃』で、下巻は首題・尾題ともに『安楽行道転経願生浄土法事讃』である。
  45. ^ 『般舟讃』…首題は『依観経等明般舟三昧行道往生讃』、尾題は『般舟三昧行道往生讃』である。
  46. ^ 『観念法門』…首題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』、尾題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』である。
  47. ^ 和国の教主…「和国」とは日本のこと、「教主」とは釈尊のこと。
  48. ^ 『大無量寿経』など浄土経典は、親鸞在世当時では釈尊自説と考えられていた。現代では浄土経典は、小乗仏教確立後に出現したものと考えられている。(『浄土三部経』(下)、「文献」・「解説」を参照。)
  49. ^ ここでいう「伝統宗派」とは、幕末維新期以前に成立していた宗派のこと。
  50. ^ ここでいう「伝統宗派に源流をもつ宗派」とは、真宗浄興寺派や浄土真宗東本願寺派などのこと。
  51. ^ ここでいう「新宗教団体」とは、幕末維新期以降に興った宗教団体のこと。
  52. ^ 本願寺の開祖は親鸞とされるが、覚如が本願寺を成立させた後に親鸞を開山と定めた。
  53. ^ 浄土真宗本願寺派では、教如は歴代に入れず、准如を第十二代とする。

参照

  1. ^ 『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。
  2. ^ 本願寺聖人親鸞傳繪上
  3. ^ 『本願寺系圖』
  4. ^ 松尾剛次『知られざる親鸞』P.53 - 56。
  5. ^ 親鸞聖人正明傳巻一上
  6. ^ 高田開山親鸞聖人正統傳巻之一
  7. ^ 『親鸞 生涯と教え』P.26「第一節 誕生」、真宗大谷派出版部、2010年。
  8. ^ 参考文献…高松信英・野田晋 著 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』 真宗大谷派宗務所出版部、1987年刊行、ISBN 978-4-8341-0164-5
  9. ^ 参考文献…瓜生津隆真・細川行信 編 『真宗小事典』 法藏館、2000年新装版、ISBN 4-8318-7067-6
  10. ^ 参考文献…佐々木月樵編『親鸞伝叢書』P.19『親鸞聖人正明傳』巻一上・『高田開山親鸞聖人正統傳』巻之一P126より。
  11. ^ 意訳…瓜生津隆真・細川行信 編『真宗小事典』法藏館、2000年、新装版。P.189「六角夢告」より引用。
  12. ^ 出典…「恵信尼消息」。
  13. ^ 高松信英、野田晋 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』補注、P107「七、吉水入室の年次」・P108「九、建仁元年」。
  14. ^ 平松令三 『親鸞』P.45-97。
  15. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 妻木直良編 『真宗全書』第34巻、蔵経書院、1914年、P.299「親鸞聖人正明傳巻一下」。
  16. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 妻木直良編 『真宗全書』第34巻、蔵経書院、1914年、P.301「親鸞聖人正明傳巻二上」。
  17. ^ 大橋俊雄 校注 『法然 一遍』 岩波書店〈日本思想体系 10〉、P.284。
  18. ^ 石田瑞麿『教行信証入門』P.17
  19. ^ 石田瑞麿『教行信証入門』P.17
  20. ^ 『顯淨土眞實教行證文類』SAT DB(大正新脩大藏經テキストデータベース)を参照。
  21. ^ 石田瑞麿『教行信証入門』P.17。改名の名はについて石田は「善信であったとされる。」としている。
  22. ^ 「善信」房号説を支持する学者は、本多弘之の他に寺川俊昭(「親鸞の名をめぐって」『真宗』2010年11月号、真宗大谷派出版部)・豅(ながたに)弘信(「「善信」実名説を問う(上)」、『親鸞教學』第95号、大谷大学真宗学会、2010年、40-54頁。・「「善信」実名説を問う(下)」、『親鸞教學』第96号、大谷大学真宗学会、2011年、50-68頁。)など。
  23. ^ 知識ゼロからの親鸞入門』41頁より。
  24. ^ 松尾剛次『親鸞再考』
  25. ^ 佐々木正『親鸞再考』
  26. ^ 西山深草(吉良潤)『親鸞は源頼朝の甥』
  27. ^ 中外日報(2014年4月9日)
  28. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐々木月樵編 『親鸞伝叢書』解題、P.2-3。
  29. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐々木月樵編 『親鸞伝叢書』解題、P.6-8。
  30. ^ 平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第二章 延暦寺からの出奔」P.47、「第四章 越後での生活」P.97
  31. ^ 平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第四章 越後での生活」P.114-119「恵信尼について」
  32. ^ 参考文献…『本願寺系圖』(大阪本願寺本)
  33. ^ 興正寺史話【十五】「興正寺の伝承 その一」
  34. ^ 興正寺史話【十六】「興正寺の伝承 そのニ」
  35. ^ 興正寺史話【十七】「興正寺の伝承 その三」
  36. ^ 興正寺史話【十八】「興正寺の伝承 その四」
  37. ^ 『中外日報』2008年1月17日付を参照。
  38. ^ 浄土真宗の教章 - 浄土真宗本願寺派における規範のひとつで、親鸞聖人の流れをくむものとして心に銘ずべき内容を定めたもの。
  39. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 村田勤 『親鸞真伝 : 史的批評』第十二章 系圖上の大疑問、P.116-121。
  40. ^ 千葉乗隆『浄土真宗』ナツメ社、P.216「親鸞の存在についての論争」。
  41. ^ 鷲尾教導『恵信尼文書の研究』P.3
  42. ^ 日野家嫡流…日野有国日野家7代当主 - 藤原資業日8代 - 藤原実綱日9代 - 藤原有信日10代 - 日野実光日11代 - 日野資長日12代 - 日野兼光日13代 - 日野資実日14代 - 日野家光日15代 - 日野資宣日16代 - 日野俊光日17代 - 日野資名日18代・・・
  43. ^ a b c d 経尹、範綱、有範について、『尊卑分脈』と『本願寺系図』とでは関係が異なる。本図は『本願寺系図』に依拠する。
  44. ^ 藤原範綱(日野範綱)…親鸞が得度(入室?)する時の養父。
  45. ^ (九条兼実の娘?) - 『日野一流系図』に、宴意(改印信)の母について「後法性寺摂政兼実公女」(九条兼実の娘)と記されている。兼実の日記『玉葉』に、兼実に2人の娘が記され、1人は後鳥羽天皇中宮宜秋門院任子で、もう1人は4歳で亡くなっている(本願寺史料研究所報 第26号、平松令三「西本願寺蔵 古本本願寺系図について」P.8、参照。)。
  46. ^ 恵信尼…三善為教の子。諸説あり。
  47. ^ 印信 - 『日野一流系図』に、親鸞の長男は宴意(改印信)と記されている。
  48. ^ 善鸞の母については異説があり、恵信尼は継母で、実母は「善鸞義絶状」に記されている「みぶの女房」とする説がある。詳細は「恵信尼#恵信尼との関係」参照。
  49. ^ 小野宮禅念 - 覺信尼の後夫。
  50. ^ 藤原広綱 - 覺信尼の前夫。死別。
  51. ^ a b 『岩波仏教辞典』(第二版)P.541「浄土真宗」
  52. ^ 『真宗小事典』P92「浄土真宗」
  53. ^ 『浄土真宗聖典』オンライン検索にて検索
  54. ^ 「文明本」などでは、「像末五濁ノ世トナリテ 釋迦ノ遺敎カクレシム 彌陀ノ悲願ヒロマリテ 念佛往生サカリナリ」。
  55. ^ 三帖和讃 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  56. ^ a b c d 本願寺(西本願寺)>本願寺について>本願寺の歴史
  57. ^ a b c d 東本願寺>東本願寺について>真宗大谷派(東本願寺)沿革
  58. ^ 真宗佛光寺派 本山佛光寺>佛光寺のご紹介「中興了源(りょうげん)上人」
  59. ^ 興正寺史話【六】「興正寺建立以前」
  60. ^ 興正寺史話【七】「了源上人と存覚上人」~了源上人はいつ京都に来たのか~







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