役小角
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役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの / えんの おつの、舒明天皇6年〈634年〉伝 - 大宝元年6月7日〈701年7月16日〉伝)は、飛鳥時代の呪術者[2]。
注釈
- ^ 律令制下の租税の一種として、無償労働にかり出された者のこと。
- ^ 生地は『役行者本記』修験道の最初の開祖伝では「茅原郷矢箱村」の説も記述されているが、その内容と奥書から「文亀元年(1501年)伊豆国分寺沙門慈雲か、天正8年(1580年)天木先達弘潤坊いった伊豆の修験者が作者」とも考えられている[6]。
- ^ 兵庫県西宮市甲山、六甲山系目神山で弁財天を感得したことと関連して、役行者は奈良の天河の
洞川 ()に住む近縁者、四鬼氏に命じて、唐櫃に移住させ、吉祥院多聞寺奥の院とされる心経岩、六甲比命神社、雲が岩一帯を守護させた。以後、四鬼氏は六甲修験の総元締めとして、六甲山西部を管理していた。 - ^ 東京都大島町泉津地区に、都旧跡指定の役行者屈が現存し前面の海岸も大島町地図に行者浜と記載されている。
- ^ 文武天皇3年5月24日は、西暦699年6月26日(7月1日説もあり[10])。
- ^ 『日本国語大辞典』「害する」に3つ目の意味として、「そねむ。ねたむ。いむ。」 出典は『史記』屈原伝「争寵而心害其能」
- ^ 延暦9年(790年)11月10日に韓国源らが「韓国氏は、かつて物部塩児が先祖代々朝鮮半島への外交官を務めていることを記念して改氏した氏族で、純粋な日本人であるのに、名前のせいで最近増えてきた渡来人と間違えられて困る」と訴え、居住地の名をとって高原氏に改氏している[13]
出典
- ^ 茅原山 吉祥草寺(役行者御誕生所 吉祥草寺 公式ホームページ)、御所市企画部 商工観光課、[1]
- ^ a b 日本人名大辞典+Plus,百科事典マイペディア,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及, 朝日日本歴史人物事典,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,デジタル版. “役小角とは”. コトバンク. 2022年7月28日閲覧。
- ^ 役小角とは コトバンク/大辞林/日本人名大辞典
- ^ a b 太田亮 『姓氏家系大辞典』 角川書店、1963年。
- ^ 『続日本後紀』 承和10年正月27日条
- ^ a b 宮瀧交二「役行者」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版、2004年、45頁。
- ^ 『続日本紀』 文武天皇3年5月24日条
- ^ 瀧安寺ホームページ
- ^ 神変大菩薩 諡号勅書(聖護院所蔵)(龍谷大学龍谷ミュージアム, 京都文化博物館 & 読売新聞社 2015, p. 147) [左記文献に写真掲載]
- ^ 『役行者伝記集成』 12頁
- ^ a b 「役小角」『国史大辞典』
- ^ 『続日本紀』 巻第十一天平三年春正月庚戌朔丙子条
- ^ 『続日本紀』 巻第四十延暦九年十一月壬申条
- ^ 『役行者伝記集成』 14頁
- ^ 『役行者伝記集成』 15頁
- ^ 『役行者伝記集成』 18頁
- ^ 仲川明 『子供のための大和の伝説』 奈良新聞社、12刷1978年(初版70年)、124 - 125頁。
- ^ 石鎚山への表参道であるロープーウエイ麓駅へ向かう参道には石鎚山極楽寺の境外の法起坊堂や、黒川道にあり女人堂を移した役行者堂などが並ぶ
- ^ 大峰山前鬼坊は日本八大天狗の一狗として、法起坊はそれらを統括する別格となる
- ^ 田中利典 『体を使って心をおさめる修験道入門』 集英社新書〈集英社新書〉、2014年、20頁。
- ^ a b c d e 『役行者伝記集成』 199 - 200頁(文献においては『真幻魔大戦』は『幻魔大王』と誤記)
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