御影堂とは? わかりやすく解説

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みえい‐どう〔‐ダウ〕【御影堂】

読み方:みえいどう

【一】仏教寺院で、開山宗祖などの御影を祭る堂。

【二】京都五条橋西にあった新善光寺異称。この寺の尼が作り出した扇が御影堂扇といわれ、近世では最上の扇とされ有名であったところから、その名がある


御影堂

読み方:みえいどう

名詞影堂」に、接頭辞「御」がついたもの。
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みえいどう 【御影堂】

ミエドウとも。仏教祖師影像安置する建物真宗ではゴエイドウとも。浄土宗知恩院では法然をまつる御影堂が本堂であって阿弥陀堂別にある。→ 本堂

知恩院本堂(御影堂)

名称: 知恩院本堂(御影堂)
ふりがな ちおんいんほんどうみえいどう
名称(棟):
名称(ふりがな):
番号 0222
種別1: 近世以前寺院
国宝重文区分 国宝
指定年月日 2002.05.23(平成14.05.23)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 京都府
都道府県 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町
所有者名: 知恩院
指定基準
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 桁行十一間、梁間九間、一重入母屋造正面向拝五間、背面向拝三間
本瓦葺
時代区分 江戸前期
年代 寛永16(1639)
解説文: 知恩院は,京都東山山麓にある浄土宗総本山で,本堂(御影堂)は中心建築建ち並ぶ伽藍中段にある。
 本堂(御影堂)は,寛永10年(1633)焼失後,徳川家光によって寛永16年(1639)に建立された。桁行11間,梁間9間,入母屋造本瓦葺建物である。
 全体として外観和様でまとめ,内部禅宗様巧み技法駆使して
立し空間をつくり,浄土宗本堂建築的特徴最大限あらわしている。
 意匠技術の面において極めて優れ完成度高く江戸初期における徳川家大造営の代表として位置づけられ,我が国建築史極めて高い価値がある
 総本山本堂相応し壮大な規模雄麗内部創出し我が国社会広く影響及ぼした浄土宗中心建築として,特に深い文化史意義有している。

開山堂

(御影堂 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 23:27 UTC 版)

開山堂(かいさんどう、かいざんどう)は、仏教寺院において開山の像を祀った堂のこと。寺院の「開山」とは、当該寺院に最初に住した僧のことを指すのが通例で、寺院の創立を発願し、経済的基盤を提供した人物である「開基」とは区別される。開山や宗祖の像を安置する堂を、寺によっては祖師堂(そしどう)御影堂(みえいどう、ごえいどう)影堂(えいどう)などともいう。宗派や寺院によっては、祖師堂や御影堂が本尊を安置する本堂よりも規模が大きく重視されることがある。




「開山堂」の続きの解説一覧

御影堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 15:38 UTC 版)

唐招提寺」の記事における「御影堂」の解説

重要文化財文化財指定名称は「旧一乗院 宸殿 殿上及び玄関」。鑑真肖像彫刻国宝)を安置する開山忌前後6月5日 - 7日のみ公開)。建物興福寺有力な子院であった一乗院の宸殿で、慶安2年1649年)の建立一乗院廃寺となった後、奈良県庁されたり1962年昭和37年)までは奈良地方裁判所庁舎として使用され1964年昭和39年)に唐招提寺移築された。障壁画鑑真像に奉納するため、1971年昭和46年)から1982年昭和57年)にかけて日本画家東山魁夷によって新たに描かれたもの。 乾漆鑑真和上坐像国宝) - 像高80.1センチメートル伝承によれば鑑真弟子の忍基が、唐招提寺講堂折れ夢を見師僧死去間近いことを知って造らせたものという。鑑真没した天平宝字7年763年)頃の作と推定され日本最古肖像彫刻といわれている。脱活乾漆造だが、膝上組んだ両手木製である。肖像彫刻としては異例の、目を閉じた形表される。この像は1977年にはパリプティ・パレ美術館展示され1980年昭和55年)には中国に「里帰り」して揚州鑑真故郷)と北京公開された。2013年平成25年)、複製像が制作された。 御影堂障壁画 - 東山魁夷筆。足かけ10年以上にわたり、作者日本中国各地でのスケッチを基に制作したもので、鑑真故郷中国日本の風景奉納し御霊慰めるという趣旨描かれたものである中国安徽省にある黄山幻想的な風景を墨だけで写し出している。東山生前黄山見ればあらゆる山水画技法がそこから生まれたことがわかる」と語っている。御影堂の南側は東の「宸殿の間」に『濤声16面、西の「上段の間」に『山雲10面(床の間床脇天袋含む)を描く。これらは彩色画で、日本の海と山の風景を表し1975年完成したのである。御影堂の北側は、鑑真像の厨子がある「松の間」に『揚州薫風26面、西の「の間」に『黄山暁雲8面、東の「梅の間」に『桂林月宵8面、これらは水墨画で、鑑真故郷揚州を含む中国風景表し1980年完成したのである厨子内壁には『瑞光』(1981年作)を描く。

※この「御影堂」の解説は、「唐招提寺」の解説の一部です。
「御影堂」を含む「唐招提寺」の記事については、「唐招提寺」の概要を参照ください。


御影堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 16:04 UTC 版)

地安寺」の記事における「御影堂」の解説

後水尾法皇坐像聖徳太子坐像安置される法皇坐像は、崩御の際、林丘寺宮より下附された。

※この「御影堂」の解説は、「地安寺」の解説の一部です。
「御影堂」を含む「地安寺」の記事については、「地安寺」の概要を参照ください。

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