山水画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 16:09 UTC 版)
山水画(さんすいが)は、中国で発達した絵画のジャンルである。現実の景色の再現を意図した作品もあるが、型による山岳樹木岩石河川などの添景を、再構成した「創造された景色」が多い。
- ^ a b c 福本雅一『中国絵画史』(第1刷)藝文書院、2007年4月、125頁。ISBN 9784907823313。
- ^ 『花鳥・山水画を読み解く-中国絵画の意味』角川書店、2003年。ISBN 4-04-702124-5。
山水画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
中国絵画のジャンルには山水画、花鳥画、人物画、走獣画、道釈画(宗教絵画)などがあるが、長い中国絵画史のなかで特異な位置を占めるのが山水画である。「山水画」は、字義どおりには「山」と「水」(川や湖水)を描いた絵画という意味であるが、英語ではlandscape painting すなわち「風景画」と訳されている。西洋の伝統的な絵画観では、絵画のジャンルの中で歴史画や宗教画、すなわち、聖書、古代神話、歴史上の事件などを題材にして構想された絵画がヒエラルキーの上位にあり、静物画、風景画などは下位のジャンルであった。ルネサンス期においては、歴史画などの背景として風景が描かれることはあっても、風景自体が完成画の主題となることは考えられなかった。これに対して中国絵画においては、山水画、それもモノクロームの水墨山水画の占める位置が非常に大きい。ただし、中国絵画は最初から水墨山水が主体だったわけではない。唐時代までの絵画は人物画が中心で、山水画も「青緑山水」という彩色画であり、水墨画はむしろ後発の技法であった。南朝の劉宋の宗炳(そうへい)には『画山水序』という著作があり、南北朝時代にはすでに山水というジャンルがあったことがわかるが、山水画が中国絵画のヒエラルキーの上位に位置づけられるのは宋時代のことである。 宋時代以降、文人士大夫(ぶんじんしたいふ)、すなわち、儒教的教養を備え、科挙に合格したエリート官僚が中国文化の主たる担い手となったことは、山水画の隆盛と大きく関係している。中国の文人には伝統的に老荘思想に基づく隠逸への志向があった。文人にとっての山水画とは、単なる風景画ではなく、彼らが理想とした、俗世間を離れた理想郷を表したものであった。アメリカの中国絵画研究者マイケル・サリヴァンは、著書『中国山水画の誕生』の序文において「中国の山水画家は、ただたんに自然の外観や目に見える姿を描写しているのではなく、自然に内在する生命と自然を支配する調和をも描写しているのである」「中国の山水画は、岩や木、あるいは山や川ということばをとおして語られた中国人の人生観そのものにほかならない」と述べている。山水画には山や川だけでなく、しばしば点景人物や楼閣が描かれる。そうした人物の多くは旅人であり、独り舟を浮かべる漁師であり、あるいは侍者を伴った高士である。画中に描かれる楼閣は、画中の道を歩む高士の向かう目的地と、そこでの風雅な生活を暗示する。山水画にしばしば描かれる漁師は単なる労働者ではなく、隠者の象徴としての意味があり、何ものにもとらわれない自由な境地を表している。俗世間を離れ、静かな山水に囲まれて詩作にふけり、琴を弾じ、友と酒を酌み交わし清談(俗世間と離れた高尚な議論)にふける生活は、文人士大夫の理想とするものであった。
※この「山水画」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「山水画」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。
「山水画」の例文・使い方・用例・文例
- 山水画のページへのリンク