アルフテル, ロドルフォ:静物画
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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アルフテル, ロドルフォ:静物画 | Natures mortes | 作曲年: 1922年 |
静物画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/18 08:37 UTC 版)
静物画(せいぶつが)は、西洋画のジャンルの一つで、静止した自然物(花、頭蓋骨、狩りの獲物、貝殻、野菜、果物、台所の魚など)や人工物 (ガラス盃、陶磁器、パン、料理、楽器、パイプ、本など)を対象とする。 これらを描く画家は、対象物を自らの美的感性に基づいて自由に配列し、画面を構成していると考えられる[1]。
- ^ 永澤竣 島田紀夫(監修)「ヨーロッパの絵画・静物画」『絵画の知識百科』<生活シリーズ> 主婦と生活社 1990年 pp.78-79.
- ^ 『一個人』 2018, p. 64.
静物画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 15:22 UTC 版)
セザンヌは、初期から、クールベ、マネ、ジャン・シメオン・シャルダンなどを手本に、静物画に熱心に取り組んだ。中でも、ゾラとの少年時代の想い出にも登場するりんごを好んで描いた。もっとも、ヴォラールによれば、制作に時間をかける余り、りんごが腐ってしまい、下絵だけで終わったこともあったという。 晩年には、骸骨を取り入れたヴァニタスも制作している。ベルナールは、1904年のエクス訪問中、セザンヌが毎朝6時から10時半までアトリエで三つの頭蓋骨を描き続け、「まだ足りないのは実現(レアリザシオン)だ」と述べていたのを報告している。 ナビ派の画家ポール・セリュジエは、セザンヌの静物画について、「見る者に皮をむいて食べたいと思わせるのではなく、ただ見るだけで美しく模写したい気持ちにさせる。」と評している。 『静物』1893-94年。59×72.4 cm。ホイットニー美術館。 『骸骨のある静物』1895-1900年。 『積み重ねた骸骨(英語版)』1901年。個人コレクション。
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静物画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 03:06 UTC 版)
「フアン・サンチェス・コターン」の記事における「静物画」の解説
サンチェス・コタンはスペイン静物画の、主に野菜を描く「ボデゴン」の典型を確立した。特徴的に、彼は2、3の単純な果物や野菜を描いた。それらのうちいくつかは、高さを違えるため細い糸で吊され、窓の出っ張りに置かれた。暗い背景の前で、その形はほとんど幾何学的な明瞭さで浮き出ている。計り知れない暗黒に逆らうかのような直射日光を浴びた静物との調和こそ、初期スペイン静物画の特質である。神秘的な質感を帯びた明暗をともなって、それぞれの形状は精密に描かれ、描かれた物の迫真性は、17世紀の他のどんな画家も越えられないほど、きわめて強烈な域に達している。 一部の美術史家たちは、禁欲的な人物像と、後の修道院での生活との関連から、サンチェス・コタンは表現を控えていると言っている。彼らはこの世の喜びと豊かさを修道院は否定していると信じているようだ。しかし、彼の描く果物や野菜は美しい、まるでバレエのような構図で並んでいる。ちなみに、カルトジオ会は菜食主義で、彼がよく描く獲物の鳥は食べない。 サンチェス・コタンは静物画の中に人間を描くことは一度もなかった。また、野菜や果物をつり下げる糸以外に人工物を描かなかった。これは、17世紀には食べ物や野菜を腐敗から防ぐ共通の手段があったことを意味している。オブジェがおのおの触れあうほど近くに配置されていたとしても、それらは離れているように思える。それぞれを描写する写実性のせいで(さらに真っ暗な背景の効果も合わさって)、それらは記念碑や彫刻のような重力を持っているのである。
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静物画
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「オランダ黄金時代の絵画」の記事における「静物画」の解説
静物画は織物などの質感や写実的な光の効果を詳細に描きだす、画家にとっていわば自身の技量を存分に見せつけることができるジャンルだった。テーブルいっぱいのあらゆる食物、銀食器、テーブルクロスの複雑な織模様や微妙なしわ、飾られた花などは、画家たちにとって挑戦し甲斐のあるモチーフだった。 ほとんどすべての静物画には道徳的な寓意が込められている。人生の空しさ(ヴァニタス)を表現した作品が多く、頭蓋骨や半分剥かれたレモンなど、明白に虚無を表す対象物が描かれていなくとも静物画がヴァニタスを表していることは暗黙の了解として認識されていた。 初期の静物画に描かれたモチーフは平凡でありふれたものだったが、17世紀半ばから高価で異国風なモチーフが「派手に」描かれるようになっていき、それとともに静物画の人気も上がっていった。「色調のフェーズ」と「古典的フェーズ」に分岐した風景画と静物画はよく似ている。ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ(1595年 - 1680年頃) (Willem Claesz Heda)、ウィレム・カルフ(1619年 - 1693年)(en:Willem Kalf) は静物画を「派手に」発展させた画家で、ピーテル・クラース(? - 1660年)(Pieter Claesz) の静物画は静謐でヴァニタスを好んで描いた画家だった。静物画家が使用する絵具は、とくに17世紀半ばには茶色が色彩のほとんどを占めており、かつぼんやりとした効果で描かれることが多かった。しかしながらヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム(1606年 - 1684年)(Jan Davidsz. de Heem) は例外的に豊かな色彩の静物画を描いている画家の一人となっている。 花を中心に描く静物画も一つのジャンルをなし、マリア・ファン・オーステルウィック(1630年 - 1693年)(en:Maria van Oosterwijk) やラッヘル・ライス(1664年 - 1750年)(en:Rachel Ruysch) のようにこのジャンルで活躍した女流画家もいる。静物画では花それ自体は非常に写実的に描かれてはいるが、咲く季節がそれぞれ異なる花々が同じ絵画に描かれることや、同じ花が複数の絵画に描かれることもごく普通のことだった。また、花瓶に多くの花束を飾ることは当時の一般家庭ではありえず、非常に富裕な家庭でさえもデルフト陶器のチューリップ用花挿し (en:Tulipiere) に一本ずつ花を飾るのが精いっぱいだった。 オランダ静物画は、フランドル生まれで17世紀初めにはオランダ北部で活動していたアンブロジウス・ボスハールト(1573年 - 1621年)と、その一族によって発展した。ボスハールトの義弟バルタザール・ファン・デル・アスト(1593年頃 - 1657年)(en:Balthasar van der Ast) は貝や花を静物画に描いた最初の画家のひとりだった。これら初期の静物画では花束は比較的シンプルに表現され、どちらかといえば明るい色調の作品だった。しかしながら17世紀半ば以降の静物画はウィレム・ファン・アールスト(1627年 - 1683年)(en:Willem van Aelst) の作品に見られるように、暗色の背景を持った典型的なバロック様式といえる構成になっていった。 『時計と静物』, ウィレム・ファン・アールスト, 暗色の背景で描かれた静物画 『ブラックベリーパイの朝食』ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ1631板、油彩54 x 82 cmドレスデン美術館 『ヴァニタス』, ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム 『死んだ孔雀の静物画』, ヤン・ウェーニクス
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