詩
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詩(し、うた、英: poetry, poem; 仏: poésie, poème; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。
注釈
- ^ 今日ではデジタルメディアの特性を取り込んだ詩 (en:Digital poetry) も行われ、また小説投稿サイトなど投稿形式でインターネットに詩を載せる営みもある。
- ^ 逆に日本の読者の場合、適当に行分けされた断片的な書き物を想像するかもしれないが、(優れたものであれば)そうした詩にも隠れたリズムや音調があるものである。萩原朔太郎『詩の原理』1928年 。2009年12月30日閲覧。"すべての詩は、必ずしも規約された形式韻文ではないけれども、しかもすべての詩は――自由詩でも定律詩でも――本質上に於て音律を重要視し、それに表現の生命的意義を置いている。"。
- ^ これらの出典から明らかなように、(少なくとも優れた詩人の作品においては)対比やサプライズのような詩的ではない効果を得たり不規則なリズムを詩的に用いたりといった詩的な理由があるものである。
- ^ 多くの学者、とりわけホメロスの流儀やバルカン諸国の口承叙事詩の研究者たちは、初期の文書が大きな詩のユニットを構築するためのブロックとして繰り返し句を用いるなどのより古い詩の伝統の跡をはっきりと示しているのではないかと示唆している。記憶の補助として筆記が利用できるようになる前にはリズミカルで繰り返しのある形式が長い物語を記憶し再び語るのを容易にしたのであろう。
- ^ 例えば、16世紀のアラブ世界では外交の多くは詩的な形式を通じて行われた。See Natalie Zemon Davis. Trickster's Travels. Hill & Wang, (2006), ISBN 0809094355.
- ^ 政治的毒舌の例としてはリベル(中傷文)や、マルティアリスとカトゥルスの古典的エピグラムなどがある。
- ^ 古代ギリシアでは、医学や学問的な作品はしばしば韻文形式で書かれた。1500年後のイブン・スィーナーの医学的テクストの多くも韻文であった。
- ^ イブン・ルシュドはアリストテレスの『詩学』の、原典の例文をアラビアの詩人たちのものに置き換えた注釈を著した。 See, for example, W. F. Bogges. 'Hermannus Alemannus' Latin Anthology of Arabic Poetry,' Journal of the American Oriental Society, 1968, Volume 88, 657-70, and Charles Burnett, 'Learned Knowledge of Arabic Poetry, Rhymed Prose, and Didactic Verse from Petrus Alfonsi to Petrarch', in Poetry and Philosophy in the Middle Ages: A Festschrift for Peter Dronke. Brill Academic Publishers, (2001), ISBN 90-04-11964-7.
- ^ 例えば、イマヌエル・カント『判断力批判』(J.H.バーナード訳、p.131)では詩の自意識的な抽象と美しい形式という性質は言葉による芸術の中で最高位へと詩を引き上げ、より論理的・物語的な散文はその下に来るものとされていた。
- ^ Negative Capabilityに適切な訳語を当てるのは極めて困難である。藤本周一 (3 2005). “John Keats: “Negative Capability”の「訳語」をめぐる概念の検証” (pdf). 大阪経大論集 55 (6): 5 - 27. ISSN 04747909 2009年12月2日閲覧。.
- ^ "A poem should not mean / But be" 『詩論』という題名はホラティウスの同名の評論への言及である。この詩は詩がどのようなものでなければならないかの宣言を列挙し、この著名な2行で結んでいる。[1]
- ^ 『失楽園』の2つの版がプロジェクト・グーテンベルクで利用できる。Project Gutenberg text version 1 and Project Gutenberg text version 2.
- ^ ロシア語原典[2]と、チャールズ・ジョンストンによる英訳[3]が利用可能。英語版ウィキペディアのEugene OneginとNotes on Prosodyの項目およびその注釈にある、翻訳上の問題点や、ロシア語と英語の弱強四歩格の違いに関する議論も参照。
- ^ 脚韻、頭韻、類韻、子音韻はまた反復する音声のパターンからは分離された意味をも持ちうる。例えば、ジェフリー・チョーサーは古英語の詩を嘲笑し、人物を時代遅れに見せるために過度の頭韻を使用したし、クリストファー・マーロウは"th", "f", "s"による頭韻と子音韻の組み合わせを用いて、女々しく描写したい人物に舌足らずに喋らせた。一例として、マーロウ『タンバレイン大帝』の冒頭のスピーチを見よ(Project Gutenberg)。
- ^ 日本語はほぼ全てのモーラが開音節で、全てで100種類強しかないので単調になり押韻には適さなかった(金田一春彦『日本語の特質』NHKブックス、1991年)。「日本語の音韻」も参照。
- ^ 日本語でも藤原公任の和歌「たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ」や島崎藤村『千曲川旅情の歌』「こもろなる こじょうのほとり」のようにモーラ単位の頭韻法が散見される。
- ^ フランス詩法では、place/masseのように末尾が無音のeで終わる韻を女性韻、pleur/fleurのようにそれ以外で終わる韻を男性韻と呼ぶ。両者を交互に配する交韻を正則とし、他に「a-a-b-b」と配する平韻、「a-b-b-a」と配する抱擁韻がある(fr:rime参照)。英詩では最後の音節にアクセントがあれば男性韻、なければ女性韻(この場合2音節以上の押韻を求められる)となる。
- ^ 実際に、ウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の翻訳にあたって、エドワード・フィッツジェラルドは原詩の押韻構成を保持しようと試みた。この翻訳はプロジェクト・グーテンベルクで利用できる[4]。
- ^ ウィキソースに原典、英訳あり。
- ^ モダニズム以前のカリグラムの好例として、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』での、鼠の話が長い尻尾の形になっている詩がある。ウィキソースの原文参照。
- ^ 詩での象徴主義と隠喩の用例として良く知られたものにサミュエル・テイラー・コールリッジ『老水夫行』がある。水夫に殺される信天翁は伝統的に幸運の象徴であり、その死には象徴的な含意がある。
- ^ 『イソップ寓話』は紀元前500年頃に最初の記録が現れて後、何度となく韻文と散文の双方で翻訳されてきた。時代を超えた単体のアレゴリー詩の情報源として恐らく最も豊かなものであろう。その他の主要な例として、13世紀フランスの詩『薔薇物語』、ウィリアム・ラングランドの『農夫ピアズの夢』、17世紀フランスのジャン・ド・ラ・フォンテーヌ『寓話集』[5](イソップに影響されている)なども参照。
- ^ ジョン・ドライデンによるホラティウスの頌歌の翻訳が、英語圏でのこの形式の成立に特に影響を持った。ただしドライデンはホラティウスが行わなかった押韻を訳詩で用いている。
- ^ 福永武彦らマチネ・ポエティクの詩人たちによるソネットなどの押韻定型詩の試みも存在した。
- ^ シェイクスピアは『ハムレット』においてそのような分析を戯画化し、ジャンルが「悲劇詩、喜劇詩、歴史詩、田園詩、田園喜劇詩、歴史田園詩、悲劇歴史詩、悲劇喜劇歴史田園詩…」から成っていると書いた。
出典
- ^ 「(創造のうち)音楽と韻律に関わる物のみがポイエーシスと呼ばれ、この意味でのポイエーシスを有する者のみがポイエーテースと呼ばれるのです。」(プラトン『饗宴』)
- ^ "詩者、志之所之也。在心為志、發言為詩。" 「詩とは志の赴くところである。それが心の中にあるのが『志』、言葉として発したものが『詩』である。」(『詩経』序)
- ^ 外山正一、井上哲次郎、谷田部良吉『新体詩抄』1882年8月 。2023年2月26日閲覧。"均シク是レ志ヲ言フナリ、而シテ支那ニテハ之ヲ詩ト云ヒ、本邦ニテハ之ヲ歌ト云ヒ、未ダ歌ト詩トヲ総称スルノ名アルヲ聞カズ、此書ニ載スル所ハ、詩ニアラス、歌ニアラス、而シテ之ヲ詩ト云フハ、泰西ノ「ポエトリー」ト云フ語即チ歌ト詩トヲ総称スルノ名ニ当ツルノミ、古ヨリイハユル詩ニアラザルナリ"。
- ^ a b For one recent summary discussion, see Frederick Ahl and Hannah M. Roisman. The Odyssey Re-Formed. Ithaca, New York: Cornell University Press, (1996), at 1-26, ISBN 0801483352. Others suggest that poetry did not necessarily predate writing. See, for example, Jack Goody. The Interface Between the Written and the Oral. Cambridge, England: Cambridge University Press, (1987), at 98, ISBN 0521337941.
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- ^ As a contemporary example of that ethos, see T.S. Eliot, "The Function of Criticism" in Selected Essays. Paperback Edition (Faber & Faber, 1999). pp13-34.
- ^ James Longenbach, Modern Poetry After Modernism (Oxford University Press US, 1997). pp9, pp103, and passim.
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- ^ See, e.g., Grandmaster Flash and the Furious Five. "The Message (song)," Sugar Hill, (1982).
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- ^ Heath (ed), Aristotle's Poetics, 1997.
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- ^ See, for example, Dylan Thomas's discussion of the poet as creator in Quite Early One Morning. New York, New York: New Directions Press, (1967).
- ^ See, for example, Walton Liz and Christopher MacGowen (Eds.). Collected Poems of William Carlos Williams. New York, New York: New Directions Publications, (1988), or the works of Odysseus Elytis.
- ^ See, for example, T. S. Eliot's "The Waste Land, in T. S. Eliot. The Waste Land and Other Poems. London, England: Faber & Faber, (1940)."
- ^ ロラン・バルトの評論「作者の死」(日本語訳は『物語の構造分析』ISBN 4-622-00481-X 所収)を参照。
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- ^ フランス語原文、および英訳:
- ^ For a good discussion of hard and soft rhyme see Robert Pinsky's introduction to Dante Alighieri, Robert Pinsky (Trans.). The Inferno of Dante: A New Verse Translation. New York, New York: Farar Straus & Giroux, (1994), ISBN 0374176744; the Pinsky translation includes many demonstrations of the use of soft rhyme.
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- ^ Petrarchの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- ^ See Robert Pinsky's discussion of the difficulties of replicating terza rima in English in Robert Pinsky (trans). The Inferno of Dante: A New Verse Translation. (1994).
- ^ 現代詩における視覚空間のさまざまな用例については、E・E・カミングスの作品や、ラ・フォンテーヌの寓話のC.J.Mooreによる詩的翻訳(色とページ配置を用いてマルク・シャガールのイラストレーションを補っている)を参照。Marc Chagall (illust) and C.J. Moore (trans.). Fables of La Fontaine. The New Press, (1977), ISBN 1565844041.
- ^
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- ^ 財団法人新村出記念財団 編『広辞苑』(第5版)岩波書店、1998年11月。ISBN 4-00-080111-2。"広義には新体詩を含み、狭義には文語自由詩以後を指す。"。
- ^ ジャンル理論に関する総合的な議論については、Daniel Chandler's [Introduction to Genre Theory[7]も参照。
- ^ 一例としてNorthrop Frye. Anatomy of Criticism. Princeton, New Jersey: Princeton University Press, (1957)(ノースロップ・フライ『批評の解剖』)を見よ。
- ^ Jacques Derrida, Beverly Bie Brahic (Trans.). Geneses, Genealogies, Genres, And Genius: The Secrets of the Archive. New York, New York: Columbia University Press(2006), ISBN 0231139780.
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- ^ ウィキソース原文
詩作
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「アンジャル・ギマラー」の記事における「詩作」の解説
当初はスペイン語で文学活動を行っていたが、やがてカタルーニャ語でジャーナリストとしての活動を行うようになった。1871年には週刊誌『ラ・ラナシェンサ』の創刊者のひとりとなり、この雑誌はギマラーの監督の下で日刊紙となった。1875年には「花の宴(スペイン語版)」で佳作となり、翌年にもこの詩歌競技会で受賞した。1877年にも受賞したことで、3度受賞した者に与えられる「楽しい知識の師」という名誉称号を得た。1889年には「花の宴」を主宰する立場となった。
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詩作
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在獄中に看守の目を盗んで多数の詩を残し、戦後、同房者のベルギー人によって彼の詩はソビエト連邦に送られ、詩集「モアビトの手帳」として公刊されて1957年、レーニン賞を受賞した。
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詩作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 06:48 UTC 版)
禮讓 千里修書只爲牆,讓他三尺有何妨。長城萬里今猶在,不見當年秦始皇。 千里 書を修すは 只だ牆の爲,他(かれ)に 三尺を讓るも 何ぞ妨(さまた)げ有らんや。長城 萬里 今 猶ほ在るも,見えず 當年の 秦始皇。 経緯:郷里で屋敷の境界を繞っての諍いがあり、都で官員になっている張英に、掩護を求めてきた。それに対しての返事の詩。この詩の意を解した郷里では、塀を三尺さげた。その行為に対して、隣家でも塀を三尺後退させた。結果、道幅は幅広い一丈六尺となり、その徳行が称えられたという、故事の詩。今はこのところが六尺巷と言われている。 訳註:※千里修書只爲牆:はるばると手紙を書いて(寄こした)のは、ただ土塀のためだけ(だったのか)。 ・千里:長大な距離をいう。はるばると。 ・修書:手紙を書く。 ・只:ただ…だけ。 ・爲:…のため。 ・牆:かきね。土塀。※讓他三尺有何妨:そちらさんに一メートルばかり譲るのが、いったいどのような妨(さまた)げとなるのか。いったい、どんな困ることがあるというのか。 ・讓:ゆずる。 ・他:彼。三人称。 ・三尺:約1メートル。清代の1尺は、32cm。 ・有何妨:いったいどのような妨(さまた)げとなるのか。どんな困ることがあるというのか。 ・妨:妨(さまた)げ。じゃま。※長城萬里今猶在:長城の万里(の規模)は、今もなお存在しているが。 ・長城:万里の長城。 ・萬里:果てしもない長さ。 ・猶:なおも。今に到るまでずっと。 ・在:存在している。※不見當年秦始皇:(それを造った)そのかみの秦の始皇帝の姿は見えなくなっている。万里の規模を造れる者でさえ、人の営みははかないものなのだ。ましてや、僅かな土塀で愚かしいことを言うな。 ・不見:いなくなる。 ・當年(たうねん):往時の。当時の。その頃の。そのかみの。 ・秦始皇:秦の始皇帝。ここでは、万里の長城を築いた者の意で使われている。
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詩作
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「ファウスト・チェルチニャーニ」の記事における「詩作」の解説
チェルチニャーニの詩は7冊の小冊子として出版され、大部の書物 Scritture. Poesie edite e inedite(Genesi、2015年)にまとめられた。ある批評家は、その詩は「甘美」ながら「鋼のように硬く輝く」と評し、別の批評家は「抽象を通じて身体性 (physicality) を再構築している」と述べている。 チェルチニャーニはまた、詩の自己翻訳(英語版)を実験している。
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詩作
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「ナワラット・ポンパイブーン」の記事における「詩作」の解説
ナワラットが詩作を始めたのはタンマサート大学入学時からで、同学文芸クラブで発表し、頭角を現していった。1969年処女作品集『ことばのしずく』を発表。その後、『プラチャーティパタイ』、『プラチャーチャート』、『アーティット』紙などで作品を発表していった。
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詩作
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「エイブラハム・カウリー」の記事における「詩作」の解説
代表作は、『詩集』(1656年)、『近作詩集』(1663年)、『詩文集』(1668年)など。その詩の特色は機知に頼る表現にあるが、ときにそれは極端に走り、後年、サミュエル・ジョンソンによって、「カウリーのみならず、おそらく形而上詩人すべてが犯した過ちは、詩想を枝葉末節まで追究しすぎたために、普遍的なものにそなわる威容と荘厳が失われたことである」などとして、悪しき「形而上派的奇想」の実例として槍玉にあげられる程でもあった。 とはいえ、カウリーの詩は、当時の一つの詩風の明快な実践であり一定の影響力をもち、文学史上の重要性も認められる。たとえば、頌歌に関しては、カウリーは、古代頌歌のスタンザの区分を理解することなく、高尚で激情に満ちた詩であると考えた。その影響によって、英国における頌歌は通例、各行の長さと韻律がまちまちとなったスタンザが続く詩となっている。
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詩作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:23 UTC 版)
言葉に対しては幼い頃から深い関心を抱き、語呂合わせ、駄洒落などの言葉遊びが好きだったが、これが高じて17歳のときに(彼自身の言葉によると)「実存の危機」に陥った。鏡に映る自分の姿を自分自身であると認めることができず、ほとんど狂気か自閉症に陥りそうになったという。そしてこのときから言葉の実験として詩を書き始めた。 ブルゴーニュ地方の修道院で哲学者ポール・デジャンルダン(フランス語版)が開催した「ポンティニー旬日懇話会(Décades de Pontigny)」に参加したのを機に、デジャンルダンのほか、『新フランス評論』編集長を務めた作家のアンドレ・ジッド、評論家ジャック・リヴィエール、言語学者・作家のジャン・ポーラン、同誌に寄稿していたロジェ・マルタン・デュ・ガール(『チボー家の人々』の著者・ノーベル文学賞受賞作家)らに認められ、1927年から『新フランス評論』誌に詩を発表し始めた。1930年代に詩人フランシス・ポンジュに出会い、生涯にわたって親交を深めることになる。 最初の詩集『隠れた大河』は1933年に自費出版し、第二次大戦直前の1939年に詩集『アクサン』がガリマール書店(現ガリマール出版社)から刊行された。
※この「詩作」の解説は、「ジャン・タルデュー」の解説の一部です。
「詩作」を含む「ジャン・タルデュー」の記事については、「ジャン・タルデュー」の概要を参照ください。
詩作
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1867年25歳の時、パリ万国博覧会に自動電信機を出品している。26歳のときにニーナ・ド・ヴィヤール夫人の芸術サロンに出入りするようになり、ニーナの影響で詩作を始める。『アルティスト』誌に処女作を発表し、1869年に第2次『現代高踏詩集』にも作品が採択された。 1870年の普仏戦争においてプロシア軍の砲撃で、レンヌ街の家の屋根が崩れ落ち、クロス達三兄弟はサンジェルマン大通りにある古い友人であるヴェルレーヌのマチルド夫人の母の家に移る。クロスはこの家で、マチルド夫人の異父兄シャルル・ド・シヴリとともに、ルビーやダイヤモンドの人工宝石の実験に没頭していた。マチルド夫人によると、この実験は成功してルビーを製造したが、本物よりも費用がかかって実用的ではなかったという。またこの時期に詩集『白檀の小箱』に後に収められる作品を執筆していた。 その後パリ・コミューンにより軍医として任命され、負傷者の治療にあたる。クロスは画家のペテーヌとともにセギエ街のアパルトマンを借りて移っていたが、コミューン敗退後の1871年9月にヴェルレーヌとともにアルチュール・ランボーに対面し、一時期ランボー少年はクロスの部屋に同居、わずかの後に仲違いして出て行くことになる。またこの10月にはヴィヤール夫人のサロンの高踏派詩人らのグループ「破廉恥漢たち(fr:Vilains Bonshommes)」の中で先鋭的で、コミューンにも同調する者達による、新集団「セルクル・ジュティック(fr:Cercle des poètes Zutiques)」を組織する。これにはヴェルレーヌ、ランボーなども加わり、最年長の音楽家エルネスト・カバネルの部屋に集まっていたが、指導的立場だったクロスは1ヶ月で脱退する。 1872年の『文芸復興』誌に「燻製にしん」が発表されると評判になり、独特の「Il était un grand mur blanc — nu, nu, nu,」のような表現が流行した。1873年に詩集『白檀の小箱』が刊行され、「燻製にしん」もこれに収められる。「燻製にしん」は、包囲下のパリである日リラダンが一匹の燻製ニシンを持ってヴェルレーヌ家を訪れ、そこに来たクロスがこのニシンを天井から吊るし、それを眺めながら作ったと言われている。
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詩作
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「リチャード・ウィルバー」の記事における「詩作」の解説
詩人として望みうるすべての賞を授かったと Poetry Foundation は Ruth Lilly 詩作賞授賞式で評した。 ローマ賞 ― 文学部門 (1955年) エドナ・ミレイ記念賞 ― Poetry Society of America (1957年) 全米図書賞の詩部門 ― “Things of this World“ (第8回1957年) ピューリッツァー賞 詩部門 (1957年、1989年) ― 受賞作は“Things of This World : poems” (1957年)、“New and Collected Poems 1989年 アメリカ合衆国桂冠詩人 ― ロバート・ペン・ウォーレンに次ぐ2人目 (1987年)。 エイキン・テイラー現代詩賞 (The Aiken Taylor Award for Modern American Poetry) ― "Trolling for Blues" (1988年)。アメリカのピューリッツァー賞詩人で小説家のコンラッド・エイキンを記念する賞。The Best American Poetry 1988 に掲載された。 ロバート・フロスト記念賞 (Poetry Society of America 選定、the Robert Frost Medal) ― 詩作賞 (1996年) ウォレス・スティーブンス記念賞 (the Wallace Stevens Award、Academy of American Poets) ― 詩作賞 (2003年) Ruth Lilly Poetry Prize (The Poetry Foundation) ― 受賞の副賞は10万米ドル。(2006年)
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詩作
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「ヘンリー・ハワード (サリー伯)」の記事における「詩作」の解説
詩人として功績を残し、1532年のフランス滞在中にイタリアの文化と詩に触れ、友人のトマス・ワイアットと共に英語で初めてソネットを書き、ペトラルカのソネットを英語に訳した。作品はワイアットの詩と共にリチャード・トテル(英語版)が出版した『トテル詩選集』で広く知られるようになった。またウェルギリウスの作品を翻訳する際に初めてブランクヴァース(無韻詩)の使用を試みたこともあり、叙事詩『アエネーイス』第2巻と第4巻を翻訳、無韻詩に移し替えた。ワイアットとともに『イギリスのソネットの父』と讃えられる。
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詩作
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「ジョン・フォード (劇作家)」の記事における「詩作」の解説
詩についても数作が残っている。1920年代にオーストラリア生まれの作曲家ジョン・ゴフがフォードの詩"Beauty's Beauty"に曲をつけた。
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詩作
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「デビッド・スタインマン」の記事における「詩作」の解説
63歳のとき、スタインマンは詩作に興味を抱いた。多くの人々が、彼の作った橋そのものが詩であると書き送ったことがそのきっかけとなった。彼の橋を架けることへの愛が、彼の書くものに反映された。たとえばThe Bridge、I Built a Bridgeといったタイトルにそれが見える。スタインマンの詩は多くの賞を受け、多くの新聞や雑誌に掲載された。彼の指導力は詩の世界でも八基され、ウイスコンシン詩作連盟の代表となったほか、ニューヨーク詩作学会の理事にもなった。 "A bridge is a poem stretched across a river, a symphony of stone and steel" a line from his poem Brooklyn Bridge - Nightfall
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詩作
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「エルデンダライ・アロハン」の記事における「詩作」の解説
叙情詩「心に実る 秋の果実」が詩集「青年詩人アンソロジー」(モンゴル語)に収録される。内モンゴル文化出版社1994年 詩集「星空のバラード」(モンゴル語;ODEDIN SHIVNEL 中国語;俄阿儒汗 星空之歌 )を出版。内蒙古人民出版社 2013年
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詩作
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シーガーの有名な詩のひとつ「I Have a Rendezvous with Death」は、シーガーの死後に出版された。結果的に戦死したシーガーの詩作や、個人的に書き留めていた手稿において、繰り返し出てくる主題は、若いうちに栄誉ある人生の終わりを迎えたいという望みであったJFK図書館 (the JFK Library) によると、このシーガーの詩は、「ジョン・F・ケネディのお気に入りの詩のひとつであり、彼は、しばしば妻(ジャクリーン)にこの詩を読み上げることを求めた」という。 シーガーの詩作は、死後1年が経った1917年になるまで出版されなかった。詩集『Poems』は、あまり売れなかったが、エリック・ホムバーガー (Eric Homberger) は、20世紀はじめには既に時代遅れとなっていた、過剰な理想主義と言葉遣いがその理由だと評している。『The Egoist』誌に掲載された『Poems』の書評において、かつてハーバードで同級生だったT・S・エリオットは、次のように述べた。 シーガーは自分の詩作に真剣で、そのために呻吟した。作品はよくできており、時流からはあまりに外れており、そのことがむしろ肯定的な質になっている。彼の詩は、誇張的、装飾的で、荘厳だが、その荘厳さは単なる文学的形式上のことに留まるものではない。自らが証しできることの何たるかを弁えていたアラン・シーガーは、この世におけるその全人生を、非の打ち所のない詩的威厳をもって生き抜いた。彼のすべては一貫したものであった。
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