作者の死
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「作者の死」(さくしゃのし、英語 The Death of the Author)は、フランスの哲学者ロラン・バルトが1967年に発表した文芸評論の論文[1]。バルトはテクストは現在・過去の文化からの引用からなる多元的な「織物」であると表現し、作者の意図を重視する従来の作品論から読者・読書行為へと焦点を移した[2][3][4]。
- ^ a b 岩手大学人文社会科学学部 平成12年度後期 フランス文学特講I(後藤尚人)Résumé
- ^ 荒井訓「本を読むことの現在」『文化論集』第25号、早稲田商学同攻會、2004年9月、 245-281頁、 ISSN 09184589、 NAID 120000792041。
- ^ 浅野 麗・小野祥子・河野龍也・佐藤淳一・山根龍一・山本 良 編著 大学生のための 文学トレーニング 現代編
- ^ 内山加奈枝「近代以降の読者と批評家 : 「この私」の批評の困難をめぐって」『日本女子大学紀要. 文学部』第64号、日本女子大学、2014年、 13-32頁、 ISSN 0288-3031、 NAID 120005574876。
- ^ a b 吉川登「ロラン・バルトのテクスト理論について-1-鑑賞学の基礎づけのために」『熊本大学教育学部紀要 人文科学』第40号、熊本大学、1991年、 81-87頁、 ISSN 0454613X、 NAID 110000953328。
- ^ 浅沼圭司「作者,その生と死 : ロラン・バルトの所説をめぐって」『美學美術史論集』第4巻第1号、成城大学、1984年8月、 3-38頁、 ISSN 09132465、 NAID 110000312707。
- ^ In theory: The Death of the Author Andrew Gallix Wed 13 Jan ‘10 15.36 GMT
- ^ Aspen no. 5+6: The Minimalism issue
- ^ 石原千秋『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』第2章
- ^ Adrian Wilson Foucault on the "Question of the Author": A Critical Exegesis The Modern Language Review Vol.99, No.2 (Apr., 2004), pp.339-363, doi:10.2307/3738750
- ^ 星野太 作者 | 現代美術用語辞典ver.2.0
- ^ 痕跡・死・滞留―ジャック・デリダの写真論『留まれ、アテネ』を中心に―吉松覚
- ^ Harvey Hix Morte D'Author: An Autopsy
- ^ 野崎歓「作者と訳者の境界で」(日本近代文学会関西支部『作家/作者とは何か』所収)
- 1 作者の死とは
- 2 作者の死の概要
作者の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:17 UTC 版)
詳細は「作者の死」を参照 バルトの仕事の中でも頻繁に議論されるのが、『物語の構造分析』に収録されている「作者の死」である。本稿でバルトは、現代においても、大きな支配的な概念となっている「作者」という概念に疑問を投げかける。私たちは、ある芸術作品を鑑賞するとき、その作品の説明をその作品を生み出した作者に求めがちである。これは、作品を鑑賞するということは、作者の意図を正確に理解することであるという発想である。このことから、たとえばボードレールの作品はボードレールという人間の挫折のことであり、ヴァン・ゴッホの作品とは彼の狂気であるという発想が導き出せる。しかし、バルトは、この発想を「打ち明け話である」として批判する。このように作者=神という発想ではなく、作品とはさまざまなものが引用された織物のような物であり、それを解くのは読者であるとして、芸術作品に対してこれまで受動的なイメージしかなかった受信者の側の創造的な側面を本稿で強調した。この概念は、後年のバルトの作品でもよく言及されている。たとえば、『テクストの快楽』においても、この概念についての論考が見られる(『テクストの快楽』p120)
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