詩作品とは? わかりやすく解説

詩作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 14:34 UTC 版)

ローレンス・ビニョン」の記事における「詩作品」の解説

Lyric Poems (1894) Porphyrion and other Poems (1898) Odes (1901) Death of Adam and Other Poems (1904) London Visions (1908) England and Other Poems (1909) "For The Fallen", The Times, 21 September 1914 Winnowing Fan (1914) The Anvil (1916) The Cause (1917) The New World: Poems (1918) The Idols (1928) Collected Poems Vol 1: London Visions, Narrative Poems, Translations. (1931) Collected Poems Vol 2: Lyrical Poems. (1931) The North Star and Other Poems (1941) The Burning of the Leaves and Other Poems (1944) The Madness of Merlin (1947) Poems of Two Wars (2016) 1915年にシリル・ルーサム(英語版)は『フォー・ザ・フォーレン』合唱/管弦楽曲編曲し初演ケンブリッジ大学音楽協会英語版)・作曲者指揮により1919年行われたエドワード・エルガービニョンの詩3篇(The Fourth of AugustTo WomenFor the Fallen詩文選The Winnowing Fan収録されたもの)を『イングランド精神英語版)、テナーまたはソプラノソロ、コーラスオーケストラのための(1917)』として編曲した

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詩作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:41 UTC 版)

シルヴィア・プラス」の記事における「詩作品」の解説

シルヴィア・プラス8歳のときから詩を書いた。彼女の最初の詩は『ボストン・トラヴェラー(英語版)』誌に掲載された。それからスミス大学入学するまでの間に50編を越え短編書いており、雑誌掲載されたものもたっぷりあった。スミス大学では英語を専攻し優秀なライティング主要な賞総取りして奨学金得た在学中夏休みには雑誌マドモワゼル』のゲスト編集者抜擢された。卒業の年には Two Lovers and a Beachcomber by the Real Sea の詩でグレイスコック賞を受賞したケンブリッジ時代学内報『ヴァーシティ』に投稿した卒業後は、 Yale Series of Younger Poets Competition詩人ランキング何度も名が挙がりHarper's MagazineThe SpectatorTimes Literary Supplement といった印刷媒体作品掲載された。こうした1960年までの創作活動は、同年後半処女詩集 The Colossus and other poemsハイネマン社(英語版)から出版されるというかたちに結実した。The Colossus英米語圏の大手雑誌載った作品ばかりを集めたものであり、『ザ・ニューヨーカー』誌が作品掲載契約を結ぶほど、プラス生前から著名ではあったが、プラス文学的評価不動のものとしたのが、没後1965年出版され詩集エアリエル』である。 1971年には『エアリエル』の元になった手書き遺稿から抽出され未発表の詩9編を含む二分冊の詩集『冬の木立』(Winter Trees)と『川を渡る』(Crossing the Water)がイギリス出版された。プラス詩人仲間であったピーター・ポーター英語版)は『ニュー・ステイツマン(英語版)』誌上次のように書いたCrossing the Water is full of perfectly realised works. Its most striking impression is of a front-rank artist in the process of discovering her true power. Such is Plath's control that the book possesses a singularity and certainty which should make it as celebrated as The Colossus or Ariel. —Peter Porter、 『川を渡る』は完璧な作品集だ。プラス真の実力発見していく中で、この作品集から受ける強い印象第一級芸術家から受ける印象と同じものとなった。『コロッサス』や『エアリエル』と同等評価を受けるべき途方もなさや確からしさといったものは、本書隅々行き渡るプラス目配りにこそある。 —ピーター・ポーター 1981年にはテッド・ヒューズ序文書き編集したシルヴィア・プラス詩集』(Collected Poems)が出版された。これには1956年からなくなるまでに書かれた詩が集められている。こうしてプラス没後にその詩作への評価定まりピューリッツアー賞追贈された。そのほかには、ヴァージニア・コモンウェルス大学院生により2006年発見された、スミス大学入りたてのころに書いたアンニュイ」という題名ソネットなどがある。 And IAm the arrow,The dew that fliesSuicidal, at one with the driveInto the redEye, the cauldron of morning. “ ” from the poem Ariel, October 12, 1962コロッサス』は発表当時イギリスで非常に好評博した。そこでは、プラスの詩の語り口抑揚斬新で強い個性があり、アメリカ風であることに対して特に好意的な言葉寄せられた。ピーター・ディキンスンは『パンチ』誌において、この詩集が「正真正銘掘り出し物」であり「読んでいて爽快な気分になる」「清潔感がありわかりやすい詩句」で満ちていると評したT・S・エリオット専門家バーナード・バーゴンジ(英語版)は『マンチェスター・ガーディアン』誌において、この詩集が「並外れた技巧駆使されている」ため「完成度極めて高い」と評したまた、作品公開してその価値世に問うという観点から見ると、プラスは『コロッサス』の出版をもって詩歌愛好家たちの世界始めて姿を現した。1962年にはアメリカ合衆国でも出版されることとなったが、あまり熱のこもった批評得られなかった。しかし、作品評価が高まるに連れ、他の詩人亜流ではないとみなされるようになった後の世代の批評においては奔放な想像力ほとばしり凝縮性に富むプラス後期作品と比較して、『コロッサス』のころの作品は、いくぶん若く、まじめで、過渡的な性格持っている解説されてもいる。 プラスの名前を急速に有名にしたのは、1965年の『エアリエル』の出版であった出版直後から批評家たちはこの詩集詩人いやます絶望や死を願う心の軌跡読み取ろうとし、この詩集そのようなものとして理解した。彼女の悲劇的な死はたしかに彼女を最も有名にし、その現状今でも変わっていないが、そのような理解は彼女の一面捉えているにすぎない雑誌タイム』と『ライフ』は両方とも、ロバート・ロウエルが序文書いた薄い詩集エアリエル』をプラス亡くなった直後取り上げている。『タイム』のレビュワー次のように語った。 Within a week of her death, intellectual London was hunched over copies of a strange and terrible poem she had written during her last sick slide toward suicide. 'Daddy' was its title; its subject was her morbid love-hatred of her father; its style was as brutal as a truncheon. What is more, 'Daddy' was merely the first jet of flame from a literary dragon who in the last months of her life breathed a burning river of bile across the literary landscape. [...] In her most ferocious poems, 'Daddy' and 'Lady Lazarus,' fear, hate, love, death and the poet's own identity become fused at black heat with the figure of her father, and through him, with the guilt of the German exterminators and the suffering of their Jewish victims. They are poems, as Robert Lowell says in his preface to Ariel, that 'play Russian roulette with six cartridges in the cylinder.' —Reviewer of Timeフェミニズム運動文脈において、プラスは「しおれた天才女性シンボル」とみなされフェミニスト闘士たちはプラス詩句自分たちの経験語っているかのように感じた作家のオナー・ムーア(英語版)は『エアリエル』が運動のはじまり画期したと述べプラスは突然「活字となった女性」として現れ確信満ちた様子で、大胆不敵に語り始めた表現したムーア次のように語る。 When Sylvia Plaths Ariel was published in the United States in 1966, American women noticed. Not only women who ordinarily read poems, but housewives and mothers whose ambitions had awakened [...] Here was a woman, superbly trained in her craft, whose final poems uncompromisingly charted female rage, ambivalence, and grief, in a voice with which many women identified. —オナー・ムーア、

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詩作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 16:21 UTC 版)

ドゥルセ・マリア・ロイナス」の記事における「詩作品」の解説

彼女の最初作品であるInvierno de almas y Vesperal は、17歳のときにLa Nación紙に掲載された。1920年から1938年の間に、他の作品が同新聞掲載された。 1929年に、ドゥルセ・マリアは母親姉妹一緒に中東へ旅行しトルコシリアリビアパレスチナエジプト訪れた。特にエジプトではルクソール博物館ツタンカーメンの墓を訪れ、この地は彼女に影響与えた。彼女はファラオへの非常にロマンチック叙情的な手紙書いた1947年に彼女は詩集であるJuegos de aguaを出版し1950年からスペイン出版社がロイナスの作品興味持ち、彼女の作品いくつか出版したJardínはこの時期1951年出版とされる。 これに続き1953年の『ツタンカーメン王へのラブレター』、1958年の『名前のない詩(スペイン語版)』、『テネリフェ島の夏(スペイン語版)』(紀行文)となる。ロイナスはテネリフェ島への最初旅行でこの島に夢中になり、スペインを彼女の第二故郷とした。 そして、スペインでは彼女の作品人気であったのは確かだ1950年には、El País紙とExcélsior紙に毎週寄稿していた。 また、Social、Grafos、Diario de la MarinaEl Mundo、Revista Cubana、Revista Bimestre Cubana y Orígenesにも書いている。これらの多くは彼女の夫であるパブロ・アルバレス・デ・カニャスへの協力として書いたのだった。 彼女の散文の中で、自伝的な作品であり、現在まで多くの人が知らないパブロ・アルバレス・デ・カニャスの知名度高めることに焦点当てた彼女の著書Fe de Vida極めて重要だ。彼は彼女の2人目の夫で、当時ハバナ社交界で名の知れた人物であった

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詩作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 03:01 UTC 版)

ガダラのメレアグロス」の記事における「詩作品」の解説

メレアグロス自身の詩作品は、そのほぼすべてにおいて官能的であり、恋や美を語るに、少年少女区別なくうたの対象とする。メレアグロスの詩の主題は、先達とも言えるカッリマコスや、サモスアスクレピアデスなどの作品継承している。アスクレピアデスカッリマコスにも強い影響与えたアレクサンドリア風エロテック詩の創始者であるが、平明な言葉ウィット富んだ表現特徴である。 メレアグロス作風はしかし異常なほど主題において多芸多才融通性があり、言葉表現適切さ巧みさにおいて高度に発達したのだった彼の言葉簡潔であるが、しばしば絢爛華というかけばけばしいまでの華やかさ持っていた。すでに『花冠』の序文で、それぞれの詩人を花や香葉喩え重ねるような修飾過剰なイメージ重なり記していたが、それはキューピドやその弓矢愛の灯火や蜂蜜象徴など、伝統的なステレオタイプ開陳様相持っていた。 呉茂一はしかしメレアグロス作風を、東洋的絢爛たる官能耽美性として評価し華やかなイメージ燦然を、南国的な情熱発露とも表現する着想豊かさ譬喩巧みは、ときに直裁飾らない言葉交えながら、恋愛イメージ極致とも言える。その言辞イマージュにおいて奔放なまで華麗な展開を示すメレアグロスは、しかしその修辞において、音韻秩序において、きわめて古典的正統様式をまた維持していた。 Πλέξω λευκόιον, πλέξω δ᾽ ἁπαλὴν ἅμα μύρτοις νάρκισσον, πλέξω καὶ τὰ γελῶντα κρίνα,πλέξω καὶ κρόκον ἡδὺν ἐπιπλέξω δ᾽ ὑάκινθονπορφυρέην, πλέξω καὶ φιλέραστα ῥόδα,ὡς ἂν ἐπὶ κροτάφοις μυροβοστρύχου Ἡλιοδώραςεὐπλόκαμον χαίτην ἀνθοβολῇ στέφανος. プレクソー・レウコイオン、プレクソー・ダパレーン・ハマ・ミュルトイスナルキッソン、プレクソー・カイ・タ・ゲローンタ・クリナ、プレクソー・カイ・クロコン・ヘーデュン・エピプレクソー・デュアキントンポルピュレエーン、プレクソー・カイ・ピレラスタ・ロダ、ホース・アーン・エピ・クロタポイス・ミュロボストリュクー・ヘーリオドーラースエウプロカモン・カイテーン・アントボレー・ステパノス。わが編むは・白きすみれ。 わが編むは・ミュルテと共に・優しき水仙花。 わが編むは・また・ほほえむ・百合の花。わが編むは・なおまた甘美なクロッカス花。 重ねて編むは・ヒヤシンスあてなる紫の花を。 わが編むは・愛の喜び薔薇の花(以下、二行未訳) — 『ギリシア詞華集』V巻147. メレアグロス「ヘーリオドーラの花冠

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 04:31 UTC 版)

草野心平」の記事における「詩作品」の解説

初期の作品を除くと、ほとんどの詩において、文末句点用いられている。そのかわり読点はほとんど使われていない。『第四』から『侏羅紀の果ての昨今』まで新仮名採用していたが、それ以前以後旧仮名である。 「詩人」と俗に言われるほどに、生涯にわたってテーマとした詩を書き続けたこの分野では、蛙の鳴き声さまざまなオノマトペ表現されている一方いくつかの前衛的な試みが行われている。たとえば「冬眠」を構成するのは黒丸1文字のみである。また、「Nocturne. Moon and Frogs」「天気」などでは絵画的手法用いられている。 「 るるるるるるるるるるるるるるるるるるるる 」 について心平は『第百階級』のあとがきで「僕はなんぞ愛してゐない!」と叫んだことがあった。実際についての詩作やめよう思ったこともあったと詩集第四』の「覚え書I」にはある。1948年昭和23年)に『定本 蛙』を出したいきさつについて、「もう年貢納めきだろうから」と語っている。しかしその後も心平はの詩を書くこと止めなかった。 『第四』の最初後書きである「覚え書I」は1961年昭和36年1月書かれた。すぐに出版されたわけでなく、に関する詩を作り続けた結果同年10月に「覚え書II」を残すことになる。詩集では、最初覚え書2番目の間に8篇の詩が書かれているその後作品いくつか作り結局、「覚え書III」「覚え書IV」を入れて、ようやく1964年昭和39年)に出版された。出版によって「一応の終結」(「覚え書IV」)をみせたと語りながら、「III」の中では再び作品書きたくなったと告白している。「IVにおいてはの詩に「終り」をつけようしながら一方でに関する詩がこれで終ったとは言い切れないよう気がする」とも書いている。そして、モチーフこの後、『こわれたオルガン』や『太陽は東からあがる』などにも現れ最後の詩集『自問他問』にも2編の詩がある。「かへるのコはかへる」「性・性」である。 この生物に関する詩集を4冊(『第百階級』『』『定本 蛙』『第四』)残しているが、の詩群は、心平の詩作品の全てではない。富士山をはじめとした山についてのもの、海に関するもの、シルクロード扱ったもの(詩集『絲綢之路』はこれを集めたもの)もある。身辺雑記属するものもかなり書かれているが、中原中也訃報寄せた詩篇空間」(『絶景所収)では、「地球」という言葉用いて作者(あるいは語り手)が冷酒を飲む詩「豊旗酒」(『乾坤所収)では、「八岐大蛇」「古事記」「富士(山)」という言葉配置している。 富士山は心平の詩句頻出し、これを題材とした詩集富士山』も編んでいる。1940年昭和15年)から富士についての詩を発表しはじめた。同じ年、南京渡り以後数年間この地を中心に創作活動従事する(「作品第壹」では本文中で、「作品拾参」では注釈のなかで、実際の山を見ているわけではないことが示されている)。1943年昭和18年)に、17篇をまとめて富士山』として昭社から刊行するその後も、折に触れて富士まつわる詩を発表した。『大白道』『日本沙漠』『牡丹圏』『天』におさめられ9つ詩篇は、『草野心平全景』(1973年昭和48年〕)において、作品番号振られ26連作詩集富士山』の一部となった。これとは別に1966年昭和41年)には岩崎美術社から同名詩集刊行している。18詩篇から成り先の26篇と重複するものはない。 心平がと同様、生涯にわたって追い求めた「富士山」は、やはり最後の詩集にも登場する。「何何富士」という詩では、富士山唯一無二であるという前提の下、「富士という名のつく山を皮肉りながらも、それぞれの山の美しさ独自性などを讃美しようとする。 また「天」という言葉もよく現れ、この言葉題名にした作品少なくない(「天のベンチ」「猛烈な天」「空気天」「宇宙天」など)。 「 コウノトリの。鳴き声の。あと。音なく。一切なく。ここは地球の。 ドまんなか動かない天の。戸鎌の。月。「夜景」から 」 昭和30年代除けば心平は多作詩人であり、『第百階級以前にも1923年大正12年)から1925年大正14年)にかけて8冊の詩集編まれている。1973年昭和48年)には、それまで詩業大部分おさめた草野心平全景』が筑摩書房から刊行されたが、その翌年から同社協力の下、1年に1冊のペース詩集出版する企画スタートしたいわゆる年次詩集」である。出版社倒産した1978年昭和53年)を除き1986年昭和61年)まで刊行続けられた(1985年昭和60年〕刊『絲綢之路』は思潮社からのものであり、年次詩集には含まれない)。この間に、同社から『草野心平全集』(1978-1984年 全12巻)が刊行されたが、出版年から分かるように、年次詩集途中(『乾坤』)までしか収録されていない。『侏羅紀の果ての昨今』からは、『第四』のように一度覚え書後書き)をしたためた後にできた数篇の詩が覚え書の後に配置され、「覚え書 II」が書かれるうになる晩年の詩のいくつかでは、過去自作からの引用積極的に行われている。たとえば、『牡丹圏』(1948年昭和23年〕)収録の「ゆき」は、教科書にも掲載され広く知られる詩の1つであるが、この作品登場する文章一部改変した上で『幻象』(1982年昭和57年〕)の同名詩に使用した。そして、「ゆき」の擬音は、「童詩・ゆき」(1985年昭和60年〕刊『幻景』)でも取り入れられている。また、全天』『植物動物』『原音』に収録された「dying-fantasy」「Okhotsk-fantasy」「Nojiri-fantasy」というタイトルの詩は、いずれも絶景』(1940年昭和15年〕)の冒頭詩「Bering-Fantasy」を意識したものと見られる。 心平の詩(特にもの)はいくつも曲がつけられている。例えば「蛇祭り行進」(『第百階級』)は、清瀬保二多田武彦、堀悦子南弘明によって男声合唱曲にされ、いずれも出版されている。「声明しょうみょう)」(『こわれたオルガン』)という詩は、石井眞木によって、実際に声明化された。心平は、詩人作曲家共同によって、新しい歌曲を生み出そうとする音楽グループランディの会」に参加していたことがあり、自身の詩の音楽化関心持っていた詩人1人である。清水脩の「の歌」はここで発表されている。1992年三木稔作曲したフォークオペラ「よみがえる」は、心平のさまざまな詩を素材に、ふじたあさや物語として構成したものであり、登場人(ではなく物の「ごびらっふ」「ぐりま」「るるる」などは原作にも登場している。 草野の詩の評価としては、宇宙的なまでに広がった世界観のなかで存在孤独ニヒリスティックに、あるいはまた瑞々しく描いたともいわれ、彼の詩には「存在の愛(かな)しさ」と孤独強調されながら、一方で野性的なまでの生命力満ちている。だが、その世界時空間宇宙的太古的に昇華されることで、社会的関係性欠如しているという批判かつてはあった。

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