シルク‐ロード【Silk Road】
シルクロード【シルクロード】(草花類)
※登録写真はありません | 登録番号 | 第6669号 |
登録年月日 | 1998年 7月 17日 | |
農林水産植物の種類 | オランダかいう | |
登録品種の名称及びその読み | シルクロード よみ:シルクロード | |
品種登録の有効期限 | 15 年 | |
育成者権の消滅日 | 2004年 7月 21日 | |
品種登録者の名称 | 吉村人志 | |
品種登録者の住所 | 長崎県佐世保市重尾町2654番地5 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 吉村人志 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,ザンテデスキア属エチオピカの花色が白系の個体どうしを交配して育成されたものであり,仏炎苞は一重で,漏斗形の黄白色の切り花向き品種である。 草型は半開張,草丈は中,茎の形態は根茎,花茎の長さはやや長,太さは中,色は黄緑である。葉の全体の形はやじり形,葉縁の波打ちは有,葉身長及び幅は中,葉の表面の色は暗黄緑(JHS カラーチャート3509),斑の有無は無,葉の厚さは中である。葉柄の長さは長,太さは中,上部及び下部の色は濃緑,斑の有無は無である。仏炎苞の一重二重の別は一重,全体の形は漏斗形,ひげの有無は有,長さはやや短,仏炎苞の先端の形は鋭形,先端の背曲及び基部の重なりは中,縁の波打ちは無,長さは中,色の数は一色,内側及び外側の上部と中間の地色は黄白(同3301),花色の変化は無である。肉穂花序の形は円柱形,長さはやや短,太さは細,色は黄である。一株当たりの花数は中,花の香りは無,四季咲き性は有である。 「アンジェリカ」と比較して,草丈が高いこと,花茎が長いこと,葉の全体の形がやじり形であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,昭和60年に育成者のほ場(長崎県佐世保市)において,育成者所有のザンテデスキア属エチオピカの花色が白系の個体どうしを交配して得られた種子をは種し,その開花株の中から選抜,以後,増殖を行いながら特性の調査を継続し,平成6年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
シルクロード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 08:29 UTC 版)
シルクロード(絹の道、英語: Silk Road, ドイツ語: Seidenstraße, 繁体字中国語: 絲綢之路, 簡体字中国語: 丝绸之路[注釈 1])は、紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路網である[1]。全長6,400キロメートル以上、東西の経済・文化・政治・宗教の交流に中心的な役割を果たした[2] [3] [4]。
注釈
出典
- ^ a b c Society (2019年7月26日). “The Silk Road” (英語). National Geographic Society. 2022年1月25日閲覧。
- ^ Miho Museum News (Shiga, Japan) Volume 23 (2009年3月). “Eurasian winds toward Silla”. 2016年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
- ^ a b Gan, Fuxi (2009). Ancient Glass Research Along the Silk Road. Shanghai Institute of Optics and Fine Mechanics, Chinese Academy of Sciences (Ancient Glass Research along the Silk Road, World Scientific ed.). p. 41. ISBN 978-981-283-356-3. オリジナルの27 February 2018時点におけるアーカイブ。
- ^ Elisseeff, Vadime (2001). The Silk Roads: Highways of Culture and Commerce. UNESCO Publishing / Berghahn Books. ISBN 978-92-3-103652-1
- ^ Boulnois, Luce (2005). Silk Road: Monks, Warriors & Merchants. Hong Kong: Odyssey Books. p. 66. ISBN 978-962-217-721-5
- ^ Xinru, Liu (2010). The Silk Road in World History New York: Oxford University Press, p. 11.
- ^ “Proto–Three Kingdomsof Korea | Silk Road” (英語). UNESCO. 2017年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月23日閲覧。
- ^ Jerry Bentley, Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchanges in Pre-Modern Times (New York: Oxford University Press, 1993), 32.
- ^ Jerry Bentley, Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchanges in Pre-Modern Times (New York: Oxford University Press, 1993), 33.
- ^ “Ancient bottom wipers yield evidence of diseases carried along the Silk Road”. The Guardian. (2016年7月22日) 2018年5月18日閲覧。
- ^ シルクロード検定実行委員会 2019, p. 38.
- ^ シルクロード検定実行委員会 2019, p. 18-19, 40.
- ^ a b c シルクロード検定実行委員会 2019, p. 40.
- ^ “習近平主席がモンゴル国のエルベグドルジ大統領と会談、両国の全面的な戦略パートナーシップの絶え間な位発展を推進すると強調”. 新華社. (2015年11月11日) 2016年5月19日閲覧。
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- ^ a b c d e ディジタル・シルクロード・プロジェクト 2005, 空間でたどるシルクロード.
- ^ a b c d e f g h シルクロード検定実行委員会 2019, p. 42.
- ^ シルクロード検定実行委員会 2019, p. 266.
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- ^ Dreyer, Edward L. (2007). Zheng He: China and the Oceans in the Early Ming Dynasty, 1405–1433. New York, NY: Pearson Longman. ISBN 9780321084439. p. 70-73
- ^ 「世界航海史上の先駆者 鄭和」(新・人と歴史 拡大版21)p108-109 寺田隆信 清水書院 2017年8月30日初版第1刷
- ^ a b c シルクロード検定実行委員会 2019, p. 44.
- ^ “Sub-regional workshop for South Asian Silk Roads Transboundary Serial Nomination and Cultural Landscape Initiatives, 19-21 May, 2021, Kathmandu, Nepal”. UNESCO (2021年5月13日). 2021年5月13日閲覧。
- ^ 景淨; 呂秀厳. “大秦景教流行中国碑拓本”. 古代文字資料館. 2021年4月3日閲覧。
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- ^ en:Jerry H. Bentley, Old World Encounters: Cross-Cultural Contacts and Exchanges in Pre-Modern Times (New York: Oxford University Press, 1993), 69, 73.
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- ^ 『続日本紀』巻第十二 聖武天皇 天平八年(736年)
- ^ 森豊 『シルクロードと日本文化』p. 235 白水社、1982年
- ^ 王坤「中国側から見る日中経済協力 : 1979~1988年の『人民日報』の対中ODA 報道を中心に」OUFCブックレット 3, 313頁, 2014-03-10
- ^ 日本ユネスコ協会連盟 『世界遺産年報2015』pp. 18 講談社、2014年
- ^ 日本ユネスコ協会連盟 『世界遺産年報2005』p. 40 平凡社、2005年
- ^ SILK ROADS DIALOGUE, DIVERSITY & DEVELOPMENTUNESCO
- ^ 「中国『経済ベルト』戦略 / シルクロード 世界遺産」『読売新聞』2014年6月23日(朝刊)4面
- ^ “宝物について”. 正倉院. 宮内庁. 2021年4月3日閲覧。 “「正倉院はシルクロードの終着点である」という言葉は,この宝物のもつ世界性の一端を言いあらわしたものといえるでしょう。正倉院宝物は,単に奈良朝文化の精華を示すだけでなく,実に8世紀の世界文化を代表する貴重な古文化財なのです。”
- 1 シルクロードとは
- 2 シルクロードの概要
- 3 交易路
- 4 宗教の伝播
- 5 関連作品
- 6 参考文献
シルクロード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 19:54 UTC 版)
各回番組は「NHK特集 シルクロード」を参照。
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シルクロード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:04 UTC 版)
中央アジアを東西に貫通する交易路をシルクロードと称し、その一部が世界遺産に登録されている。シルクロードの名称は古くからのものではなく、19世紀ドイツの地理学者リヒトホーフェンが1877年に刊行した著書で用いたのが最初である(ドイツ語では「ザイデンシュトラーセン」)。リヒトホーフェンや弟子のヘディンが用いた「シルクロード」は、東トルキスタンを東西に走る交易路を指したが、今日の「シルクロード」はより広く、中国から地中海東岸まで、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路を指している。この交易路には、北方草原地帯を通る、いわゆる「草原の道」と、南の砂漠地帯を通るいわゆる「オアシスの道」とがあった。「シルクロード」という語は、一般に後者を指す場合が多いが、歴史的には前者、すなわち草原の道の方が主たる交通路であったと指摘する研究者もいる。いわゆる「オアシスの道」には、天山山脈の北を通る天山北路と、南を通る天山南路があり、後者はさらにタクラマカン砂漠(タリム盆地)の北縁を通る西域北道と、南縁を通る西域南道に分かれる。天山北路は中国からハミ、トルファン、ウルムチを経て天山山脈の北を通り、イシク湖方面へと至る道である。西域北道はトルファンで天山北路と分かれ、カラシャール、クチャ、アクスを経て、カシュガルへ至る。一方の西域南道はホータン、ヤルカンドを経て、やはりカシュガルに至る。カシュガルからはパミール高原の北の地峡を通って西トルキスタンに至り、北西路と南西路に分かれる。北西の道をとればフェルガナ、ソグディアナを通って、アラル海、南ロシア方面へ通じていた。一方、南西に向かえばバクトリア、シリアを経てビザンティウム(コンステンティノープル、イスタンブール)へ、あるいはバクトリアを経て南のインド方面へ至る。インドに発祥した仏教は、北西インドを経て紀元前1世紀頃には西域南道の諸都市に伝来した。
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シルクロード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 13:55 UTC 版)
12世紀に、10km東にあるシルクロードの町サイラム(Sayram)を守るキャラバンサライ(隊商宿)としてできた。
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「シルクロード」の例文・使い方・用例・文例
- それはシルクロードを伝ってヨーロッパに広まった。
- 私はシルクロードに沿って旅をした。
- 私はシルクロードを訪れたい気が大きいにある。
- ガラス製品はペルシャからシルクロードを通ってきました。
- シルクロードを踏破するのが彼の子供の頃からの夢だった.
- シルクロードという,古代の東西交通路
- シルクロードという,中国から中東に至る古代の交易路
- パルミラは2世紀から3世紀にかけてシルクロードの隊商都市として繁栄した。
- 1400年前にササン朝ペルシャで作られ,シルクロードを通って日本に持ち込まれた。
- 遠い昔,この国のいくつかの都市は有名なシルクロード沿いにあり,栄えていました。
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