漢詩とは? わかりやすく解説

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かん‐し【漢詩】

読み方:かんし

中国の詩。一句が四言・五言、または七言からなるのが普通で、平仄(ひょうそく)・脚韻などの規則がある。古詩楽府(がふ)・絶句・律・排律などの種類がある。また、それをまねて日本作った詩。からうた

中国漢代の詩。


漢詩

読み方:カンシ(kanshi)

中国漢代の詩


漢詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 03:08 UTC 版)

漢詩(かんし)とは、中国の伝統的な韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した体系的な詩のこと。中国文化の伝来に伴い、奈良時代から日本でも詠まれるようになった。


注釈

  1. ^ 理由として、日本語で詩を吟じると響きがいい漢詩は、中国語での響きがよくない事が多発したと挙げられる。それは明治時代の国粋主義の影響と考えられている。
  2. ^ 中国語音ではなくとも、日本語音でも、本来の漢詩のリズムを味わうことができるよう、工夫されたものが字音仮名遣いである。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 日本古典文学大辞典編集員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、63-64頁。 
  2. ^ 興膳宏編『中国文学を学ぶ人のために』世界思想社、1991年3月、78頁。 


「漢詩」の続きの解説一覧

漢詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:44 UTC 版)

夏目漱石」の記事における「漢詩」の解説

日本人作った漢詩の中には平仄合っていても中国語での声調まで意識していないものもあるため、中国語吟じられた場合には優れた漢詩とされにくい場合がある。しかし、漱石の漢詩は中国語吟じられても美しい とされ2006年平成17年)には『中国語聞く 夏目漱石漢詩選』(耕文社)というCDつきの書籍出版されている。 漱石の漢詩についての先駆的研究書としては、吉川幸次郎漱石詩注』(1967年昭和42年))があるが、これは漱石造詣深かった禅の用語などに関して注釈がないなどの不備があるとされている(『週刊読書人勝又浩)。またそれに先立ち1946年昭和21年)、娘婿松岡讓が『漱石の漢詩』 を出版している。2008年平成20年)に作家古井由吉により『漱石の漢詩』 が発表された。禅の観点から注釈されたものとしては飯田利行新訳 漱石詩集』 がある。ほかに和田利男『漱石の漢詩』 がある。2016年1月25日二松学舎大学が、漱石直筆漢詩文屏風古書店から購入した発表した屏風2枚折り1対、1枚が縦1m62、横80cm。内容は『禅林句集』から春夏秋冬場面選ばれていた。

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胡兆新」の記事における「漢詩」の解説

癸亥冬日為、如登先生正原文書き下し文口語訳我学空門並学仙 我 空門を学び 並びに仙を学ぶ 私は仏教学び、また仙道学んだ。 朝看紅日暮蒼煙 朝に紅日を看 暮に蒼煙 朝には赤い太陽を、暮には青い見た蓬莱一別方平老 蓬莱 一たび 方来の老いたるに別るるも 蓬莱国で年老いた王方平(中国語版)と別れたが、 不及王喬正少年 王喬の正に少年なるに及ばず 王喬(中国語版)はまだ若年にもなっていなかった。 太田南畝は「仙道」を科挙比喩見て、「詩意を味ふに不満の気甚し。想ふに落第書生、医に逃れたなるべし。」と評している。 在乍揚帆離山試筆南畝先生正原文書き下し文口語訳人説洋中好 人説く 洋中は好し 人々日本よい所だというので、 我亦試軽游 我も亦た 軽游を試む 私もちょっと渡航してみることにした。 掛帆初意穏 帆を掛く 初意穏かなり 帆を揚げた時、初め心は穏やかだったが、 風急繁心憂 風急にして 心憂繁し 風が強くなると、不安が募った漸漸離山漸漸として 山を離るること遠く だんだんと山から遠ざかり滔々逐浪流 滔々として 浪を逐いて流る どうどうとに従って進む。 不堪回憶想 回憶の想い堪えず たまらず思い出湧き出てきて、 郷思満腔愁 郷思 満腔愁う 郷愁が胸一杯満ちる軽はずみな気持ち来日したことを後悔する心境表れている。 甲子初秋、於崎陽旅館雨後有感作原文書き下し文口語訳一雨生涼思 一雨 涼思を生じ 降って涼しく感じられ、 羇人感歳 羇人 歳感ず 異郷にいる私は季節の移り変わり感じる。 蝉声初到 蝉声 初め到り 初めから蝉の声がして、 客夢不離客夢 家を離れず 異郷で見る夢は故郷のことばかり海北人情海北 人情異り 日本社会事情異なり江南去路賒 江南 去路賒(はる)かなり 江南省への距離は遥かに遠い。 故園児女故園 児女在り 故郷息子と娘がいるが、 夜々灯花 夜々 灯花を卜せん 毎晩灯火の折って私の帰国占っているだろう。 結句は「私は毎晩子供夢に現れるよう祈っている。」とも解される

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薫風」の記事における「漢詩」の解説

唐の文宗は以下の詩を作った最初の2行の「起」「承」は文宗、のこる「転」「結」2行を柳公権それぞれ作った。 人皆苦炎熱(人みな炎熱苦しむ) 我愛夏日長(我夏の日長き愛す薫風自南来(薫風南より来る) 殿閣微涼殿閣微涼生ず) この詩は北宋蘇東坡によって批判された。大慧禅師はこの詩から大悟得てから禅語となった

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大囲山鎮」の記事における「漢詩」の解説

元の時代には、文学家史学家の欧陽玄がこの地に来て、『大囲山』という詩を書いた: 「 大囲山高高幾許絶頂嵯峨塢。石隙花開自春夏、地炉僧擁無寒暑清流白鷴滌毛距、緑樹黄熊引筋膂。山腰日午嬰児啼、知有雷公出行。 」

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津波古政正」の記事における「漢詩」の解説

津波古親方政正北京語や英語などの語学堪能人物であった琉球大学附属図書館沖縄県立図書館に「東国興詩集」が所蔵されている。 東国興津波古親方政正)が書いた物の1つに、「龍舟競渡歌」という漢詩がある。 「龍舟競渡歌」石榴如火江頭石榴 火の如く江頭に然え)江頭人喧競龍舟江頭喧しく龍舟競う)銀簫琅琅人海 (銀簫 琅琅として人海のごとく出で旌旗彷彿流 (旌旗 彷彿として霞流る白珠亂跳波激箭 (白珠 乱れ跳び 波は激箭となり)後先相逐光閃電後先逐う 光は閃電す)郎君倚扇船傍坐 (郎君 扇に倚りて船の傍に坐し)呉裝佳人臨淵羨 (呉装の佳人 淵に臨みて羨む)君不聞靈均一去 (君聞かずや 霊均一たび去りて)令人憐湘江 (人をして湘江を憐ましむ を)江水千年江水 清きこと千年人因之爲龍船人 之に因りて爲に龍船をなす)今日龍舟徒戯顛 (今日龍舟徒に戯き顛る)俯仰往事與今事 (俯仰往事と今事)歸來獨吟離騒篇 (帰来して独り離騒篇を吟ず) (意訳):「火が赤く燃えるように石榴ザクロ)の花が咲く岸、見物人々ざわめきの中、いよいよ龍舟ハーリー)の始まりだ。銀色の笛が鳥の清らかな囀りのように鳴る中、繰り出した人は数知れず林立する旗が風にはためき、まるで朝焼け夕焼け赤く流れるよう。さて早くも競漕が始まると、枻の跳ね上げる白い珠は乱れ飛び、波は矢のように走る。先を行く船、後を追う船、いずれ劣らず稲妻のように疾い貴公子が、漕ぎ手に力を添える旗を持って船の傍に坐し、その美しい姿は、呉の美人も羨むほど。あなたは聞いたとがないか。屈原去ってから、人々湘江いつまでも心惹かれ憐れんでいるということを。その湘江千年変わらず清らかに澄んでいる。の人たちは、屈原のために龍舟競漕をするようになったというが、今日龍舟はわざと船を転覆させたりして、楽しい遊びのようだ俯いた仰いだりして、古のことや今のこと思い巡らし、深い感慨抱いて帰り一人屈原偲んで離騒楚辞)を吟じる。」(「琉球漢詩の旅」より)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 13:46 UTC 版)

菊池海荘」の記事における「漢詩」の解説

大窪詩仏初め対面した際、「折贈人」の題を与えられ、「笑贈江南一枝精為骨玉為肌。」と詠み才能保証された。詩仏には当時流行していた宋詩(中国語版)を学んだものの、頼山陽に自集『秀餐集』を酷評されたため、仁科白谷勧め梁川星巌師事し遂に山中での詩を頼山陽絶賛されたという。 実際に詩集を見ると、初期には正硬で理屈的な宋詩の傾向見られるものの、王維陸游の詩を学んだ結果文政9年1826年28歳頃から唐詩平淡さが見られるようになり、37歳神韻派の境地達している。弘化2年1845年47歳頃には李白杜甫模範として格調派会得し弘化4年1847年49歳以降神韻派と格調派折衷完成させた。 南朝古木鎖寒霏 南朝古木、寒霏に鎖(とざ)さる 六百春秋一夢六百春秋一夢非なり 幾度問天天不答 幾度か天に問へども、天は答へず 金剛山暮雲金剛山下、暮雲帰る —「河内路上」 - 河内国金剛山麓に南朝武将楠木正成遺跡訪れて詠んだ詩。 軽雨初晴微月浮 軽雨初め晴れて、微月浮ぶ 西台寺畔緑蘋洲 西台寺畔、緑蘋の洲 春上鉤春潮緩 春鉤に上りて、春潮緩やかなり 好載阿嬌進細舟 好んで阿嬌載せて、細舟を進む —「浅浦詩」 - 湯浅海岸風俗詠んだ竹枝詞(中国語版)。

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郁達夫」の記事における「漢詩」の解説

郁達夫1910年より旧体詩を作っており、すこぶる有名である。王映不和になった後、この事情を「毀家詩記」に組詩で明らかにしている。詩が十九首、詞が一首である。台湾作家・劉心皇が編纂した郁達夫詩詞彙編全集』(台北台湾商務1982)がある。

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副島種臣」の記事における「漢詩」の解説

嗣子副島道正と、門人武井義、鈴木於菟之助、佐々木哲太郎らが編纂した蒼海全集』(大正6年)には、2千を超える漢詩が含まれている。 玉帛朝貢山陵古木 天子憂思 人臣焉安處 副島寒山寺案内した清国官僚が掘近く開いた詩会にて、張継(『唐詩選』)の詩に似せた一首作り驚かせた。 野富烟霞色天花柳春

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賦光源氏物語詩」の記事における「漢詩」の解説

本書中心となる部分であり、源氏物語各巻の内容詠み込んだ漢詩であり、各巻ごとに巻名挙げその後にその巻の内容詠み込んだ漢詩を配している。各巻のほとんどを七言律詩七言八句から成る律詩)の形式詠んでいるが、鈴虫のみ七言絶句七言四句から成る近体詩)の形式詠んでいる。 それぞれの漢詩の前には以下のような巻名巻序記されている。 一桐壺帚木 虚蝉 夕顔二 三若紫 末摘花若紫 四紅賀 五花宴花散里 九陬磨 十明十一澪標 蓬生 澪標一 関屋 同二 十二絵合 十三松風 十四薄雲 十五槿 十六未通女 十七玉鬘 初音 玉鬘並一 胡蝶 同二 同三 常夏 同四 篝火 同五 野分 同六 御幸 同七 同八 被九 十八梅 十九藤裏葉 廿若菜 同下 廿一柏木 廿二横笛 鈴虫 横笛並 廿三夕 廿四御法 廿五幻 廿六雲隠 廿七匂兵部卿宮 又号薫中将 紅梅 匂兵部卿宮 並〃一 竹川 同二 宇治巻(写本によっては「宇治十巻」とするものもある) 一橋姫 又号優婆塞椎本総角早蕨寄生 又号白馬東屋浮舟蜻蛉手習 十夢浮橋物語作者紫式部紫式部詠んだ漢詩 これらの記述巻名巻序という点から見ると、実質的な内容現行の54からなる源氏物語と同じものであり、巻序数え方などについては、以下のような特徴持っている多くの巻で巻名の上または下に巻序を示す数字附されているが、この数字はこの時代では一般的な並びの巻除いた本の巻」のみを数えた数字である。 並びの巻については全体通した巻序数字附されずに、例えば「末摘花若紫」「初音 玉鬘並一」等と記されている。 一部に「虚蝉」(空蝉)や「陬磨」(須磨のような独特の巻名表記含んでいる。 若菜については「若菜 二十」「同下」と二つの詩を記しているものの下巻には巻序数字附されていない雲隠については「廿六雲隠」と項目は立てられているものの、この巻に対応する漢詩は存在しない。また写本によっては「廿六雲隠兵部卿宮 又号薫中将 廿七」として次巻の匂宮併せて2巻一つの詩のみを記しているものもある。 宇治十帖については、それまでとは別に橋姫前に宇治巻」「宇治十巻」などと注記した上で「三総角」等と宇治十帖の中でのみの序数記している。

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宮澤喜一」の記事における「漢詩」の解説

英語通とされるが、宮澤自身東洋的思想を好むと述べ、しばしば好んで漢詩を引用する宮澤は「わたしは英語通となっていますが、実は小さいころ漢学習いましてね、どちらかといえば東洋的思想好きなんです。その漢学王道覇道というのがあるんです。つまり総理大臣という一国宰相なるには自分でなろうとしてなるものでなく人から押し上げられて就く天命みたいなものだと思ってます。人を押しのけてまでというのは、わたしの性にあいませんね」と述べている。 また、総理退陣時の心境として、王昌齢の「一片氷心玉壷にあり」を挙げた

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琉球王国」の記事における「漢詩」の解説

漢詩は、『喜安日記』(尚豊王時代)に隠(? - 1620年)らの漢詩がいくつか収められているように、当初僧侶達によって作詩された。漢詩集では、程順則編纂した中山詩文集』(1725年)が琉球初である。個人の漢詩集としては、蔡鐸観光遊草』、程順則雪堂遊草』、程搏『焚余稿』、周新命『翠詩箋』等がある。

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梁田蛻巖」の記事における「漢詩」の解説

江村北海は、蛻巖の詩の中でも徐文長の詠和す」を「尖新にして精巧」と賞賛している。蛻巖はたびたび詩風変え、成唐の詩人たちや袁中郎、鍾惺、譚元春などの影響を受ける。「天縦の才あり而して力を極めて鍛錬」し、晩年にいたるまで思い字句潜め続けた浅野長祚が『寒檠璅綴』の中で、好学の士のための必読書として『蛻巖集』を挙げている。中根香亭は、新井白石室鳩巣三宅観瀾の詩と蛻巖の詩を比較し、「蛻巖は一生不遇で他の三人栄達したのに遠く及ばないが、その風流高逸境地三人夢想だにできないところである」と評している。

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五十嵐片原」の記事における「漢詩」の解説

漁父図「漁父不交市俗塵迢々舟路自相分。朝来晩去何飄忽心事天一片雲。」 皓図の一律「商山最高処。白髪盤桓。履跡雲中路。棊声天外壇。風塵秦已遠。羽翼漢終安。不識歇成後。仙幾許餐。」 雀「翅翅不知短。頡頏竹叢。追糧無遠近。求宿又西東緑樹林間。黄禾野外風。啁啾何所笑。鴻鵠在蒿。」 山水四面山川。無限風煙養浩然一路遥分春澗連峰高聳暮雲天。不疑仙境凡骨。且就道入尋勝緑。指点泉源従此遡。桃花水釣魚船。」 同「門外楊柳北窓書巻横陳。克知名中楽。便是羲皇上人。」 漁父「不向城中蹈軟塵。扁舟日趁白鴎群。朝来暮去何飄忽心事天一片雲。」

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漢詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 02:38 UTC 版)

石井修三」の記事における「漢詩」の解説

韮山代官江川家では家臣の子弟を幼年期から代官所出仕させ国学剣術等の基礎教育狩猟同行し銃操調連を実施している。石井修三歌詠み環境育ち蘭学のみならず漢詩にもすぐれた能力発揮している。 偶成ぐうせいお殿様江川坦庵公)から江戸へ蘭学留学告げられた日の心境〈修三19歳〉遊禽無宿 豈図蒙恵風 西戎入寇日 粉骨報微功 習齊 拝 (意味) 思いがけず事が成る。 飛びめぐる鳥のように落ち着いて宿るもない私に、思ってもみなかったことに南風のような暖かいお殿様恩恵を受けることができた。 西洋人日本攻め来る日には、力の限り努力し私の僅かなをもって恩返ししようと思う。 墓碑刻まれ辞世七言絶句(修三29歳蘭学研窮廿九秋 何圖忽染采薪即今将向重泉罔極親恩幾世石井周齊 (意味) 蘭学研究して二十九年、図(はか)らずも病を得てしまった。 今この世を去るにあたって、親に恩返し出来なかったけれども何時か世に酬いようと決心している。

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漢詩

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 01:46 UTC 版)

名詞

かんし

  1. 漢文つづられ一般的に、一句が四言・五言もしくは七言からなる詩体古体詩近体詩分かれており、近代詩では一定の格律制約がある。

同義語

関連語


「漢詩」の例文・使い方・用例・文例

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