北条綱成(ほうじょう つなしげ) 1516~1587
北条綱成
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北条 綱成(ほうじょう つなしげ/つななり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。相模国鎌倉郡玉縄城主。北条家の主力部隊五色備えのうち、黄備え隊を率いた。綱成与力衆は組織上、玉縄衆とも呼ばれた。
- ^ a b c 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2006年、567-570頁。ISBN 4-490-10696-3。
- ^ 黒田 2018, p. 69.
- ^ 黒田 2018, p. 140.
- ^ 見崎鬨雄 著「今川氏の甲斐侵攻」、今川氏研究会 編『駿河の今川氏 第7集』1983年。/所収:黒田基樹 編『今川氏親』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二六巻〉、2019年4月、101-102頁。ISBN 978-4-86403-318-3。
- ^ 黒田 2018, pp. 146–147.
- ^ 黒田 2018, pp. 142–143.
- ^ 黒田 2018, pp. 147–152.
- ^ 『関八州古戦録』。伊藤潤・板嶋恒明『北条氏康 関東に王道楽土を築いた男』(PHP新書、2017年)p.41.
- ^ 『武者物語』上巻
- ^ 『関八州古戦録』『北条五代記』。伊藤潤・板嶋恒明(2017年)p.41.
北条綱成
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北条家の家臣。その才を見込まれ、氏康の父・氏綱の養子となる。常に首に数珠をかけている。ボケっぱなしの北条親子に対するツッコミ役であり、4巻でその名を明かされる。
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北条綱成
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