北条氏規(ほうじょう うじのり) 1545~1600
北条氏規
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北条 氏規(ほうじょう うじのり)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。北条氏康の四男で、氏政・氏照の同母弟、氏邦の異母兄。相模国三崎城城主、伊豆国韮山城城将、上野国館林城城将[1]。
注釈
- ^ 北条家(伊勢家)の祖である伊勢盛時(北条早雲)は義元の父である今川氏親の叔父でかつ後見人として今川御一家衆の待遇を受けていた[8]。
- ^ 黒田基樹は仮名の助五郎は今川家の仮名の五郎にちなむものとし、氏真を一門衆として助けるという見方、もしくは今川御一家衆として関口刑部少輔家の後継者に位置付けられたとしている[9]。
- ^ 下山治久は義元の養嗣子となり、氏真に次いで次男扱いであったとしている[10]。
- ^ 今川家・駿河国で成長したことや室町幕府直臣の立場からの延長に位置したと考えられている[16]。
- ^ 北条左馬助は初代玉縄城城主の北条氏時が名乗っていたもので、氏規はその家格を継承する存在であったと考えられている[16]。
- ^ 関口氏広の後継者とされていた場合、家康とは相婿の関係になり、隣同士の伝承も自然なこととして受け止めることも出来ると指摘している[43]。
出典
- ^ 韮山町史編纂委員会 1995, pp. 817–823.
- ^ 黒田 & 浅倉 2015.
- ^ a b 黒田 2017, pp. 88.
- ^ 黒田 2017, pp. 88・163.
- ^ a b 浅倉直美 著「北条家の繁栄をもたらした氏康の家族」、黒田基樹 編『北条氏康とその時代』戎光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉、2021年、41頁。
- ^ 『来連川文書』戦国遺文後北条氏編4463
- ^ 黒田 2017, pp. 89.
- ^ 黒田 2017, pp. 20.
- ^ 黒田 2017, pp. 89-90、193-195.
- ^ 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2006年9月。ISBN 978-4490106961。
- ^ 浅倉直美 著「北条氏規家臣朝比奈氏について」、戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 【東国編】』岩田書院、2017年12月。ISBN 978-4-86602-012-9。
- ^ 「小西八郎氏収集朝比奈文書」
- ^ 黒田 2017, pp. 90.
- ^ 『光源院殿御代當参衆並足軽以下衆覚』『後鑑』所収
- ^ a b 黒田 2017, pp. 91、194.
- ^ a b c 黒田 2017, pp. 92.
- ^ a b c 韮山町史編纂委員会 1995, p. 818.
- ^ 黒田 2018, pp. 123.
- ^ 韮山町史編纂委員会 1995, pp. 818–819.
- ^ a b c 韮山町史編纂委員会 1995, p. 820.
- ^ 黒田 2018, pp. 167.
- ^ 黒田 2018, pp. 191.
- ^ 黒田 2018, pp. 194–195.
- ^ 韮山町史編纂委員会 1995, p. 821.
- ^ 黒田 2018, pp. 216–218.
- ^ 韮山町史編纂委員会 1995, pp. 822–823.
- ^ 『北条五代記』
- ^ 豊臣秀吉知行方目録(神奈川県立歴史博物館蔵)(横浜市歴史博物館 1999, p. 32(写真掲載))
- ^ a b c 「北条家過去帳」
- ^ 黒田 2005, pp. 213.
- ^ 黒田 2017, pp. 186-187・194-195..
- ^ 浅倉直美 著「北条氏との婚姻と同盟」、黒田基樹 編『今川義元』戎光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 第1巻〉、2019年6月、226-228頁。ISBN 978-4-86403-322-0。
- ^ 浅倉直美 著「小田原北条氏と織田・徳川氏」、橋詰茂 編『戦国・近世初期 西と東の地域社会』岩田書院、2019年6月。ISBN 978-4-86602-074-7。
- ^ 黒田 2017, pp. 194.
- ^ 黒田 2005, pp. 213–214.
- ^ 「朝比奈文書」
- ^ 「岡本文書」
- ^ 「高室院文書」
- ^ a b 黒田 2005, pp. 214.
- ^ a b 黒田 2005, pp. 215.
- ^ 「寛永諸家系図伝」
- ^ 相川 2009, pp. 256.
- ^ 黒田 2017, pp. 186–187.
北条氏規
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氏政・氏邦の弟。容貌は兄たちより老けた感じで描かれている。上洛して秀吉と会見しその圧倒的な財力、兵力を感じ秀吉と戦う愚かさを氏直と共に説いたが聞き入れられず(原作では徳川家康と幼少期以来の親友であり、家康の依頼により豊臣家と北条家の衝突を回避すべく奔走している)。
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