北条維貞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 03:19 UTC 版)
北条 維貞(ほうじょう これさだ)は、鎌倉時代後期の北条氏の一門、大仏流の当主。大仏 維貞(おさらぎ -)ともいう[2][3]。父は北条宗宣。六波羅探題南方・連署などを歴任した人物である。
- ^ a b c d e f g h i j k l 安田 1990, p. 537.
- ^ a b c d e f g 『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク所収)「大仏維貞」の項(執筆:森幸夫)より。
- ^ a b c d e f g 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(コトバンク所収))「大仏維貞」の項より。
- ^ 山野龍太郎 著「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」、山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』思文閣出版、2012年、182頁。ISBN 978-4-7842-1620-8。脚注(27)より。詳細は大仏流北条氏の項を参照のこと。また、もう一方の「宗」の字は、父・宗宣がその父(維貞の祖父)・宣時より「宣」の字を受け継いだのと同様に、宗宣から取ったものとみられる。
- ^ 安田 1990, p. 542, 奥富敬之「北条高直」.
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