宇佐美定満(うさみ さだみつ) ????~1564?62?
宇佐美定満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 06:48 UTC 版)
宇佐美 定満(うさみ さだみつ)は、戦国時代の武将。越後国(現在の新潟県)において琵琶島城(新潟県柏崎市)に勢力を持っていたとされる武将。軍記物語では上杉謙信の軍師という扱いを受けているが確実な史料からはその事実は確認されていない。
- ^ 永正11年6月13日付伊達稙宗宛上条定憲書状(越佐史料巻3 1971, p. 609)。
- ^ 新沢 1971, p. 106
- ^ 世界大百科事典 第2版. “享禄・天文の乱”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2020年7月9日閲覧。
- ^ 天文4年5月29日付福王寺孝重宛長尾為景書状(越佐史料巻3 1971, p. 808)。
- ^ 天文5年4月13日付平子右馬允宛長尾為景書状(越佐史料巻3 1971, p. 829)。
- ^ 新沢 1971, p. 107
- ^ 天文4年6月25日付宇佐美四郎右衛門尉宛上条定兼(定憲)書状(越佐史料巻3 1971, p. 811)
- ^ 上越市史編さん委員会 2002, p. 600
- ^ 天文18年6月5日付平子孫太郎宛宇佐美定満書状(越佐史料巻4 1971, p. 12)。
- ^ 天文20年正月15日付発智長芳宛栗林経重書状(越佐史料巻4 1971, p. 37)
- ^ 天文20年正月16日付穴澤長勝宛長尾政景書状(越佐史料巻4 1971, p. 39)
- ^ 天文20年5月15日付平子孫太郎宛宇佐美定満書状(越佐史料巻4 1971, p. 39)
- ^ 天文21年10月10日付平子孫太郎宛宇佐美定満書状(越佐史料巻4 1971, p. 79)
- ^ 天文21年12月12日付大熊朝秀・直江実綱・本庄実乃宛宇佐美定満書状(越佐史料巻4 1971, p. 80)
- ^ 高橋 2007, p. 87.
- ^ 永禄11年8月10日付宝蔵院他四名宛上杉輝虎書状(越佐史料巻4 1971, p. 666)
- ^ 『続群書類従第12輯下』続群書類従完成会、1959年所収
- ^ 新沢 1971, pp. [, 要ページ番号],
- ^ 藩政史研究会 編 『藩制成立史の綜合研究―米沢藩』吉川弘文館、1963年、[要ページ番号]頁。ASIN B000JAIRG0
- ^ 西澤 2000, p. 55, 「謙信と越後の領主」.
- ^ 現在の新潟県上越市柿崎区下小野にあった。
- ^ 矢田俊文 著「戦国期越後の守護と守護代:上杉房定と長尾為景」、田村裕; 坂井秀弥 編 『中世の越後と佐渡―遺物と文書が語る中世的世界』〈環日本海歴史民俗学叢書7〉高志書院、1999年、56頁。ISBN 4906641296。
- 1 宇佐美定満とは
- 2 宇佐美定満の概要
- 3 宇佐美定行
宇佐美定満
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宇佐美定満
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「軍神ちゃんとよばないで」の記事における「宇佐美定満」の解説
琵琶島城の城主。険のある顔つきをした細身の老人。旗印はウサギの頭部をかたどったもの。
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