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徳川光貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/16 12:22 UTC 版)

徳川 光貞
時代 江戸時代
生誕 寛永3年12月11日1627年1月18日
死没 宝永2年8月8日(ユリウス暦1705年9月14日
別名 長福丸(幼名)
戒名 清渓院殿二品前亜相源泉尊義對山大居士
墓所 長保寺
官位 従四位下常陸介、従三位参議右近衛権中将、
正三位権中納言、従二位権大納言、贈従一位
幕府 江戸幕府
紀伊国紀州藩
氏族 紀州徳川家
父母 父:徳川頼宣、母:瑤林院(生母側室中川氏・理真院)
兄弟 光貞、因幡姫(池田光仲室)、
松平頼純、松姫(松平信平室)
正室:伏見宮貞清親王の娘・安宮照子
側室:山田氏、宮崎氏、浄円院
綱教、次郎吉、頼職吉宗
栄姫(上杉綱憲正室)、光姫(一条冬経室)、
育姫(佐竹義苗正室)

徳川 光貞(とくがわ みつさだ)は、紀州藩の第2代藩主である。初代藩主徳川頼宣の長男で、初代将軍・徳川家康は祖父に当たる。正室は伏見宮貞清親王の娘。子に5代藩主から8代将軍となった吉宗の他、綱教(3代藩主)・頼職(4代藩主)、上杉綱憲の室となった娘らなどがいる。幼名は長福丸。極位極官は従二位権大納言。贈従一位。水戸藩徳川光圀や3代将軍家光と従兄弟にあたる。

生涯

※日付=旧暦 寛永3年(1626年)12月11日、紀伊国和歌山城(現和歌山県和歌山市)に生まれる。

寛文7年(1667年)に父・頼宣から家督を継ぎ、元禄11年(1698年)まで31年間にわたり紀州藩の藩政を行う。法令27箇条を制定するなどの善政により、領民から慕われた。嫡男である綱教と5代将軍・徳川綱吉の娘である鶴姫を娶わせる。綱吉を屋敷へ招くなど将軍家と縁を深めるが、鶴姫の死で6代将軍は徳川家宣となる。宝永2年(1705年)には綱教が死去し、綱教の後を追うように薨去した。享年79(満78歳没)。紀伊徳川家の菩提寺である、長保寺(和歌山県海南市下津町)に葬られる。

文武両道の方針を貫いており、明律学を学んで刑法の基礎を作ったり、狩野興益や狩野探幽に師事して水墨画を描くなどした。

官歴

  • 1631年寛永8年)5月3日、従五位上に叙位。
  • 1633年(寛永10年)9月5日、将軍徳川家光の偏諱を授かり光貞を名乗る。従四位下常陸介に昇叙任官。
  • 1640年(寛永17年)3月4日、従三位参議右近衛権中将に昇叙転任。
  • 1653年承応2年)8月12日、正三位権中納言に昇叙転任。
  • 1667年寛文7年)紀伊国紀州藩主相続。
  • 1690年元禄3年)
    • 5月4日、権大納言に転任。
    • 5月12日、従二位昇叙。
  • 1698年(元禄11年)4月22日、隠居。
  • 1702年(元禄15年)5月28日、出家。對山を号す。
  • 1705年(宝永2年)8月8日、薨去。
  • 1832年天保3年)3月5日、贈従一位。法号は清渓院殿二品前亜相源泉尊義對山大居士。

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