はん‐しゅ【藩主】
藩
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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。
注釈
出典
- ^ 漢字学者の白川静によると、「藩」という漢字の意味は「説文解字」では「屏なり」といい、藩屏(原義は垣根)を巡らして帝王を守護するように地方の属国を藩と呼んだのだという。例えば春秋左氏伝では「昔、武王、商に克つ。成王之を定め、明徳を選び建てて、以って周に藩屏とす」とあるという。白川「字通」平凡社、1298ページ
- ^ 例えば漢書・諸侯王表には「藩国の大なるものは、州に跨がり郡を兼ね、連城数百、宮室百官、制を京師に同じうす」とある。白川「字通」平凡社、1299ページ
- ^ 元来は「国の藩屏となる諸侯」の意味であった。白川「字通」平凡社、1299ページ
- ^ 『三百藩藩主人名事典』(新人物往来社)のように豊臣政権期にあたる関ヶ原の戦い当時に存在していた大名の領域およびその支配機構に対しても「藩」を用いている文献もある。更に遡って、江戸期まで存続した織田政権期の大名の支配機構についても「藩」を用いる文献がある。例えば、別所氏の但馬八木藩は1585年立藩であるが、立藩以前の1580年に自刃した別所家当主別所長治についても「藩主長治の(辞世は)『今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我が身と思えば』という一首であって一命にかえて藩民を救う切々とした訴えが胸を打つ」という用例がある(橋本哲二「新西国巡礼の寺」保育社)。また、1922年編纂の「青森県史」では青森県の歴史を「藩政時代以前」「藩政時代」「近世時代」の三年代に分け、津軽藩政時代として「元亀天正中、津軽為信蹶起し郡中を統一して以来」とし、津軽為信が家督を継いだ永禄10年(1567年)を以って「藩政時代」の記述の初めとしている。ただしこれは津軽藩立藩(1590年)以前の史料が極めて少なかったためであると青森県史編纂委員は序文で断っており、織田信長上洛以前の戦国大名を「藩」と称することは殆ど無い。
- ^ 『近世国家史の成立』藤野保著、2002年、吉川弘文館・『津藩』深谷克己著、2002年、吉川弘文館など
- ^ 『譜代大名の創出と幕藩体制』小宮山敏和著、2015年、吉川弘文館、P15より引用
- ^ a b c 目で見る 毛利家あれこれ 〜毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし〜第254回 - 毛利博物館館長代理 柴原直樹(ほっぷ 2015年8月7日号 - 地域情報新聞社)
- ^ 例えば、毛利博物館に所蔵されている毛利敬親宛の任命書には「山口藩知事」と明記されている。
- ^ 森谷秀亮, 「明治初年における府藩県」駒沢史学, (14), 1-21 (1967).
- ^ a b 『江戸幕府崩壊論』藤野保著、2008年、塙書房
藩主
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正室の奥女中であったふくに手を付け、側室として寵愛した。ふくが側室おふねの一派によって危険にさらされると、ふくは寵愛を失って暇を出されて、屋代家にお預けとなったという偽の情報を流し、密かにふくを国元に戻して欅御殿に匿った。その際、磯貝、北村という剣客を護衛に付け、おみちにふくの身の回りの世話をさせた。
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藩主
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「藩主」の例文・使い方・用例・文例
- 藩主
- 旧藩主
- 御触れ書きという,幕府や藩主が一般人民に公布した文書
- 江戸時代,藩主が江戸にいる間,領国の政務をあずかる家老
- 自分が仕える藩主の一家
- 江戸時代,それぞれの藩主に仕えていた武士
- ある藩の最初の藩主
- 藩主の先祖
- 江戸時代,江戸に設けた諸国の藩主の屋敷
- 江戸時代,藩主が発布した法令
- 藩主や藩の役所の命令
- 藩主が土地と人民とを朝廷に返還すること
- 彦根藩主井伊家に伝わった屏風
- 島津家文書は,南九州を治めていた旧薩摩(さつま)藩主の島津家に伝わる1万5133の文書から成る。
- 薩摩藩の第17代藩主,島津義(よし)弘(ひろ)が文(ぶん)禄(ろく)・慶(けい)長(ちょう)の役(えき)で兵士を励ますためにこれを始めた。
- そんなとき,半兵衛が藩主に捕らえられ,死刑を言い渡される。
- 水戸藩主の徳(とく)川(がわ)斉(なり)昭(あき)(北(きた)大(おお)路(じ)欣(きん)也(や))は井伊の考えに反対していた。
- 400年前,支倉は仙台藩主伊(だ)達(て)政(まさ)宗(むね)による外交上の使命を帯びて,スペインとローマに派遣された。
- 彼は少年のころ,赤(あ)穂(こう)藩(はん)の藩主,浅(あさ)野(の)内(たくみ)匠(の)頭(かみ)(田中泯(みん))の温情で助けられたことがある。
- その上,藩主の内藤政(まさ)醇(あつ)(佐々木蔵(くら)之(の)介(すけ))と藩士たちはちょうど参勤交代から戻ってきたばかりなので,藩にはもう1回参勤交代をするのに十分な資金がない。
藩主と同じ種類の言葉
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