獣神サンダー・ライガー 来歴

獣神サンダー・ライガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 18:20 UTC 版)

来歴

ここではライガーの正体とされる山田恵一の経歴も記載している。

山田 恵一
プロフィール
リングネーム 山田 恵一
フジ・ヤマダ
本名 山田 恵一
ニックネーム シューティングスター
リバプールの風
あすなろ戦士
飛燕
身長 170cm
体重 95kg
誕生日 (1964-11-10) 1964年11月10日(59歳)
出身地 広島県広島市中区
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
骨法
柔術
トレーナー 藤波辰爾
山本小鉄
藤原喜明
堀辺正史
デビュー 1984年3月3日
引退 1989年1月頃に消息を絶つ
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山田恵一

広島県広島市中区出身。藤波辰巳に憧れ、プロレスラーを志す。広島電機大学付属高等学校(現:広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。低身長を理由に、日本でのプロ入りを諦め身長制限のないメキシコ行きを決断。渡航資金を稼ぐために高校3年間は毎朝、新聞配達をしていた苦労人である(人生で一番頑張ったのはこれで、レスラー生活より上だと自ら語っている)。ちなみに中学時代は水泳部に所属し、背泳ぎで新人賞を獲得している。また中学の友人(野球部)と当時ジムに通いベンチプレス100kgを平気で上げ、三点ブリッジでその友人を上に乗せて首を鍛えていた。背を伸ばすために始めた水泳だったが、プロレスラーになるための練習を並行し身長が止まってしまったと言う(スクワットは最終的には1500回ほどこなし下記の新日本の体力テストにも問題なかったのは確かである)。

高校卒業後の1983年6月下旬-7月上旬のメキシコ滞在中、そこで出会ったグラン浜田から山本小鉄を紹介され、山本によって新日本プロレス入門を許可される(「高校卒業後、新日本の入門テストを受験し、体力テスト等は合格基準を満たしたが、低身長を理由に不合格となった後に渡墨した」というのは誤りで、実際は受験していないどころか、履歴書も送っていない[4])。1984年3月3日、小杉俊二戦でデビューした。当時の世代で体格的に恵まれないジュニアヘビー級において、ヘビー級のパワーに匹敵したのは山田が初めてといっても過言ではなく、並大抵ではない努力を積み重ねた、努力型の選手として古参ファンから敬服されている。

第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉に敗れ、優勝を逃す。だが、この頃から若手らしからぬテクニックを見せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらに異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦し、善戦するもKOで敗れた。第2回ヤングライオン杯での優勝後は海外修業も経験。遠征中は「フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗り、ローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガーの正体)から、オールスター・レスリングで世界ヘビーミドル級王座を獲得するなど活躍した。

当時の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎ザ・コブラ小林邦昭ヒロ斎藤保永昇男UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫ジャパンプロレス馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだ馴染みの薄い新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。

身長のハンデを埋めるため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇った。通常の興行が行われる際、若手は雑務に追われることが多い中、会場設営、アントニオ猪木のスパーリングパートナー、藤原教室、グッズ販売、自身の試合、先輩レスラーのセコンド、さらにわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと、7時間以上動き続けることも日常茶飯事だった。

1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。

獣神サンダー・ライガー

獣神サンダー・ライガー。

1989年4月24日、東京ドームでアニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画により、小林邦昭戦でデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となった。

ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作漫画でもある「獣神ライガー」で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガーファイヤーライガー獣神サンダー・ライガーへと変化している。

1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッドエル・サムライ、2代目ブラック・タイガー、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、ライガーは日本ジュニア界の中心人物として活躍していくことになる。

当時、新日本プロレスと提携していたアメリカ合衆国のメジャー団体WCWにも何度となく遠征しており、リチャード・モートンブライアン・ピルマンスコッティ・フラミンゴジミー・ガービンブラッド・アームストロングリッキー・スティムボートシェーン・ダグラスなどと対戦[7]1992年12月27日にはサウスカロライナ州グリーンビルにおいて、スティングとのシングルマッチも行われた[8]

また、他団体との交流戦、対抗戦が盛んになると、ライガーも積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力する。ザ・グレート・サスケウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年スーパーJカップを開催、成功を収めた。ところが、同年愛知にて行われたメインイベント、ライガー&長州力組対ワイルド・ペガサス&武藤敬司組の試合で足を骨折してしまう。

その一方で、ライガーは新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からサムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二大谷晋二郎高岩竜一らと戦った(もっとも、カシンは一世代下であるがカシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた。)。特にディーン・マレンコ、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーホースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得した。その出で立ちと実力から人気を博した。

2004年7月3日、大阪プロレスへ参戦し当初はサムライ、金本、井上亘らと共に出場すると思われていたが邪道外道竹村豪氏らと出場。以降、ライガーは三人と共にコントロール・テロ・ユニットControl Terror Unit 略称 : C.T.U)を結成し、ヒールターンを果たす。ライガーも一時、蝶野正洋率いるブラック・ニュー・ジャパンBlack New Japan 略称 : BNJ)というヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが自然消滅になったため、再び独立ユニットとして活動するようになる。

2007年3月26日、ライガーはDRAGON GATEに参戦しドン・フジイの保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦して勝利し、第7代王者に輝いた[9]。4月17日に望月成晃の挑戦を受け初防衛に成功[10] するが、7月1日にCIMAと対戦して敗れ、王座から陥落した[11]

6月26日、ライガーは新日本本社にて会見を開き、C.T.Uの解散を発表する[12]。解散の理由として「ユニット結成の目標として掲げていた「ジュニア制圧」が達成し、ユニットに括られて活動するよりも新たな道を個人で進んでいく方がいいんじゃないか」とライガー自身が語っており、プロレスのユニットとしては珍しいメンバー全員の見解が一致した上での発展的解散となった。8月26日にC.T.U解散興行を行い、その後、ライガーは長州、蝶野らが率いるレジェンドに合流した。

2008年 - 2010年

2008年2月17日、ライガーはAKIRAとのタッグでプリンス・プリンス&プリンス・デヴィット)が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し、デヴィットから勝利を収め第20代王者組となった[13]。4月13日、NO LIMIT裕次郎&内藤哲也)の挑戦を退けて初防衛に成功[14] したが、7月21日に前王者組の稔&デヴィット組に敗戦し王座から陥落した[15]

2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにてデビュー20周年記念試合を行い、かつて幾度も死闘を繰り広げた佐野巧真とタッグを結成し金本浩二、井上亘組と対戦、最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った[16]。2月15日には4年ぶりにタイガーマスクが保持するIWGPジュニア王座に挑戦。ライガーも普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが、最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗れた[17]

2010年5月3日、レスリングどんたく 2010にて、ネグロ・カサスが保持するCMLL世界ミドル級王座に挑戦し、空中胴締め落としでカサスからピンフォール勝ちを収め、第16代王者に輝いた[18]。6月よりCMLLに遠征し、同団体が主催するカンペオン・ウニベルサルに参戦。一回戦でカサスを、二回戦でエクトール・ガルサを、準決勝戦でラ・マスカラを破り決勝へと進出した。8月13日、決勝戦にてラ・ソンブラと3本勝負で対戦し、勝負は3本目にまで持ち越されたが最後はソンブラを丸め込み、ピンフォール勝ちを収め優勝した[19]。12月10日、JAPWに参戦し、アゼリアルの保持するJAPWライトヘビー級王座に挑戦。自身の他にケニー・オメガエル・ジェネリコBボーイ、バンディート・ジュニアが参戦した6WAYイリミネーションマッチで激突し、最後は一騎討ちとなったアゼリアルからピンフォール勝ちを収め、第25代王者に輝いた[20]

2011年 - 2013年

2011年8月27日、ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレスに登場し、かつて新日本の同期だった船木誠勝佐野巧真とトリオを結成して鈴木みのる&タイチ&青木篤志組と対戦、最後は船木が青木からギブアップを奪い勝利を収めた[21]。9月よりCMLLに遠征し、11月18日、CMLLミドル級王座の防衛戦の相手としてドラゴン・ロホ・ジュニアと対戦したが、敗戦し王座から陥落した[22]

2012年よりタイガーマスクとタッグを組む機会が増え始め、ライガーもジュニアタッグ戦線に参入し始める。6月10日、BEST OF THE SUPER Jr.最終戦で組まれた6人タッグマッチに出場し、真壁刀義、タイガーとのタッグで鈴木軍(鈴木&TAKAみちのく&タイチ)と対戦した。この試合でライガーはタイチからマスクを引き裂かれ、素顔を半分まで晒される被害に遭い、最後は鈴木からピンフォール負けを喫した[23]。6月16日、DOMINION 6.16にてタイガーとのタッグで出場し、空位となっていたIWGPジュニアタッグ王座を賭けた試合でTAKA&タイチ組と対戦。ライガーも再びタイチよりマスクを破壊されてしまうが、その下からペイントが施された鬼神ライガーが姿を現し、タイチに対して毒霧、テーブルに向けてのパワーボムで報復を開始、最後はタイガーがTAKAからピンフォール勝ちを収め第32代王者組となった[24]。7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、フォーエバー・フーリガンズロッキー・ロメロ&アレックス・コズロフ)を相手に初防衛戦に挑んだが、敗れて王座から陥落した[25]

2013年7月5日、KIZUNA ROAD 2013開幕戦にて棚橋弘至とのタッグでBULLET CLUBタマ・トンガ&テリブレ)が保持するCMLL世界タッグチーム王座に挑戦。棚橋がテリブレからピンフォール勝ちを収め、第34代王者組に輝いた[26]。一方でNOAHが主催する日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦ではタイガーとのタッグで出場。公式戦を無敗で切り抜け、決勝戦で石森太二&小峠篤司組と対戦しライガーが小峠からピンフォール勝ちを収め、同大会を優勝、同時に第18代GHCジュニアタッグ王者組に輝いた[27]

9月14日、Road to DESTRUCTIONにて、CMLLタッグ王座の初防衛戦の相手としてトンガ&レイ・ブカネロ組と対戦した。試合終盤で相手側のセコンドに就いていたカール・アンダーソンの介入に遭うと、最後はトンガからピンフォール負けを喫してしまい王座から陥落した[28]。 12月7日、NOAH主催のGREAT VOYAGE 2013 in Tokyo vol.2にてGHCジュニアタッグ王座を賭けた5度目の防衛戦として小川良成&ザック・セイバー・ジュニア組と対戦したが、ライガーが小川からピンフォール負けを喫し王座から陥落した[29]

2014年 - 2020年

2014年10月13日、ライガーはKING OF PRO-WRESTLINGにて、NWA社長のブルース・サープNWA世界ジュニアヘビー級王座の次期挑戦者として指名される形でリングに登場した。この日、ライガーは同王座の防衛に成功したチェーズ・オーエンズに対して「アイム・ベリーストロング」とコメントし、対戦を受諾した[30]。11月8日、POWER STRUGGLEにてNWA世界ジュニアヘビー級王座を保持するオーエンズと対戦する。ライガーはこの試合に勝利を収め、第90代王者に輝いた[31]。ライガーはその後、鈴木軍との抗争に身を投じることとなり、中でもエル・デスペラードとの確執が表面化すると12月19日、Road to TOKYO DOMEにてタイガーとのタッグでタイチ&デスペラード組と対戦した。ライガーもこの試合でデスペラードからピンフォール負けを喫すると、試合後に自身のコスチュームとマスクの角をハサミで切り裂かれる被害に遭った[32]

2015年1月5日、NEW YEAR DASH !!にて、NWAジュニア王座の初防衛戦の相手としてデスペラードと対戦した。ライガーも鈴木軍のタイチ、TAKAの介入で苦戦を強いられていたが、ライガーの救援に駆け付けたタイガーが二人を排除し、最後はピンフォール勝ちを収めて初防衛に成功した[33]。その後、2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIで前王者のオーエンズ[34]、3月22日、Road to INVASION ATTACK 2015でタイガー[35] の挑戦を退けて防衛回数を積み重ねていったが、4月13日、アメリカのネバダ州・ラスベガスにて行われたCasino Royale 2015にて、スティーブ・アンソニーに敗れ王座から陥落した[36]。同月29日、レスリング火の国にて新王者となったアンソニーを相手に王座奪還に挑むが、アンソニーのセコンドに就いていたサープに急所攻撃を見舞われ、アンソニーからはNWAジュニアベルトで殴打されると最後はライガーがピンフォール負けを喫してしまい、王座奪取はならなかった[37]

7月16日、ライガーはWWEの傘下団体であるWWE・NXTの収録において、GMであるウィリアム・リーガルから8月22日に行われるTakeover Brooklynに出場し、タイラー・ブリーズと対戦する事が発表された[38]。新日本プロレスの所属選手でNXTに出場するのは史上初であり、大元のWWEを含めると1985年に新日本プロレスと当時のWWFが提携を解消して以来、約30年ぶりの新日本プロレス所属レスラーの出場となった。試合では序盤より優勢に進めて場外にいるブリーズへトペ・コンヒーロ、そしてリング上でライガーボムを決めて勝利した[39]

2016年4月10日、ライガーはINVASION ATTACK 2016にてKUSHIDAウィル・オスプレイのIWGPジュニアヘビー級王座の後防衛を果たしたKUSHIDAからの次期挑戦者に指名を受け、5月3日のレスリングどんたく 2016にて約6年ぶりにベルトに挑戦した。

2017年のBEST OF THE SUPER Jr.24シリーズで「今シリーズ限りでのBOSJ卒業」を表明した。ライガーもAブロックにエントリーして最終戦まで全敗と苦戦するが、最終戦でタイチから価値ある1勝をもぎ取り、1勝6敗の成績でBOSJに別れを告げた。

2019年3月7日、前日の旗揚げ記念日でのIWGP Jr.タイトルマッチ対石森戦の敗戦翌日に現役引退を表明し、ライガーの引退試合は翌年1月のドーム興行で行われることが発表された。発表直後、日本で関連語句がTwitterトレンド入りし、アメリカでも「Liger」というワードがトレンドに入った。

2020年1月5日、レッスルキングダム14、2日目の試合を最後に現役を引退した。ライガーの引退興行では永井が改めて正体が山田恵一であることに触れた。引退に際してライガーは、世田谷区野毛にある寮の管理人として若手選手らのサポートに回る予定が示された[40]。また、テレビ朝日ワールドプロレスリング』ならびに動画配信サービス『新日本プロレスワールド』における放送席解説は引退後も継続となり、引退から5日後のCMLLファンタスティカマニア大阪大会で『怒りの獣神』が流れる中リングに登場し、引退後初めて放送席に加わった。

2020年3月16日、アントニオ猪木、藤波辰爾に次いで日本人レスラー史上3人めとしてWWE殿堂入りすることが発表された[41]
理由は日本国内での活躍だけに留まらず、団体枠を越えた後輩や海外レスラーとの交流試合で互いに技を磨き上げてジュニアヘビーという階級自体の再ブレイク、また90年代半ばにはクリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)、エディ・ゲレロ(2代目ブラック・タイガー)、ウルティモ・ドラゴン、クリス・ジェリコ、レイ・ミステリオ・ジュニアら来日していた選手たちがWCWやWWEなど海外でもクルーザー級として大活躍し、中には新たにクルーザー級王座を制定する団体も現れるなどクルーザー級自体のムーブメントを巻き起こし階級そのものを定着させた立役者として、ライガーは日本を主戦場にしながらも、世界中のプロレス界に多大な影響を与えたことが評価された[42]

現役引退後

2020年3月14日、「獣神サンダー・ライガーチャンネル-Jyushin thunder Liger CHANNEL-」を開設。YouTubeに進出。ライガーは現役時代から饒舌だったが男性にしては高い声で聞き取り易く滑舌も良いので歯切れの良いコーナーとして展開している。芸能活動においては新日本プロレス契約下から引き続きアミューズと契約。YouTubeもアミューズが「チームライガー」として関わり、演出面では坂田栄治(TBS)がセニョール坂田として関わっている[43]

また、現役時代のマイクパフォーマンスの良さを買ってか試合解説者として、度々メイン試合の解説も行っている。その幅の広さは新日本だけでなく、プロレスリング・ノアでもジュニアヘビー級の試合を、掛け値なしに解説している。


注釈

  1. ^ a b よみうりテレビカミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW』2009年10月29日放送分にて広島県広島市出身として出演している。
  2. ^ 「ナイフ」のやりとりは、後述する2019年の鈴木みのる戦前後でも用いられた。
  3. ^ 後にプロレスリング・ノアのYouTubeチャンネルに出演した際、毒霧にタバスコを入れていたことを明かした。
  4. ^ 対戦相手は本来は佐々木健介の予定であったが、健介の負傷と新日本フロント陣との対立により不可能(その後、健介は新日本プロレスを退団。)となった所に、ライガーが強烈に対戦をアピールして実現に至った。
  5. ^ 「ライガー、oz VS ノートン、ヒロ斎藤」戦の試合序盤でライガーがヒロとの試合中にバク転をした後、解説でのやりとりで言っている。
  6. ^ ただし作中でフェニックススプラッシュを使うキャラがいるがそれとは入り方が逆方向である。
  7. ^ この当時のリングネームは佐野巧真と名乗っていたが、この2連戦のみ本名且つ新日本時代のリングネーム佐野直喜として東京ドームのリングに上がった。
  8. ^ 「JUSHIN」をダブルクオーテーションで囲むかどうかが大きな違いである。

出典

  1. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P144(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ Jushin Thunder Liger”. Wrestlingdata.com. 2017年1月25日閲覧。
  3. ^ 【親子共演】ライガーJr.が登場!獣神の息子は現役アイドル!
  4. ^ a b 「獣神サンダーライガー あすなろ戦士の尖りまくり青春記」(『G SPIRITS vol.30』辰巳出版、2013年、ISBN 9784777812660)P32
  5. ^ (日本語) 【獣神サンダー・ライガー×神奈月】本人の前でライガーのボディものまね!ライガーは禁断のレスラーものまねを続々披露!【初コラボ】, https://www.youtube.com/watch?v=UHXzfPBr2Io 2022年7月29日閲覧。 
  6. ^ 永井豪 『永井豪のヴィンテージ漫画館』 河出文庫 2015年、148 - 149頁、154頁。なお初単行本化は1998年12月で、連載期間は1995年 - 1998年。
  7. ^ The WCW matches fought by Jushin Thunder Liger in 1992”. Wrestlingdata.com. 2017年1月25日閲覧。
  8. ^ WCW at Greenville: Sunday, 1992/12/27”. Wrestlingdata.com. 2017年1月25日閲覧。
  9. ^ ライガー選手が第7代オープン・ザ・ドリームゲート王者に輝く!/3月25日DRAGON GATE津大会試合結果”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年3月26日閲覧。
  10. ^ ライガーがドリームゲート初防衛に成功! 次期挑戦者にCIMAが名乗り出る/4月17日DRAGON GATE後楽園大会試合結果”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年4月17日閲覧。
  11. ^ ライガーとCIMAが約7年ぶりにシングルで激突!/7月1日「DRAGON GATE」試合結果(4)”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年7月2日閲覧。
  12. ^ C.T.Uが衝撃の“解散”発表!!”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年6月26日閲覧。
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  14. ^ 第4試合|04/13(日) 18:30 東京・後楽園ホール|Circuit2008 NEW JAPAN BRAVE”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月13日閲覧。
  15. ^ 第6試合|07/21(月) 16:00 北海道・月寒アルファコートドーム|Circuit2008 NEW JAPAN SOUL ~NOVELLO SPARKS~”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年7月21日閲覧。
  16. ^ 第2試合|01/04(日) 16:00 東京・東京ドーム|フィールズPresents レッスルキングダムIII in 東京ドーム”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年1月4日閲覧。
  17. ^ 第4試合|02/15(日) 17:00 東京・両国国技館|Circuit2009 NEW JAPAN ISM”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年2月15日閲覧。
  18. ^ 第3試合|05/03(月) 15:00 福岡・福岡国際センター|レスリングどんたく2010”. 新日本プロレス公式サイト. 2010年5月3日閲覧。
  19. ^ 快挙!! ライガーがソンブラを破り、CMLL版『G1』“第2代カンペオン・ウニベルサル”王者に!!”. 新日本プロレス公式サイト. 2010年8月16日閲覧。
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  28. ^ 第6試合|09/14(土) 18:30 東京・後楽園ホール|Road to DESTRUCTION”. 新日本プロレス公式サイト. 2013年9月14日閲覧。
  29. ^ 永田、KENTAとGHC戦で壮絶打撃戦も奪取ならず!! ライガー&タイガーはまさかの逆転負けで王座陥落!!(ノア有明大会結果)”. 新日本プロレス公式サイト. 2013年12月7日閲覧。
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  43. ^ お知らせです♪チームライガーのセニョール坂田こと坂田さんが監督を務めた映画、相撲道ーサムライを継ぐ者たちーが公開されます。詳しくはこちらをどうぞ”. 獣神サンダー・ライガー ☆ Jyushin Thunder Liger@Liger_NJPW (2020年9月23日). 2022年2月12日閲覧。
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  46. ^ ライガー☆一家迫り来る!自宅公開!中西驚愕&田中悶絶ビックリ福岡大作戦ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ☆中西ランド#119-1
  47. ^ 探検バクモン「プロレス 愛してます!」2015年9月30日放送
  48. ^ 例として『クイズ☆タレント名鑑』『テベ・コンヒーロ』『クイズ☆アナタの記憶』『クイズ☆正解は一年後』『オールスター後夜祭』など。
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  50. ^ 燃えろ!新日本プロレスvol.54「新日事件簿番外編II こんな驚愕ありえねぇ!遺恨サプライズ!!」
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  60. ^ “「プロレス」×「仮面ライダー」の夢のコラボが実現!意外な共通点も?” (日本語). AbemaTIMES. https://times.abema.tv/articles/-/4743529 2018年8月16日閲覧。 
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