オールスターゲーム (日本プロ野球)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 07:49 UTC 版)
概要
毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。
源流は、1リーグ時代の1937年から、メジャーリーグベースボールを手本に開催された「職業野球東西対抗戦」である。この時は、本拠地別に東西でチーム分けがされており、また開催時期はシーズン終了後であった。
その後、1950年にセントラル・リーグとパシフィック・リーグに分裂したのを受けて、翌1951年から、両リーグ対抗方式で実施されている。シーズン終了後は日本シリーズが行われることから、開催時期も夏場、シーズン途中に割り込む形での開催となった。
大会名
1988年より冠大会となっており、以下のような変遷を遂げている。
- サンヨーオールスターゲーム(1988年 - 2006年) - 三洋電機(電機メーカー、現在はパナソニックの子会社)
- ガリバーオールスターゲーム(2007年) - ガリバーインターナショナル(中古車販売)
- マツダオールスターゲーム(2008年 - 2016年) - マツダ(自動車メーカー、広島東洋カープ球団筆頭株主)
- マイナビオールスターゲーム(2017年 - ) - マイナビ(人材広告企業)
開催概要
会場および主催球団
12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団の本拠地(専用球場)で開催となる。地方開催(後述)の場合は日本野球機構(NPB)が直接開催権を持ち、セ・パのどちらをホームとし、どの球団が運営要員を派遣するかはそれまでの開催実績を元に決定される。
かつてはナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられていたため、かつて近鉄バファローズが藤井寺球場と日本生命球場を本拠にしていた頃、藤井寺は当時照明設備がなく、日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄主管では開催されず、本来近鉄主管となる順番の1959年・1967年・1973年・1979年は南海ホークスの本拠地・大阪球場で振り替えた上、南海に開催権を譲渡して開催した。また東映フライヤーズが1953年から1961年の間、駒澤野球場をフランチャイズとしていた9年間の東映の主管試合とロッテオリオンズが1973年から1977年の間、宮城球場をフランチャイズとしていた5年間のロッテの主管試合は開催されなかった。理由は駒澤野球場と宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや、周辺施設の問題による。なお、2002年の第2戦は広島東洋カープが開催権を持つ順番だったが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)であり、地方開催のため広島球団ではなくNPBが主催の上、運営要員は広島を中心にセ各球団から派遣された。
時期・日程
スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、「MLBオールスターが年1試合なのに対し、日本オールスターの3試合は多いのではないか」という日本プロ野球選手会側からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。ただし基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持した上で、第3戦を地方で開催することとなり、1992年の宮城球場を皮切りに地方開催が実施されるようになった。2001年を最後に3試合制は原則として一旦消滅し、2002年〜2010年は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催することとなった。しかし、2011年には選手年金の財源確保などNPBの収益強化を目的として10年ぶりに3試合制が復活し[1][2]、2012年・2013年も3試合制で行われた。なお、2011年からの3年間については東日本大震災の復興支援の意味合いもあり、3試合目は被災地である宮城・岩手・福島の各県の球場で実施された。2014年からは再び2試合制となり、2018年からは4年に1度、1試合を地方球場で開催することになった[3]。
試合開催日も初期の1951年〜1957年は7月初旬か中旬の開催だったが、梅雨の時期と重なり雨天中止・延期が長引いたケース(1953年など)もあったため、1958年〜2001年は梅雨明け後・夏休み初めの週末となる7月下旬に行われた。第1戦は土曜日、第2戦は日曜日、移動日を挟んで第3戦は火曜日に開催された。1990年代の2試合制は平日開催(第1戦火曜日、第2戦は水曜日)だった。その後夏休みの公式戦開催を強化するため2002年〜2004年は7月中旬に一旦繰り上げられるも、セ・パ交流戦開始による同一リーグ所属チーム間との対戦、あるいは交流戦の雨天中止・延期分の予備日日程確保の観点から、2005年以後は7月下旬に戻される。第1戦が木曜日や金曜日に始まる年もあり、2011年には3試合連続で開催された。
2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、史上初めてオールスターゲームが中止となった[4]。
ペナントレースや日本シリーズでは試合時間が3時間超えが年々増加する中、オールスターゲームの場合は試合時間から3時間以内で終える。
地方開催
前述の通りオールスターゲームは、NPB12球団の本拠地になっていない地方都市でも開催されている。NPBではオールスターゲームの誘致条件について「プロ野球開催に対応する施設を有し、且つプロ野球公式戦等の開催実績を積み、施設運営のノウハウを培うことが前提」と説明している。
なお地方開催の場合、開催権はNPBにある。主管相当球団は本拠地開催の場合と同様に運営要員などを派遣しているが、厳密な意味での主管球団ではない。
開催年 | 球場名 | 主管相当球団 |
---|---|---|
1992 | 県営宮城球場[注釈 1] | ロッテ[注釈 2] |
1996 | 富山市民球場アルペンスタジアム | 中日 |
1999 | 岡山県倉敷スポーツ公園野球場 (倉敷マスカットスタジアム) |
広島 |
2000 | 長崎ビッグNスタジアム | ダイエー |
2001 | 札幌ドーム[注釈 3] | 西武 |
2002 | 松山坊っちゃんスタジアム | 広島 |
2004 | 長野オリンピックスタジアム | 西武 |
2006 | サンマリンスタジアム宮崎 | ソフトバンク[注釈 4] |
2010 | 新潟県立野球場 (HARD OFF ECOスタジアム新潟) |
横浜 |
2012 | 松山坊っちゃんスタジアム | ヤクルト |
岩手県営野球場 | 楽天 | |
2013 | いわきグリーンスタジアム | |
2018 | 藤崎台県営野球場 (リブワーク藤崎台球場) |
ソフトバンク[注釈 5] |
2022 | 松山坊っちゃんスタジアム | ヤクルト |
2026(予定) | 富山市民球場アルペンスタジアム |
新潟は2004年4月の段階で2008年のオールスター開催が内定していたものの、同年に新潟県内では平成16年7月新潟・福島豪雨(7・13水害)や新潟県中越地震などの自然災害が相次いだ。県は災害復旧を最優先させるため、2008年竣工予定だった県立野球場の建設事業を凍結し、2005年7月に開催返上を決定。同月末に日本野球機構に開催辞退の申請を提出し、8月1日に行われた実行委員会で正式に承認された。オールスターゲームの地方開催を辞退するのは史上初のケースだった[注釈 6]。その後2006年に球場建設の目途が付いたことから再び開催地に立候補し、2010年の開催が内定。2009年6月の実行委員会で正式に開催が決定した(試合詳細は2010年のオールスターゲーム (日本プロ野球)を参照)。
2013年以降、地方球場でのオールスターの開催が途絶えていたが、2018年の第2戦は熊本県のリブワーク藤崎台球場で開催することとなった。2018年以降、地方球場でも4年に1度開催するとしている[3]。
選出方法
ファン投票により、外野手のみ上位3名まで、その他のポジションについては1位の選手が選出される。投手は「先発」「中継ぎ」「抑え」にポジションが分かれており、それぞれの1位が選出される。また、2008年より選手間投票が導入され、ファン投票と同様に各ポジション1位と外野手上位3名が選出される[5]。翌日発表の監督推薦(前年リーグ優勝球団監督が担当)を併せて両チーム28名ずつ(計56名)がメンバーとして登録される。
選手枠は原則として28名(合計56名)だが、試合数などを考慮し増加する場合がある。2010年は「プラスワン」により29名(合計58名)、3試合制の2011年から2013年は「プラスワン」を含め32名(合計64名)となった。
監督は前年度にリーグ優勝したチームの監督、コーチは前年度に2位・3位であったチームの監督が務める。前年度終了後に監督が交代した場合、またはシーズン中に監督が休養してコーチ等が代行を務める場合でもそのまま監督(監督代行)が監督・コーチとなる[注釈 7]。
ファン投票
ファン投票は、公式投票はがき、市販の郵便・私製はがき、インターネット(パソコン、携帯電話)から投票する。インターネット投票では、同一メールアドレスから1日1回までという投票制限がある[注釈 8]。
公式投票はがきは公式戦の開催会場や有名書店などで配布される[注釈 9]。公式戦会場などでは直接投票できる(切手不要)投票箱が設置されている。かつてはサークルKサンクス(現在のファミリーマート)でも配布されていたが、2016年をもって終了している。コンビニエンスストアの投票箱は2005年に一度設置を取りやめ、2006年から復活した。これは2005年に全面施行された個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)による影響との説があり、2006年以降の公式投票はがきには個人情報の記載が不要となっている。
投票開始日から数えて概ね1週間経過してから締切日までほぼ毎日(土・日曜日は除く)途中経過が発表され、締め切り後1週間程度をメドに最終集計が公表される。
1986年までは18名(1975年の指名打者制度投入後は19名)連記、あるいは1名のみの単記・または18名連記のどちらか等投票方式の変化をたどってきたが、1987年以後は単記・連記自由で、連記の場合は19名(セ・9人、パ・10人)までであれば自由となった(下記参照)。その後ルール改正で投手については「先発」「中継ぎ」「抑え」の3人ずつまで投票できるため、連記の場合は23人(セ・11人、パ・12人)まで投票できる。ただし、各リーグ・各ポジションにつき1名(外野3名まで)は厳守することとなっている。
公式投票はがきからの投票の場合、マークシート方式であらかじめノミネートされた選手の中から選んで塗りつぶす方式が取り入れられている。ノミネート選手外の場合は、チーム、ポジション、背番号の順に塗りつぶして投票する。2016年の原口文仁の場合、T→2→9→4の順に塗りつぶす。
2005年より、ファン投票において得票数トップとなった選手は「最多得票プレーヤー」として表彰される。表彰は出場選手発表後、所属チームのホームゲーム開催球場にて実施され、認定証、盾などが贈呈される。
基本的にファン投票で選出された選手は出場を辞退することができない。辞退した場合は野球協約86条により、当該選手が属する球団の球宴終了後の後半戦開始から10試合選手登録ができなくなる。2006年まで「顕著な傷病等により出場できなかったものとコミッショナーが認めた時は、出場登録できるまでの期間を短縮することができる」とあり、故障による出場辞退の場合は登録停止期間の短縮もしくは免除を受けることができたが、明確な適用基準がなく悪用の恐れがあるとのことから、この年を以って廃止となった。この制度の適用を受けたことがある選手は2003年の川崎憲次郎、2006年の福留孝介・小久保裕紀の3人である。福留は後半戦開幕から活躍したため制度の悪用との批判があった(もっとも福留は他の年はすべて選出された年に出場しており、この年もオールスター前に怪我の影響で14試合を欠場している)。なお2019年より野球協約が改定され、脳震盪により登録抹消された選手は適用除外となる他、オールスターゲーム開催時点で出場選手登録を抹消中の選手については抹消期間中の試合数を10試合から差し引くことになった[10]。
歴代のファン投票の方式
- 1951年、1952年:18名連記。市販のはがき使用による郵送のみ
- 1953年:単記(1名のみ)。はがき郵送のみ
- 1954年、1955年:単記・18名連記のどちらでも可(市販のはがきの郵送の他、新聞刷り込み投票用紙、はがき大の画用紙でも投票と持ち込みも可能)
- 1956年:はがきの場合は単記・18名連記どちらも可。新聞刷り込み投票用紙は18名連記のみ。何れも郵送のみ受付で小包は使用不可
- 1957年 - 1970年:はがき、新聞刷り込み投票用紙とも18名連記のみ。何れも郵送のみで小包使用不可
- 1971年、1972年:両リーグとも同じ守備位置・選手を1つ(1名)ずつ選ぶ準単記方式(即ち投手を投票したいのであればセ・パそれぞれの投手の中から1名ずつ選ぶ)。はがき・専用投票用紙による郵送のみ
- 1973年 - 1975年:両リーグとも投票者が各自守備位置を選び2名ずつ投票する準単記方式。はがき・専用投票用紙による郵送のみ
- 1976年 - 1986年:19名連記(守備位置と背番号の数字と球団の英略を併記)。はがき・専用投票用紙による郵送のみ
- 1987年 - 現在:単記・連記どちらも可。連記の場合は19名(その後投手を3つに分類したため現在は23人)までの範囲であれば自由に投票できるようになった。はがき・専用投票用紙による郵送、球場などでの直接持ち込み、その後インターネット(パソコン、携帯電話)からの投票も可能となる
※参考出典:ベースボール・レコード・ブック1988年版(ベースボール・マガジン社)「オールスターゲーム」の項目を参照
現在のファン投票の問題点
- インターネット投票の導入により、安易に大量投票が可能になったため、故障で試合出場のなかった選手が選ばれたり、そのポジションを経験したことのない選手が票を集めるといった不可解な結果が多くみられるようになっている(例:2003年の川崎祭)。好意的解釈をするか否定的に受け止めるかは人それぞれだが、打撃が得意だったトレイ・ムーア投手に一塁手での投票が入っていたり、一部のファンが中村紀洋の三塁手部門での選出を阻止するため小笠原道大に票を集中させたり、リック・ショートにほとんど守ったことのない遊撃手(ショート)での票が多く入っていたこともある。
- ノミネートされた選手への投票に比べて、その他の選手への投票は手間がかかるため、ノミネート外選手が選出されることは少ない。そのため、シーズン途中からレギュラーになった選手、ノミネートされていない選手は選ばれにくい。また、シーズン中にポジションの変更が行われた選手も変更前のポジションでの得票が圧倒的に多い。また、ポジションを変換した選手は票が各ポジションに分散されてしまう(2000年代後半以降では松中信彦への票が一塁手、外野手、指名打者に分散されてしまっている)。
- 先発・中継ぎ投手は1球団あたり5〜6人ずついるが、枠はそれぞれ1つずつしかないため監督推薦でなければ出場は難しい。
- 票が入りやすいという条件さえあれば、故障選手・2軍調整中選手まで選出されてしまうことがある(2007年の松本輝など)。
- 稀に球団自らが、あるいは球団所在地の地元マスメディアなどが主導する形でチームへの関心の喚起を目的としてファンに投票を呼びかけた場合、結果的に当該球団所属選手への大量得票に繋がってしまうケースがあり、特にその球団のシーズン成績が不振である場合には非難の対象となりやすい(1978年の日本ハム、1995年の横浜、2007年の楽天など。特に前者の場合は一部選出選手が出場辞退に追い込まれている)[11]。
これらの問題の改善策として、ノミネート制度の廃止やポジション別での選出の見直しなどが議論されている。王貞治(ソフトバンク球団会長)は私案として、観戦券1枚に投票用紙1枚を添付する方式を示している。
守備位置の記号
- 先発投手:1-1
- 中継ぎ投手:1-2
- 抑え投手:1-3
- 捕手:2
- 一塁手:3
- 二塁手:4
- 三塁手:5
- 遊撃手:6
- 左翼手:7
- 中堅手:8
- 右翼手:9
- 指名打者:DH
投票で使う球団略号
セ・リーグ
- 読売ジャイアンツ(G)
- 大阪タイガース→阪神タイガース(T)
- 名古屋ドラゴンズ→中日ドラゴンズ(D)
- (第1次)国鉄スワローズ→サンケイスワローズ→(第2次)ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ(S)
- 横浜DeNAベイスターズ(DB)
- 広島カープ→広島東洋カープ(C)
パ・リーグ
- (第1次)阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス→(第2次)オリックス・バファローズ(B) ※バファローズは2019年から
- 南海ホークス→福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス(H)
- 西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→西武ライオンズ→埼玉西武ライオンズ(L)
- 東急フライヤーズ→東映フライヤーズ→日拓ホームフライヤーズ→日本ハムファイターズ→北海道日本ハムファイターズ(F)
- 千葉ロッテマリーンズ(M)
- 東北楽天ゴールデンイーグルス(E)
過去に使われた略号
- セ・リーグ
- (第1次)大洋ホエールズ→(第2次)大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ(W)
- 大洋松竹ロビンス(R)
- 横浜ベイスターズ(YB)
- サンケイアトムズ→アトムズ→ヤクルトアトムズ(A)
- 松竹ロビンス(R)
- パ・リーグ
選手間投票
2008年から、現役選手がファン投票とは別に投票を行って出場選手を選出する制度を導入した。概要は以下の通り。
- 投票は12球団の支配下登録選手全員によって行う。
- 投票対象選手は各球団が選出したファン投票リストの30名。
- セ・リーグは9ポジション9名、パ・リーグはDHを含む10ポジション10名へ投票。外野手はポジションを分けず3名。
- 2010年までは自球団の選手への投票はできなかったが、2011年度より可能となった。
- セ・パそれぞれのポジションの得票数1位をオールスター出場選手とする。
- ファン投票と選手間投票の1位が同一選手であった場合、2位選手の繰上げは行わず、その枠は監督推薦選手に組み入れる。
プラスワン
2010年に60回大会特別企画として導入された、ファン投票・選手間投票・監督推薦の選手以外から「最後の1名」を決めるファン投票。2014年から2017年までは実施されなかったが、その後2018年に再開。2021年も実施されなかったが[注釈 10]、2022年から再開されている。
- 投票の名称
- マツダ・プレマシー プラスワン ドリーム(2010年)
- SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン チャレンジ(2011年)
- SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン ドリーム(2012年)
- プラスワン投票(2013年、2018年以降)
年 | セ・リーグ | パ・リーグ | ||
---|---|---|---|---|
選手名 | 所属 | 選手名 | 所属 | |
2010年 | クレイグ・ブラゼル | 阪神タイガース | 田中賢介 | 北海道日本ハムファイターズ |
2011年 | 澤村拓一 | 読売ジャイアンツ | 斎藤佑樹 | |
2012年 | 堂林翔太 | 広島東洋カープ | 角中勝也 | 千葉ロッテマリーンズ |
2013年 | 内川聖一 | 福岡ソフトバンクホークス | ||
2018年 | 坂口智隆 | 東京ヤクルトスワローズ | 大田泰示 | 北海道日本ハムファイターズ |
2019年 | 原口文仁 | 阪神タイガース | ||
2022年 | 小林誠司 | 読売ジャイアンツ | 清宮幸太郎 | |
2023年 | トレバー・バウアー | 横浜DeNAベイスターズ | 山本由伸 | オリックス・バファローズ |
概要は以下の通り。
- ファン投票、選手間投票、監督推薦による出場選手決定後に、選出されていない出場条件を満たすすべての選手の中から選ぶ。MLBオールスターゲームにおける「33人目の選手」とは異なり、候補者の選考は行われない。
- 投票の受付はインターネット(NPB公式サイト)で行う。2019年はTwitter、2023年はSmartNewsアプリによる投票も可能であった。
- セ・パそれぞれの得票数1位をオールスター出場選手とする。
出場対象選手
- 原則として5月末までに支配下登録されている選手を対象とする。
- 2004年から、1軍の試合実績のない選手への投票を抑制すること、また組織票防止の観点から、打者は10試合以上、若しくは20打席以上出場、投手は5試合以上、若しくは10回以上の登板(出場)実績のない選手は選考の対象から外されることとなった(川崎祭を参照)。
- 外国人選手はファン投票に関しては推薦の上限を設けない(試合出場に際しては同時出場の場合上限あり)。
- 投票期間中の選手移籍に関しては、同一リーグ内の場合は前所属球団の分と併せて得票数に計算。異なるリーグへの移籍となる場合は、前所属球団の分はそのまま「移籍前」扱いとして残して、移籍先球団の所属するリーグでは改めて0の段階から得票を数えていく。
試合方式
- 予告先発があり、第1戦は試合前日に発表される。第2戦、第3戦は各直前試合の終了後に発表される。
- すべての試合で指名打者制。
- 9イニングで終了、延長戦は無し。引き分け再試合も無し。
- 雨天により続行不可能となった場合は公式戦同様コールドゲームは5回裏終了時点で成立とみなす。
- 投手は3イニングを超えて登板することはできない。ただし1死または2死後に登板した場合は、以後の完全な3イニングを投球することができる(したがって、記録上は最大3回2/3まで登板が可能である)。
- 外国人選手枠は1チーム最大5名(2010年までは4名)。同時に出場できる外国人選手は投手1名、野手4名(2010年までは3名)まで。
- 試合の審判は、NPB審判部から選ばれた審判員による。日本シリーズと同じく6人制。公式戦・交流戦とは違い、外審と呼ばれる審判(以前の線審、主に両翼ポール際への打球のファウルか本塁打を判定する)が両翼のファウルライン上に立つ。
- 明確に規定されているわけではないが、開催球場を本拠地とするチームの投手が先発を務めることが慣例になっている(山本昌が自身の公式ページで言及していた)。例としては2003年第1戦(大阪ドーム)の先発投手は、全セが阪神(当時)の井川慶、全パが近鉄(当時)の岩隈久志だった(この年の主管球団は大阪ドームを本拠地にする近鉄だったが、2002年のオールスター開催条項改正で2試合開催の場合のホームゲームはセ・パ各1試合とする取り決めとなったため、セ・リーグのホームゲームとなった)。
大会CM
1999年と2000年には、両軍監督出演の大会オリジナルCMが制作され、6月ごろから各球場の大型映像装置(オーロラビジョンなど)で上映された。
大会マスコットキャラクター
1990年代、三洋電機スポンサー時代のこと、星をモチーフにしたオールスターゲームオリジナルの大会マスコットキャラクター「うっ太」と「なげ太」が存在した。ヘルメットにセ・リーグのロゴが書かれたものと、パ・リーグのロゴが書かれたものの2体が存在。2019年現在、動物のアルパカをモチーフとした「セカパカ」が存在。
大会シンボルマーク
- 三洋電機時代:セ・リーグとパ・リーグのロゴが、書かれたヘルメット。
プラクティスユニフォーム
2007年までは練習中も各球団のユニフォームを着用していたが、2008年からはセ・パそれぞれのイメージカラーである連盟旗の色(セ=緑、パ=青)を基調とした、専用のプラクティスユニフォーム(ミズノ株式会社提供)を着用。ちなみにこのユニフォームは、出場者の直筆サインを入れてインターネットオークションに出品。チャリティーによる売上金は、日本赤十字社を通して同年発生したミャンマーのサイクロンや中国の四川大地震での被災者への救援に充てられた。
2009年は、開催球場を本拠地とする球団のチームカラー(セ=カープの赤、パ=ファイターズの青)に、2010年はそれぞれの開催地をイメージした色(セ=新潟の日本海に浮かぶ夕日のオレンジと日本海のブルー、パ=福岡の玄界灘の深い海をイメージした黒と紺)にそれぞれ変更[注釈 11]されている。
2011年は、セ・パともにマーク・ロゴ以外は全て同じデザインとした。これは同年3月11日発生の東日本大震災からの復興を12球団一丸となって取り組んでいるというメッセージを込めたもので、日の丸をイメージした「白地に赤」となっている。2012年・2013年も同じデザイン(ロゴは変更[注釈 12])のものを使用。ちなみに、実際に試合で着用されたユニフォームは出場者の直筆サインを入れて、インターネットによるチャリティーオークションに出品される。オークションの売上は、全額日本赤十字社を通じて震災の復興のために使用される。
2014年は、3年ぶりにデザインが変更となりセ・リーグは銀、パ・リーグは金を基調としたユニフォームとなった。ロゴの周りには今までと同様に開催地を模した星が、帽子にはリーグのロゴマークがそれぞれ描かれている。また、翌2015年も同じデザインを使用[注釈 13]。
2016年は、サプライヤーがマジェスティック ジャパンに変更されユニフォームも一新、2009年と同様に開催球場を本拠地とする球団のチームカラー(セ=ベイスターズの青、パ=ホークスの黄色)をモチーフにしたものとなった。2017年は開催球場を本拠地とする球団のビジターユニフォーム(セ=ドラゴンズ、パ=マリーンズ)をベースとしたデザイン、2018年は表面は連盟旗、裏面はそれぞれの開催地をイメージした色(セ=青、パ=海老茶色)をベースとしたデザイン、2019年はセ・リーグは濃紺・緑・セルリアンブルー(開催地甲子園のある兵庫県旗の色)、パ・リーグは灰色・青・江戸紫(東京ドームのある東京都旗の色)のそれぞれ3色をベースに、両脇に所属球団をイメージとした星が3つずつ描かれたデザインとなった。
このユニフォームについては、提供者であるミズノ→マジェスティック ジャパンが一般向けとして作製しているレプリカ版を、通販などで販売もしている。なお、販売は期間限定で、ファン投票期間中から開始される。
過去の試合方式
延長戦の規定
- 1953年:12回まで
- 1954年 - 1955年:日没まで。
- 1956年 - 1958年:22時15分以降新しいイニングに入らない。
- 1959年 - 1964年:22時30分以降新しいイニングに入らない。
- 1965年 - 1967年:22時15分以降新しいイニングに入らない。
- 1968年 - 1973年:22時20分以降新しいイニングに入らない。
- 1974年:21時30分以降新しいイニングに入らない。
- 1975年 - 1987年:試合開始3時間を越えて新しいイニングに入らない。
- 1988年 - 1991年:試合開始4時間を越えて新しいイニングに入らない。12回打ち切り。
- 1992年以降:延長なし。9回打ち切り。
指名打者
- 1982年以前:採用せず。
- 1983年:採用するもパ・リーグのみ使用。
- 1984年 - 1989年:採用せず。
- 1990年 - 1992年:パ・リーグ本拠地球場のみ採用。
- 1993年以降:全試合採用。
各種表彰
- 最優秀選手賞(各試合につき1名ずつ):賞金300万円
- 優秀選手賞(各試合につき4名ずつ):賞金100万円
2009年度からは優秀選手に代えて次の各賞を贈呈。- ベストバッター賞(最も優れた打撃技術を見せた選手):賞金100万円
- ベストピッチャー賞(最も卓越した投球を見せた選手):賞金100万円
- ベストプレー賞(守備・走塁など様々なプレーでこれぞプロという技を見せた選手):賞金100万円
- 最多得票プレーヤー(ファン投票において得票数トップとなった選手):認定証、盾など
- 2試合を通しての優秀選手に対する賞(2019年度)
過去の各賞
- SANYO賞→ガリバー賞(各試合で最もファンの共鳴を与えたファインプレーをした選手。SANYO賞のときは随時表彰(賞金10万円)だったが、ガリバー賞は2試合を通して1名にガリバー提供の中古車(車種は選手が決めることができる)が贈られる。2007年度の審査員長は萩本欽一・茨城ゴールデンゴールズ監督が務める)
- ホームラン賞(各試合で本塁打(ホームラン)を打った選手に随時):賞金3万円(テレビの中継では、金額の詳細は略され「賞金が贈られます」と紹介される)
- サンヨーオールスター新人賞→ガリバーオールスター新人賞(全試合を通して、この年オールスターに初出場を果たし、活躍した選手を各リーグから1名ずつ):賞金30万円
- マツダ賞
- 正式名称はマツダ・ビアンテ賞(2008年)→マツダ・アクセラ賞(2009年)→マツダ・プレマシー賞(2010年)→SKYACTIV TECHNOLOGY賞(2011 - 2013年)→Be a driver.賞(2014年 - 2016年)
- 全試合を通じて、プレーやパフォーマンスなどでファンに夢と感動を与え、最も強い印象を残した選手1名に贈られる。
- 副賞:マツダ・ビアンテ(2008年)→マツダ・アクセラ(2009年)→マツダ・プレマシー(2010年)→マツダの「SKYACTIV TECHNOLOGY」搭載車もしくは同社が提供する数種類の車の中から1台(2011年-2016年)[注釈 15][注釈 16]
- 日産ノートe-POWER賞:日産自動車の電気自動車「日産ノートe-POWER」を贈呈(2017年)
- 「協賛社特別賞」として、マイナビ賞とセットで贈呈。
なお、三洋電機が協賛していた時には各賞受賞者に副賞として三洋家電製品が贈呈された。また、各試合の勝利リーグや試合前のアトラクション出場選手への参加賞、オールスター選出選手全員にも出場記念品として三洋製品が贈られた。
ホームランダービー
試合前のアトラクションとして「ホームランダービー」が行われている。
- ルール(2018年以降)[12]
- 出場選手中、本塁打を開催年の7月1日までに7本以上、または前年の公式戦で15本以上打っている選手を対象としてファン投票によりセ・パ4人ずつ選出。
- 第1戦で4人による準々決勝・準決勝を、第2戦で残り4人による準々決勝・準決勝と、各準決勝の勝者による決勝を行う。
- 1回につき2分間(球数は無制限だが、打球が着地するまで次の投球を行えない)[注釈 17]でホームラン数の多い方が勝利。同数の場合は1分間の延長戦を行い、なお同数の場合はファン投票の投票数が多い方が勝利となる。
- 優勝賞金は100万円。これとは別に、全ての対戦を通して打球の速度が一番速かった選手に「日産ノート e-POWER賞」が贈呈される。
- ルール(2017年以前)
- 各試合、ファン投票により選出されたセ・パ2人ずつ出場。
- ホームランにならなかった打球や空振りをアウトとみなし、アウト7回で終了。
- 優勝賞金は50万円。
結果
回 | 年 | 月日 | スコア | 開催球場 | MVP | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1951年 | 7月4日 | – | 阪神甲子園球場 | 川上哲治 | ||||
7月7日 | – | 後楽園球場 | 野口明 | ||||||
7月8日 | – | 後楽園球場 | 林義一 | ||||||
2 | 1952年 | 7月3日 | – | 阪急西宮球場 | (該当者なし) | ||||
7月5日 | – | 後楽園球場 | 飯島滋弥 | ||||||
3 | 1953年 | 7月1日 | – | 後楽園球場 | 飯田徳治 | ||||
7月6日 | – | 阪神甲子園球場 | 平井三郎 | ||||||
7月8日 | – | 中日スタヂアム | 堀井数男 | ||||||
4 | 1954年 | 7月3日 | – | 阪急西宮球場 | 中西太 | ||||
7月4日 | – | 後楽園球場 | 山内一弘 | ||||||
5 | 1955年 | 7月2日 | – | 大阪球場 | 山内一弘 | ||||
7月3日 | – | 阪神甲子園球場 | 西沢道夫 | ||||||
6 | 1956年 | 7月3日 | – | 後楽園球場 | 森下正夫 | ||||
7月4日 | – | 後楽園球場 | 吉田義男 | ||||||
7 | 1957年 | 7月11日 | – | 中日スタヂアム | 大下弘 | ||||
7月13日 | – | 中日スタヂアム | 宮本敏雄 | ||||||
8 | 1958年 | 7月27日 | – | 平和台球場 | 宮本敏雄 | ||||
7月29日 | – | 広島市民球場 | 中西太 | ||||||
9 | 1959年 | 7月28日 | – | 阪急西宮球場 | 山内一弘 | ||||
7月29日 | – | 大阪球場 | 中利夫 | ||||||
10 | 1960年 | 7月25日 | – | 川崎球場 | 森下整鎮 | ||||
7月26日 | – | 後楽園球場 | 金田正一 | ||||||
7月27日 | – | 後楽園球場 | 張本勲 | ||||||
11 | 1961年 | 7月18日 | – | 中日スタヂアム | 広瀬叔功 | ||||
7月19日 | – | 阪神甲子園球場 | 田宮謙次郎 | ||||||
12 | 1962年 | 7月24日 | – | 平和台球場 | ジャック・ブルーム | ||||
7月26日 | – | 広島市民球場 | 張本勲 | ||||||
13 | 1963年 | 7月22日 | – | 後楽園球場 | 近藤和彦 | ||||
7月23日 | – | 東京スタジアム | 王貞治 | ||||||
7月24日 | – | 明治神宮野球場 | 古葉毅 | ||||||
14 | 1964年 | 7月20日 | – | 川崎球場 | 金田正一 | ||||
7月21日 | – | 中日スタヂアム | ジェームス・マーシャル | ||||||
7月22日 | – | 大阪球場 | ジョー・スタンカ | ||||||
15 | 1965年 | 7月19日 | – | 後楽園球場 | ダリル・スペンサー | ||||
7月20日 | – | 阪急西宮球場 | 高倉照幸 | ||||||
7月21日 | – | 平和台球場 | 江藤愼一 | ||||||
16 | 1966年 | 7月19日 | – | 東京スタジアム | 広瀬叔功 | ||||
7月20日 | – | 阪神甲子園球場 | 榎本喜八 | ||||||
7月21日 | – | 広島市民球場 | 古葉竹識 | ||||||
17 | 1967年 | 7月25日 | – | 明治神宮野球場 | 土井正博 | ||||
7月26日 | – | 中日スタヂアム | 長池徳士 | ||||||
7月27日 | – | 大阪球場 | 大杉勝男 | ||||||
18 | 1968年 | 7月23日 | – | 川崎球場 | 江藤愼一 | ||||
7月24日 | – | 後楽園球場 | 柴田勲 | ||||||
7月25日 | – | 阪急西宮球場 | 小池兼司 | ||||||
19 | 1969年 | 7月19日 | – | 東京スタジアム | 土井正博 | ||||
7月20日 | – | 阪神甲子園球場 | 船田和英 | ||||||
7月22日 | – | 平和台球場 | (該当者なし) | ||||||
20 | 1970年 | 7月18日 | – | 明治神宮野球場 | 長池徳士 | ||||
7月19日 | – | 大阪球場 | 江夏豊 | ||||||
7月21日 | – | 広島市民球場 | 遠井吾郎 | ||||||
21 | 1971年 | 7月17日 | – | 阪急西宮球場 | 江夏豊 | ||||
7月19日 | – | 中日スタヂアム | 長池徳士 | ||||||
7月20日 | – | 後楽園球場 | 加藤秀司 | ||||||
22 | 1972年 | 7月22日 | – | 東京スタジアム | 野村克也 | ||||
7月23日 | – | 川崎球場 | 阪本敏三 | ||||||
7月25日 | – | 阪神甲子園球場 | 池田祥浩 | ||||||
23 | 1973年 | 7月21日 | – | 明治神宮野球場 | 若松勉 | ||||
7月22日 | – | 大阪球場 | 福本豊 | ||||||
7月24日 | – | 平和台球場 | 山崎裕之 | ||||||
24 | 1974年 | 7月21日 | – | 後楽園球場 | 高井保弘 | ||||
7月22日 | – | 阪急西宮球場 | 福本豊 | ||||||
7月23日 | – | 広島市民球場 | 張本勲 | ||||||
25 | 1975年 | 7月19日 | – | 阪神甲子園球場 | 山本浩二 | ||||
7月20日 | – | 中日スタヂアム | 松原誠 | ||||||
7月22日 | – | 明治神宮野球場 | 土井正博 | ||||||
26 | 1976年 | 7月17日 | – | 川崎球場 | 有藤道世 | ||||
7月18日 | – | 後楽園球場 | 門田博光 | ||||||
7月20日 | – | 大阪球場 | 吉田孝司 | ||||||
27 | 1977年 | 7月23日 | – | 平和台球場 | 若松勉 | ||||
7月24日 | – | 阪急西宮球場 | 野村克也 | ||||||
7月26日 | – | 明治神宮野球場 | 王貞治 | ||||||
28 | 1978年 | 7月22日 | – | 広島市民球場 | エイドリアン・ギャレット | ||||
7月23日 | – | 阪神甲子園球場 | 簑田浩二 | ||||||
7月25日 | – | 後楽園球場 | 掛布雅之 | ||||||
29 | 1979年 | 7月21日 | – | 大阪球場 | 王貞治 | ||||
7月22日 | – | ナゴヤ球場 | ボビー・マルカーノ | ||||||
7月24日 | – | 明治神宮野球場 | 山本浩二 | ||||||
30 | 1980年 | 7月19日 | – | 阪急西宮球場 | 岡田彰布 | ||||
7月20日 | – | 川崎球場 | 平野光泰 | ||||||
7月22日 | – | 後楽園球場 | 江夏豊 | ||||||
31 | 1981年 | 7月25日 | – | 阪神甲子園球場 | 藤原満 | ||||
7月26日 | – | 横浜スタジアム | 掛布雅之 | ||||||
7月28日 | – | 明治神宮野球場 | 山倉和博 | ||||||
32 | 1982年 | 7月24日 | – | 後楽園球場 | 福本豊 | ||||
7月25日 | – | 西武球場 | 柏原純一 | ||||||
7月27日 | – | 大阪球場 | 掛布雅之 | ||||||
33 | 1983年 | 7月23日 | – | 明治神宮野球場 | 門田博光 | ||||
7月24日 | – | 阪急西宮球場 | 梨田昌孝 | ||||||
7月26日 | – | 広島市民球場 | 落合博満 | ||||||
34 | 1984年 | 7月21日 | – | 後楽園球場 | 簑田浩二 | ||||
7月22日 | – | 阪神甲子園球場 | ブーマー・ウェルズ | ||||||
7月24日 | – | ナゴヤ球場 | 江川卓 | ||||||
35 | 1985年 | 7月20日 | – | 明治神宮野球場 | 高木豊 | ||||
7月21日 | – | 川崎球場 | ウォーレン・クロマティ | ||||||
7月23日 | – | 藤井寺球場 | 松永浩美 | ||||||
36 | 1986年 | 7月19日 | – | 後楽園球場 | 山本和範 | ||||
7月20日 | – | 大阪球場 | 清原和博 | ||||||
7月22日 | – | 広島市民球場 | 吉村禎章 | ||||||
37 | 1987年 | 7月25日 | – | 西武球場 | 高沢秀昭 | ||||
7月26日 | – | 横浜スタジアム | 石毛宏典 | ||||||
7月28日 | – | 阪神甲子園球場 | 清原和博 | ||||||
38 | 1988年 | 7月24日 | – | 阪急西宮球場 | ブーマー・ウェルズ | ||||
7月25日 | – | ナゴヤ球場 | 岡田彰布 | ||||||
7月26日 | – | 東京ドーム | 正田耕三 | ||||||
39 | 1989年 | 7月25日 | – | 明治神宮野球場 | 村田兆治 | ||||
7月26日 | – | 藤井寺球場 | 彦野利勝 | ||||||
40 | 1990年 | 7月24日 | – | 横浜スタジアム | ラルフ・ブライアント | ||||
7月25日 | – | 平和台球場 | 清原和博 | ||||||
41 | 1991年 | 7月23日 | – | 東京ドーム | 古田敦也 | ||||
7月24日 | – | 広島市民球場 | 広沢克己 | ||||||
42 | 1992年 | 7月18日 | – | 阪神甲子園球場 | 石井浩郎 | ||||
7月19日 | – | 千葉マリンスタジアム | 古田敦也 | ||||||
7月21日 | – | 県営宮城球場 | 駒田徳広 | ||||||
43 | 1993年 | 7月20日 | – | 東京ドーム | 清原和博 | ||||
7月21日 | – | グリーンスタジアム神戸 | トーマス・オマリー | ||||||
44 | 1994年 | 7月19日 | – | 西武球場 | 秋山幸二 | ||||
7月20日 | – | ナゴヤ球場 | グレン・ブラッグス | ||||||
45 | 1995年 | 7月25日 | – | 横浜スタジアム | 落合博満 | ||||
7月26日 | – | 広島市民球場 | 松井秀喜 | ||||||
46 | 1996年 | 7月20日 | – | 福岡ドーム | 山本和範 | ||||
7月21日 | – | 東京ドーム | 清原和博 | ||||||
7月23日 | – | 富山市民球場 | 金本知憲 | ||||||
47 | 1997年 | 7月23日 | – | 大阪ドーム | 松井稼頭央 | ||||
7月24日 | – | 明治神宮野球場 | 清原和博 | ||||||
48 | 1998年 | 7月22日 | – | ナゴヤドーム | 川上憲伸 | ||||
7月23日 | – | 千葉マリンスタジアム | 松井秀喜 | ||||||
49 | 1999年 | 7月24日 | – | 西武ドーム | 松井秀喜 | ||||
7月25日 | – | 阪神甲子園球場 | ロバート・ローズ | ||||||
7月27日 | – | マスカットスタジアム | 新庄剛志 | ||||||
50 | 2000年 | 7月22日 | – | 東京ドーム | ロベルト・ペタジーニ | ||||
7月23日 | – | グリーンスタジアム神戸 | 山﨑武司 | ||||||
7月26日 | – | 長崎ビッグNスタジアム | 清原和博 | ||||||
51 | 2001年 | 7月21日 | – | 福岡ドーム | 松井稼頭央 | ||||
7月22日 | – | 横浜スタジアム | ロベルト・ペタジーニ | ||||||
7月24日 | – | 札幌ドーム | 中村紀洋 | ||||||
52 | 2002年 | 7月12日 | – | 東京ドーム | ジョージ・アリアス | ||||
7月13日 | – | 松山坊っちゃんスタジアム | 的山哲也 | ||||||
53 | 2003年 | 7月15日 | – | 大阪ドーム | 高橋由伸 | ||||
7月16日 | – | 千葉マリンスタジアム | 金本知憲 | ||||||
54 | 2004年 | 7月10日 | – | ナゴヤドーム | 松坂大輔 | ||||
7月11日 | – | 長野オリンピックスタジアム | SHINJO | ||||||
55 | 2005年 | 7月22日 | – | インボイスSEIBUドーム | 金城龍彦 | ||||
7月23日 | – | 阪神甲子園球場 | 前田智徳 | ||||||
56 | 2006年 | 7月21日 | – | 明治神宮野球場 | 青木宣親 | ||||
7月23日 | – | サンマリンスタジアム宮崎 | 藤本敦士 | ||||||
57 | 2007年 | 7月20日 | – | 東京ドーム | アレックス・ラミレス | ||||
7月21日 | – | フルキャストスタジアム宮城 | 阿部慎之助 | ||||||
58 | 2008年 | 7月31日 | – | 京セラドーム大阪 | 山﨑武司 | ||||
8月1日 | – | 横浜スタジアム | 荒木雅博 | ||||||
59 | 2009年 | 7月24日 | – | 札幌ドーム | 青木宣親 | ||||
7月25日 | – | MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 | 松中信彦 | ||||||
60 | 2010年 | 7月23日 | – | 福岡Yahoo! JAPANドーム | 阿部慎之助 | ||||
7月24日 | – | HARD OFF ECOスタジアム新潟 | 片岡易之 | ||||||
61 | 2011年 | 7月22日 | – | ナゴヤドーム | 畠山和洋 | ||||
7月23日 | – | QVCマリンフィールド | 中村剛也 | ||||||
7月24日 | – | 日本製紙クリネックススタジアム宮城 | 稲葉篤紀 | ||||||
62 | 2012年 | 7月20日 | – | 京セラドーム大阪 | 中村紀洋 | ||||
7月21日 | – | 松山坊っちゃんスタジアム | 前田健太 | ||||||
7月23日 | – | 岩手県営野球場 | 陽岱鋼 | ||||||
63 | 2013年 | 7月19日 | – | 札幌ドーム | 澤村拓一 | ||||
7月20日 | – | 明治神宮野球場 | 新井貴浩 | ||||||
7月22日 | – | いわきグリーンスタジアム | 内川聖一 | ||||||
64 | 2014年 | 7月18日 | – | 西武ドーム | ブラッド・エルドレッド | ||||
7月19日 | – | 阪神甲子園球場 | 柳田悠岐 | ||||||
65 | 2015年 | 7月17日 | – | 東京ドーム | 藤浪晋太郎 | ||||
7月18日 | – | MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 | 會澤翼 | ||||||
66 | 2016年 | 7月15日 | – | 福岡ヤフオク!ドーム | 筒香嘉智 | ||||
7月16日 | – | 横浜スタジアム | 大谷翔平 | ||||||
67 | 2017年 | 7月14日 | – | ナゴヤドーム | 内川聖一 | ||||
7月15日 | – | ZOZOマリンスタジアム | アルフレド・デスパイネ | ||||||
68 | 2018年 | 7月13日 | – | 京セラドーム大阪 | 森友哉 | ||||
7月14日 | – | リブワーク藤崎台球場 | 源田壮亮 | ||||||
69 | 2019年 | 7月12日 | – | 東京ドーム | 森友哉 | ||||
7月13日 | – | 阪神甲子園球場 | 近本光司 | ||||||
- | 2020年 | 7月19日 | 新型コロナウイルスの 感染拡大により中止。 |
福岡PayPayドーム | |||||
7月20日 | ナゴヤドーム | ||||||||
70 | 2021年 | 7月16日 | – | メットライフドーム | 菊池涼介 | ||||
7月17日 | – | 楽天生命パーク宮城 | 島内宏明 | ||||||
71 | 2022年 | 7月26日 | – | 福岡PayPayドーム | 清宮幸太郎 | ||||
7月27日 | – | 松山坊っちゃんスタジアム | 柳田悠岐 | ||||||
72 | 2023年 | 7月19日 | – | バンテリンドーム ナゴヤ | 柳田悠岐 | ||||
7月20日 | – | MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 | 万波中正 | ||||||
73 | 2024年 | 7月23日 | – | エスコンフィールドHOKKAIDO | |||||
7月24日 | – | 明治神宮野球場 | |||||||
通算成績(2023年まで):パ・リーグ90勝、セ・リーグ80勝、引分11 |
注釈
- ^ 2005年より東北楽天ゴールデンイーグルスの専用球場となったため、地方開催として扱われなくなった。以降2007年、2011年、2021年にオールスター戦を開催。
- ^ 東北野球企業が興行面で協力。
- ^ 2004年より北海道日本ハムファイターズの専用球場となったため、地方開催として扱われなくなった。以降2009年と2013年にオールスター戦を開催。
- ^ 場内アナウンス(ウグイス嬢)は読売ジャイアンツの球団職員が担当。これは同球場が巨人のキャンプ地であったため。
- ^ セ・リーグのホーム扱いではあるが、スタジアムDJは藤澤翼が担当。
- ^ 2008年に地方開催がなかったのは、新潟の開催辞退が影響したものである。
- ^ 前者の例として2012年に全セ監督を務めた中日監督の高木守道、後者の例として2018年全パコーチを務めた楽天監督代行の平石洋介。
- ^ 2003年から2007年までは1日5回まで[6][7]。2008年以降は1日1回まで[8]。
- ^ 2005年までは三洋電機商品取り扱い店でも公式投票はがきを配布していた[9]。
- ^ 2020年は新型コロナウイルス感染症の影響でオールスターゲーム自体が中止となった。プラスワン投票が行われる予定であったかは不明。
- ^ 2010年は60回目を記念してロゴの下に60th All-starと表記。
- ^ 2012、2013年のロゴの周りに開催地を模した星が描かれた。
- ^ 星のみ変更。
- ^ 参考例として、2017年に小林誠司がオールスター前に本塁打を1本も放っていなかったが、第2戦で本塁打を放ち、高橋由伸監督(当時)ががっくりするシーンがある。
- ^ 過去に冠協賛がなかった時代には自動車が各試合のMVP副賞として贈呈されたことがある。
- ^ 2011年の場合は「今後発売されるSKYACTIV TECHNOLOGY」搭載車」としており、開催時に「SKYACTIV TECHNOLOGY」が搭載されていた車はデミオ 13-SKYACTIVだけであったためデミオが賞品イメージ車両として球場に展示されていた。よってデミオが商品だったわけではない。2012年はSKYACTIV TECHNOLOGY搭載の「デミオ」「アクセラ」「CX-5」のいずれか1台、2014年は「アテンザ」「アクセラ」「CX-5」のいずれか1台、2016年は「ロードスター」「CX-3」「デミオ」「アクセラ」「アテンザ」「CX-5」のいずれか1台が贈呈された。
- ^ 2018年は制限時間が3分間、球数には制限がなかった[13]。
- ^ 無死満塁で登板した江夏は、レロン・リー、有藤通世(共にロッテ)、山内を3者連続三振に討ち取り、先制打を打った真弓明信と本塁打を打った掛布雅之(共に阪神)を抑えてMVPを獲得した。これは“9連続三振の再現”“前年の日本シリーズ(江夏の21球)の再現”と話題になった。
- ^ テレビ東京は系列局のなかった1971年の第2戦のみ中継実績がある。詳しくは当該項目参照。
- ^ フジテレビは末期3戦開催時の地方開催分のみ担当していたため、今後3戦開催の際に同様に地方開催分を再度担当するかは不明。
- ^ テレビ朝日での放送は、資本関係上通常は放映権を保持していない中日の主管分や、一時放映権を保有した後に撤退した巨人およびDeNAの主管分も含まれている。また、長らく毎日放送→朝日放送テレビの主導で制作していた阪神およびオリックスの主管分も2012年以降はテレビ朝日の主導による制作に移行している(逆に、バラエティ番組では『M-1グランプリ』でテレビ朝日の施設を会場として使用しながら、朝日放送テレビ〈と吉本興業〉の主催・制作で放送している)。
出典
- ^ “球宴試合増も…年金財源確保策として検討”. スポーツニッポン. (2010年10月22日) 2011年7月6日閲覧。[リンク切れ] “球宴は1増の3試合実施へ…NPBの収益増目的”. スポーツニッポン. 共同通信. (2011年1月20日) 2011年7月6日閲覧。 “球宴、今夏は3試合に NPBの収益増が目的”. 47NEWS. 共同通信. (2011年3月1日) 2011年7月6日閲覧。
- ^ 江尻良文 (2011年3月2日). “時代と逆行の球宴3試合 増やした理由が変わっていた”. 夕刊フジ 2011年7月6日閲覧。
- ^ a b “プロ野球 18年熊本でオールスター第2戦開催を発表 復興支援一環”. スポーツニッポン(スポニチannex) (スポーツニッポン新聞社). (2017年3月30日) 2017年3月30日閲覧。
- ^ “プロ野球 オールスター中止を発表、フレッシュ球宴も 開幕は「来月の半ば、下旬のどこかで」”. スポニチ. (2020年5月11日) 2020年5月11日閲覧。
- ^ 選手間投票 | マツダオールスターゲーム2008 | NPB.jp 日本野球機構
- ^ ファン投票 | 2003サンヨーオールスターゲーム | NPB.jp 日本野球機構
- ^ ファン投票 | 2007ガリバーオールスターゲーム | NPB.jp 日本野球機構
- ^ ファン投票 | マツダオールスターゲーム2008 | NPB.jp 日本野球機構
- ^ ファン投票 | 2005サンヨーオールスターゲーム | NPB.jp 日本野球機構
- ^ “野球協約を一部改定 脳振とうの球宴辞退はペナルティー適用外”. スポーツニッポン. (2019年1月21日) 2019年6月28日閲覧。
- ^ “悪質すぎる「川崎祭り」、日本ハムの球宴ジャック…オールスターファン投票事件簿”. 週刊新潮. p. 1 (2021年6月21日). 2021年6月21日閲覧。
- ^ 実施要項 | ホームランダービー | マイナビオールスターゲーム2019(日本野球機構)
- ^ http://npb.jp/allstar/2018/homerun.html 実施要項 | ホームランダービー | マイナビオールスターゲーム2018](日本野球機構)
- ^ “【球宴】阪神から史上最多10人!近本光司が個人最多得票/ファン投票選出一覧”. 日刊スポーツ. (2023年6月28日) 2023年6月28日閲覧。
- ^ “【阪神】右肋骨骨折の近本光司とファーム再調整中の湯浅京己の2人の球宴辞退をNPBが発表”. 日刊スポーツ. (2023年7月10日) 2023年7月14日閲覧。
- ^ “来季交流戦開幕前に「特別試合」開催へ”. サンケイスポーツ. (2011年6月16日) 2011年6月22日閲覧。
- ^ “プロ野球:ドラフト優先権はパ オールスターで決まらず”. 毎日新聞. (2013年8月22日) 2015年6月16日閲覧。
- ^ ダイヤモンドの人間学(広澤克実)「選手も興味薄れる? オールスター戦の課題」 - 日本経済新聞(2013年7月14日) 2016年10月20日閲覧。
- オールスターゲーム (日本プロ野球)のページへのリンク